Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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壱岐・対馬の使命の友 わが島に厳たり 正義の旗!

2000.10.15 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
2  「宗門が御本尊を下付しなければ、広布はできないんだぞ」
 ″だから宗門に従え″と、命令的に襲いかかる裏切り者たちに対して、一人、二人と、同志たちは深い深い決意をもって、断固として言い切った。
 「学会は折伏の団体だ。一切衆生を救うのが大聖人の御精神じゃないか! そんな考え方は根本がおかしい。貴様たちに騙されるか!」と。
 まさに、獅子吼である。
 信心の炎の「声仏事」であった。
 また、狡賢き坊主どもは、対馬では、″壱岐の島は、多くが我らの信徒になっている″と、デマを叫ぶ。壱岐の島に行けば、″対馬では、皆が寺に来ている″などと、嘘を流す。
 二つの島で、デマの情報を使い分けながら、わが和合僧を攪乱しようとしたのである。
 しかし、両島の同志の敏速な連携プレーは、そんな嘘に騙されなかった。
 本土に渡って生活している後継の子どもたちも、「お父さん、お母さん、策略なんかに絶対に負けるな!」と、励ましの電話を何度も入れた。
3  激しい攻防戦の渦中の、この年の九月八日。
 私は、鳥取の米子で行われた「山光総会」に、壱岐・対馬の代表十二人を招いた。
 私は、両島の宿命を転換するのが、「立正安国」の法戦であると訴え、強く語った。
 「正邪の因果は、時とともに厳然と示されていくよ!」
 会場前列にいた友は、何度も頷きながら、泣いておられた。
 総会が始まる前には、私は、米子文化会館の玄関で、壱岐・対馬の中心者である十二人の同志と、誓いのカメラに納まった。
 その方々のことは、わが胸に刻まれ、今もって忘れることはできない。
  使命ある
    対馬の君らを
      米子にて
    迎える嬉しさ
      幸をぞ祈らむ
 この日、遠来の友のために詠み、贈った和歌である。
4  島に帰る同志が乗った車を見送ったあと、私は、そばにいた友に、好きなベートーベンの言葉を語った。
 「今の時代にとって必要なのは、けちな狡い卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような剛毅な精神の人々である」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫)
 これこそ、わが壱岐・対馬の勇者たちのことだと思えたからである。
 そして七年――遂に、首謀の坊主は対馬から出ていった。
 学会は、雄々しき折伏の大進撃で、堂々と嵐を勝ち越えてきた! 使命の同志は、断固として勝った!
 まさに「正邪の因果」は、厳然と証明されたのである。
5  現在では、″花綵はなづな″のような日本列島に列なる島々のうち、約二百四十の島に、創価家族の歌声がある。友情がある。
 不便な交通など、物理的な距離は確かにあろう。しかし、その距離を超え、心で結び合えるのが仏法である。
 「信心は即生活」であり、来る日も来る日も、地域に根を張り、信頼の大輪を咲かせゆく人生は、最高無比の尊き一生であろう。
 「すべての島々が、平和と幸福の宝島に!」
 「すべての島々の同志が、地域の灯台に! 大長者に!」
 今日も、私は、真剣に祈り続けている。
 偉大な離島の同志に想いを馳せるたび、わが胸に去来する、私の青春時代から大好きな格言がある。
 「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」と。

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