Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「原水爆禁止宣言」に思う 平和へ!魔性の生命との大闘争を

2001.9.7 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
5  ウィーゼンタール氏が、若者たちに警鐘を鳴らした言葉に、「文化と文明はごく薄い表皮でしかなく、その下には相変わらず私たちのなかの野獣が隙あらばと機会をうかがっている」(前掲『ナチ犯罪人を追う』)とある。
 四十四年前、台風一過の天高く、爽やかな風が吹き渡るなか、戸田会長は、五万の同志を前に、「遺訓の第ことして、原水爆の禁止を宣言され、この思想を世界に広めよと青年に託された。
 その宣言の核心は、原水爆を使おうとする発想の背後に隠された「爪」、すなわち、人間のなかに巣くう”魔性の生命″に、鋭くメスを入れられたところにある。
 ウィーゼンタール氏の言う「私たちのなかの野獣」とはまさにこのことであろう。
 さらに、先生は言われた。
 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。
 それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります」
 ”原爆使用者を死刑に!″――もとより先生は、生命の尊厳を第一義とする仏法者として、死刑制度には絶対反対であった。それでも、あえて「死刑に」と叫ばれた。
 それは、原水爆を保有し、使用したいという人間の己心の魔性それ自体に、朽ちざる楔を打ち込むためであった。
 原水爆を「絶対悪」として断罪する思想を、いわば「防非止悪」の堤防として、人類の胸中深くに打ち立てようとされたのである。
 「生」を守るために、その対極の「死」という言葉で、サタンの魔性の働きを砕き尽くさんと――。生命厳護という絶対の正義を実現する、信念の行動であったのだ。
6  当時、戸田先生の先駆的な「宣言」は、一般には少しも顧みられることはなかった。
 しかし、その不滅の光は、四十四年を経て、今や大光となり、新世紀の世界を煌々と照らし始めた。
 アメリカの「核時代平和財団」のクリーガー所長も、原水爆禁止宣言について、「今日もなお極めて重要である」と明言している。
 私と所長とは、この夏、対談集『希望の選択』を出版した。そのなかで、所長は言われた。
 「青年は『未来』です。青年は自分が受け継いでいく世界に、当然、発言権があります。核の脅威をなくすには、青年たちが大いに活躍しなければなりません」
 青年よ、正義をさらに強く、広く叫べ!
 そして、新世紀の創価の青年よ、永遠の平和への連帯を、断固と世界へ、未来へ結べ!

1
5