Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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栄光の大関西五十年 永遠なれ 常勝の師弟城

2002.2.24 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  私が大阪拘置所を出所したのは、七月十七日であった
 私は、その日、勇み立って、中之島の大公会堂での”勝利大会”で、関西の同志と共に喜び、新たなる決意を誓い合った。
 そこに駆け付けてくださった方々の、誠実なる真正の同志の振る舞いを、私は永久に忘れない。
 その真心に対して、一生涯かけて御恩返しをしたいと、感謝し、決意している。
3  大阪事件の勝負は、法廷に移った。
 しかし、国家権力が相手の戦いである。状況は、極めて厳しかった。
 勝利のご報告もできぬまま恩師は亡くなり、やがて私は第三代会長に就いた。
 判決の一年ほど前、担当の弁護士たちは、「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言い放った。
 有罪となれば、当然、会長の辞任を余儀なくされ、学会に大きな傷を残してしまう。師の正義を、仏法の正義を守り抜くには、断じて勝利する以外にない。
 孤立無援を感じつつ、私は師に誓うかのように言った。
 「私は潔白です。絶対に無罪を勝ち取ってみせます!」
 私は、法廷でも、私を陥れようとした検察側の嘘をば、厳しく打ち破った。
 一人の検事が見てきたように言い出した。
 ──被告が拘置所を出所する日、学会員が検察庁の廊下が真っ黒になるほど大勢押し寄せた。それを、被告が一言命令したら、あっという間に解散した、云々。
 驚くべき事実無根の作り話である。
 では、私が命令したというのは、どの場所か。何人ぐらいの人がいたのか。
 虚言というものは、いつも、もっともらしく言い放っても、そこには具体性が欠け、つじつまが合わなくなり、最後は、その嘘が暴かれてしまうものだ。
 私の質問に検事が口ごもってしまった。私は言った。
 「それは錯覚か、それとも嘘ではありませんか!」
 真実こそ最大の武器だ。
 正義の声こそ、邪悪を打ち破る宝剣だ。
4  今も、陰険な日顕一派らがデマを流し、また、彼らと結託した輩が雑誌等に担造記事を書いている。
 妬みに狂って、私を陥れようとする陰謀であることは、誰が見ても明らかだ。
 ともあれ、ある高名な法曹家が言われた。
 事件は、「いつ」「どこで」「誰が」という証拠の鉄則が大事なのである。
 「その時聞は、何月何日、何時なのか」
 「どういう場所なのか」
 「いったい、誰が見たのか」
 この根本の原則が、まったく抽象的かつ暖昧で、具体的に書かれていない。どこから見ても作り話であることは明確である、と。
 大聖人は「報思抄」で、邪な坊主らの悪辣な嘘に対して、「何れの月・何れの日・何れの夜の何れの時に」という客観的な証拠を示せないものは、ことごとく大妄語であると、痛烈に破折なされている。
5  四十年前の一九六二年(昭和三十七年)の一月二十五日。
 第八十四回となる公判が、判決の日であった。
 私に対する判決の主文を読む裁判長の声が、静まりかえった法廷に響いた。
 「……池田大作は無罪!」
 勝った! 正義の旗は晴れやかに翻った。
 「裁判長は必ずわかってくれるはずだ」との、戸田先生の確信の通りとなった。
 師弟の勝利、わが同志との共戦の勝利であった。
 思えば、あの四年半の間、公判のために幾たびも、幾たびも関西に足を運んだ。
 師が最後の陣頭指揮をとられていた一九五八年(昭和三十三年)の三月にも、断腸の思いで出廷しなければならなかった。
 しかし、私は、この魔性との攻防戦のなかで、時間をこじ開けては、友の激励に心血を注ぎ続けた。
 広宣流布の途上に、おいて、難が競い起こるは、御聖訓に照らして必定である。
 釈尊も難を受けた。
 天台も難を受けた。
 大聖人の大難は御存じの通りだ。
 ゆえに、受難こそ誉れであり、受難の地こそ仏国土として光り輝くのだ。
 これが、広宣流布の真の使命者の証なのである。
 ともあれ、仏法は勝負だ。
 断じて勝つことが、関西の魂だ
 ああ、常勝の大関西!
 ここに、師弟の正義の大城あり!
 ここに、民衆勝利の永遠の都あり!
 栄光燦たる、大関西五十年の大叙事詩は、千年、万年後までも謳われ、そして物語となって語り継がれていくであろう。
6  「諸国民の生活における主要にして最大の変化は、彼らの信仰の変化である」(前掲『一日一章 人生読本〈1~3月〉』)
 この言葉もまた、二十一世紀の人間たちに遺言の如く贈られた、トルストイのメッセージである。

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