Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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弟子の道 「師弟の闘争」に創価の永遠の栄え

2000.6.9 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
3  あの太平洋戦争の最中、師匠である初代・牧口会長は、暗黒の牢獄で獄死。
 弟子である戸田第二代会長も、また、二年間にわたる獄中生活。
 そして、「巌窟王」との信念をもって、出獄する。
 仏法の次元から、人生の次元から見て、師弟の実在のなかに、「創価」はあった。
 夜となく昼となく、晴れでも雨でも、社会がいかなる激痛の困難にあっても、この師弟の厳粛な祝杯は、揺るぎもしなかった。
4  一九四一年(昭和十六年)の十一月二日、創価教育学会の総会が、東京・神田の教育会館で行われた。
 この折、牧口先生が訴えられたのは、「不自惜身命の大善生活法」であったという。
 さらに、「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御聖訓のままに、苦難に突き進む、日蓮大聖人の「本当の弟子」の道であった。
 この一カ月ほど前、宗門は、軍部権力を恐れて、御書の「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」など、十四カ所の要文等を削除していた。
 大聖人門下の誇りを、無残にも踏みにじった、卑劣な宗門の違背であった。
 牧口先生は、当時、そうした臆病な敗北者の姿に激怒され、「今こそ、御聖訓通り、師子王の心で、行動すべき時ではないか!」と、よく叱咤されていたのである。
5  この総会の席上、戸田先生は、創価学会の永遠の指針である、「弟子の道」と題する、重要な講演をなされた。(『戸田城聖全集』3所収)
 ここに、厳然と、留め残しておきたい。
 「日興上人は、日蓮大聖人様をしのごうなどとのお考えは、毫もあらせられぬ。
 われわれも、ただ牧口先生の教えをすなおに守り、すなおに実行し、われわれの生活のなかに顕現しなければならない。
 牧口先生は金もうけはされない。しかし、われわれは先生の教えによって金もうけをし、また、ある人は技術を磨かなければならない。
 先生を親と思うのは、間違いをおこす。先生は師匠であり、われわれは弟子である。
 牧口先生のお宅でも、お子様は、師匠と弟子とを混同されている。わたくしの宅でもそうである。
 先生のお子様は、先生を親と思っている。師匠と思っていない。先生が御法のことを申されるときは、峻厳である。それが、師匠である。もちろん、親としての心もある。しかし、師匠の分野としてみるべきときが多い」
 「先生のことばづかいだけをまねて、なにになる。黄金水を流してしまうようなものである」
 「弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない」
6  この「弟子の道」があったがゆえに、創価学会は、日本を動かす、人間と人材の動脈となった。
 世界平和への血脈の脈動が、できあがった。
 大法は根幹であるけれども、忍難弘通する人間がいてこそ、大法は弘がる。
 人法一箇の「師弟の道」は、人類の究極の「仏の道」である。
 「広布の道」である。
 「正義の道」である。
 「師弟」を忘れて、成仏はない。
 「師弟」を利用して、永遠の幸福はない。
 「戸田の命よりも大事な学会の組織」と言われた意味を、断じて忘れてはならない。
 その師の教えのままにいけば、いよいよ、ますます、創価学会は発展し、繁栄するであろう。
 それを利用し、破壊する者に屈服すれば、もはや、不滅の学会は薄らいでいってしまうにちがいない。
7  断固として「師弟の道」を!
 「師弟の旗」を!
 厳然と「師弟の正義」を!
 悠然と「師弟の旅路」を!
 火を吐く魂で「師弟不二の闘争」を!

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