Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香川の共戦の絵巻 戦う一念が広宣流布の魂

1999.10.21 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
6  当時、四国でも、聖職の仮面をかぶった魔性の悪坊主による、学会攻撃の策謀が始まっていた。
 翌年(一九七九年=昭和五十四年)、名誉会長になってから二年半の間、私は、学会破壊の邪悪な謀略によって自由に動くこともできなかった。
 すべて、私の存在を恐れ、怖がり、焼きもちを焼いた、宗門の邪悪な坊主をはじめ、奸智と強欲の退転者らの一大結合による陰謀・謀略であった。
 その鉄鎖を厳然と断ち切り、大反撃の戦闘を開始した原点が四国であったことは、明快にして不滅の史実の刻印である。
 一九八一年(昭和五十六年)の十一月――私は、徳島から香川に入った。
 懐かしき研修道場には、愛する同志が多数、生き生きと集まってこられた。
 「宗門や反逆者への反撃は、私がいたします!
 これ以上、皆様にご心配、ご苦労をかけたくない。
 私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
 私の呼びかけに、嵐のごとく轟いた共戦の大拍手は、香川の大空に響き渡っていった。
 皆の心に、魔性との戦い、激しき攻防の戦い、すなわち広宣流布への炎が、赤々と燃え上がっていった。
 この日を、誰人も忘れることはできない。
7  ともあれ、「共戦」の二字が金文字で刻まれた、四国・香川の広布の大絵巻は、今も燦然と輝いている。
 あの黒く陰湿な″衣の権威″の陰謀をものともせず、白亜の大客船「さんふらわあ7号」に、胸を張って乗船し、私のいた横浜まで駆けつけてくださったのも、皆様方であった。
 「共戦」とは、師弟一体の広宣流布への真剣な祈りであり、行動である。最も大切な、戦いの呼吸も、「師弟不二」も、ここから深まる。
 「共戦」とは、自分の一念を広布の主戦場に定めることだ。そこに自己の殻を破り、大我の人生を開く道もある。
 そして「共戦」とは、広布の全責任を勇んで担わんとする精神だ。誰かがやるだろう、自分は関係ないという官僚主義と、徹して戦うことだ。
 「共戦」の心があれば、広宣の大河は無限に広がる。
 その雄々しき中核の闘士は、青年である。
 もう一度、ヘーゲルの言葉を借りれば、「総じて英雄時代の状態は(個人でいえば)とくに青年時代のそれに相当する」(『美学 一の下』竹内敏雄訳、『ヘーゲル全集』18C、岩波書店)からだ。
 いよいよ、新世紀の凱旋門も眼前に見えてきた。
 私は、心から敬愛し信頼する皆様に申し上げたい。
 「さあ、共に戦おう! われらの勝利のために!」

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