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日蓮大聖人・池田大作

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「青年訓」50年 戦おう! 広宣流布の若き師子よ

2001.10.1 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
4  「広宣流布は青年がやる以外にない。明治維新も二十代の青年の力でできたのだ」とは、牧口先生の固い信念であった。
 戸田先生も、「吉田松陰とその門下の師弟関係が、一番美しい」と言われた。
 私は、今夏、新男子部長らに語った。
 「私は師匠を戸田先生と決め、高杉晋作の気概で、弟子として戦った」
 師弟が仏法の、また人間の真髄である。
 私にとっては、師弟一体で戦うことが、師の「青年訓」を身で読むことであった。
 この根本精神を、私は青年に今こそ、強く訴えたい。
 ――安政六年(一八五九年)十月、師・吉田松陰は、幕府権力によって刑死した。
 晋作が師の悲報を知ったのは、その二十日ほど後、江戸遊学から、長州藩の萩に帰郷した時であった。
 師弟の契りを結んで、わずか二年――純粋なる魂の持ち主の、二十歳の革命児は、憤怒に燃えて誓った。
 「師弟の交わりを結んだからには、仇を報いずにはおかない」「朝に剣の腕を磨き、夕べには書を読み、赤心を錬磨し、筋骨を堅固にしてこそ、仇を討てるのだ」(堀哲三郎編『高杉晋作全集』上、新人物往来社、趣意)
 師・松陰の民衆決起(草莽崛起)の思想を継いだ彼は、やがて、「奇兵隊」を創設。幕府の打倒に、そしてまた師匠の仇討ちに、彼は敢然と、死に物狂いで戦いを開いた。
 戸田先生も、師匠・牧口先生の獄死を知った時、血涙を絞って決意された。
 「よし、いまにみよ!
 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる」
 「青年訓」の発表より五十年――私も、弟子として、永遠の青年として戦い、師の正義を世界に示しきってきた。
 これが、深遠なる、また崇高なる広宣流布に戦いゆく、学会青年部の魂だ。
5  私は、命果てるまで、広宣流布の英雄たる青年部の諸君に、学会精神のすべてを伝え残したい。
 日々、新世紀の「青年訓」を贈りゆく気持ちで。
 すべて、遺言のつもりで。
 かのロランは言った。
 「生とは休戦のない、容赦のない一つの戦闘であり、人間の名に値する人間であることを望む者は、目に見えなぃ敵たちの軍勢に抗して絶えず戦わなければならないのだ」(『ジャン・クリストフ』1、片山敏彦訳、『ロマン・ロラン全集』1所収、みすず書房)
 戦おう、青年諸君よ!
 時代は大きく動き始めた。
 新しい世紀は我らを待っている。
 我らの使命の本舞台が来た。共に躍り出て、戦い勝ち抜こう!

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