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日蓮大聖人・池田大作

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民衆乱舞の勝利島・沖縄 広宣流布の宝土じぇ 舞いに舞いゆけ!

2001.8.14 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
6  一九八三年(昭和五十八年)の三月二十一日には、三万人が集つての、あの”雨の沖縄平和文化祭”が、沖縄市の陸上競技場で開催された。前日の公開リハーサルは、雨で中止になり、ひたすら、皆が晴天を願って迎えた当日であった。
 午後の降水確率八〇パーセントという予報のなか、オープニング、そして、第一景の未来部の演技の間は、なんとか天気はもった。
 しかし、第二景「かりゆしの舞」に移り、八重山の友が収穫の歓びの民謡「マミドーマ」を踊るころから、曇り空から雨が落ち始めた。
 演技する友も、出番を待つ友も、見守る沖縄の同志も、雨に濡れながら、懸命に大成功を祈っていた。
 続いて、宮古の友がフィールドに飛び出し、「クイチャ」を踊る。いかなる巡り合わせか、それは「雨乞い」の踊りでもあった。
 雨は激しさを増した。南国特有の、天の水瓶をひっくり返したような振り方である。
 フィールドに水しぶきが上がり、視界も雨に煙った。
 皆、びしょ濡れとなった。
 しかし、誰一人、動ずる様子もない。いや、踊りはいよいよ勢いを増した。
 雨よ、降るなら降れ!
 雨よ、雨よ、打つなら打つがいい!
 我らは、絶対に負けない!
 その神々しき姿には、宮古の方言でか”アララガマ魂(負けじ魂)”といわれる、不屈の闘魂が燃えていた。
 やがて、雨はあがった。
 厳しき試練の雨は、沖縄の勝利と感動の慈雨となった。
 私は詠んだ。
  三万の
    平和を祈る
      雄叫びを
    諸天を動かし
      銀の雨降る
 私は、いつも思うのだ。
 涙も涸れるような、残酷な歴史さえも、沖縄の民衆から歌と舞を奪うことは、絶対にできなかった。
 生きて、生きて、生き抜いて、生命の底から、歌わずにはいられない、そして歌わずにはいられない人間の光彩!
 この民衆の乱舞こそ、戦争の暴風に打ち勝つ、文化の力であり、平和の力である。
 それは、権力の魔性の侵食を打破する生命の勝鬨だ。
 そこにこそ、民衆の平和の「実像」がある。
 私は沖縄の友を見つめながら、かの十九世紀のウクライナの国民詩人シェフチェンコの詩を思い出した。
 「悪しき敵よ! 知るがいい。
 すべては滅びるのだ。
 しかし
 栄光が滅びることはない!
 いずれ正義が明かされ
 何が真実で
 何が嘘偽りだったのか
 語るにちがいない。
 私たちの思想
 私たちの歌は死ぬことも
 消えることもないのだ」(Тарас Шевченко, Кобзар, Просвiта)
7  蓮祖は仰せである。
 「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか(中略)上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか
 平和の勇者として、新世紀に躍り出た沖縄の友よ、尊き地涌の戦士たちよ!
 さあ、あらゆる障魔の烈風を、来る日も来る年も敢然と越えて、歓喜の歌を歌い、勝利の舞を舞いゆけ!
 我らが創価の城から、万人が喜び栄える、永遠なる「平和の世界唯一の宝島」を、勇み舞いながら、創造していってくれ給え!

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