Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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熱原法難の歴史(上) 弟子が立ち上がった大闘争

2001.2.6 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
9  熱原の農民信徒の中核になる三兄弟が、大聖人の門下となったのは、弘安元年(一二七八年)の頃である。
 それは、今、わが静岡の、勇敢なる富士正義県の誉れの同志が活躍される地域である。
 神四郎らは文武の嗜みもあり、誠実で、しかも剛胆であり、人びとの信望も厚い丈夫であった。ゆえに、彼らが正法に帰依したことは、大きな波動を広げずにはおかなかった。
 「権威を恐るること莫れ
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ
 「ただ一えんにおもい切れ・からんは不思議わるからんは一定とをもへ
 この大聖人の仰せに、命を賭して応えゆく真正の師子が、民衆の大地から、ついに登場した。
 無名の民衆の英雄が、「不惜身命」の信心を、堂々と厳然と示しきった。
 ここに蓮祖は時を感ぜられ、未来永遠の全人類のために、一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのである。
10  「師弟不二」の精神に立った、偉大な弟子が躍り出て戦った歴史が、熱原の法難である。
 御聖訓には「もし恩を知り、心ある人びとであるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか」(御書一四五〇ページ、通解)と。
 これまでの大難は、すべて、大聖人が一身に受けてくださった。
 熱原法難は、初めて弟子が受けて立った大闘争であった。

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