Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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牧口先生と武蔵野 清新の生命よ光れ 憧れの大地

2000.5.21 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
5  牧口先生は、あの「野火止」への小旅行の後も、よく武蔵野に足を延ばされていた。
 たとえば、白金尋常小学校の校長時代、遠足の引率で、何度も八王子を訪れ、高尾山に行かれている。これまで一九二四年(大正十三年)、二六年(同十五年)、二八年(昭和三年)、二九年(同四年)の四回、″秋の遠足″で行かれたことがわかっていたが、このほど、新たに一九二三年(大正十二年)六月の訪問の事実が発見された。
 「創価教育学会」が誕生する直前の数年間、牧口先生は、列車の車窓に武蔵野の風情を楽しみながら、八王子に来られたわけである。さらに、創価教育学会の会長として、幾たびか武蔵野台地の保谷を訪れ、座談会に出席されている。
6  牧口先生は――
 謹厳実直な先生であった。鋭い眼の内に、深い深い思索の光をたたえた先生であった。
 しかし、また、北へ、南へ、快活に歩き抜かれた、行動第一の先生であった。
 「先生は、いつも先頭切って歩かれました」
 直接、牧口先生を知る弟子たちは皆、その雄姿を懐かしく語る。
 ある時などは、先生は、こう弟子たちに呼びかけられた。
 「われわれ青年は――」
 その当時、先生は七十歳前後であられた。
 先駆、先駆、また先駆の、久遠の青年の生命で、生き生きと生き抜かれた先生であった。
 いつも若々しく、不老不死の妙法を証明しながら、戦い抜かれたご一生であった。
 我らも、また、この旭日のごとき魂で、学会創立七十周年の黄金の日々を走り、勝とう!

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