Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昇りゆく太陽・茨城 永遠の幸福へ今世を勝ち抜け

1999.8.27 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

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5  水戸の偕楽園の梅が、満開に咲き香る季節は、近づいてはいたが、まだまだ寒かった。
 一九八二年(昭和五十七年)の二月七日、私は、牧口先生と同じ決心で、寒風のなか、茨城の同志のもとへ走った。
 少々、風邪気味の体は熱っぽかったが、一夜明けると、すっかり楽になり、同志の題目を感じてならなかった。
 私は、完成間もない、水戸の茨城文化会館に本陣を置いて、北は日立、東は鹿島、南は土浦へと、広宣流布の大波を起こす決意で、正義の軍艦のごとく動きに動いた。
 その日立も、鹿島も、また、土浦方面の竜ケ崎、谷田部などでも、邪僧が正義面して、仏意仏勅の学会に泥をかぶせ、唾を吐いていた。可憐な花のごとく、清らかな魂の同志は、こんな悪逆非道はない、これが正しき仏法を守る坊主であるはずがないと、悔し涙をのんで、耐えに耐えてきたのだ。
 仏法の世界にあるまじき、この悔しさは、当時の同志たちの心からは、永遠に消え去ることは絶対にない。
 いかなる嫉妬と中傷の矢も、太陽を射ることはできない。威風堂々、太平洋に昇りゆく太陽のごとく、正義の旭日が昇れば、邪悪の闇は破れる。
 私は、あの地でも、この地でも、雄々しき戦闘を勝ち取ってゆく、わが広布の同志の頭上に、勝者の月桂冠を載せながら、戦い抜いた。
 その間、わが師である戸田先生のご生誕の日(二月十一日)も、茨城で迎えた。先生の年齢と同じ、八十二個の鉢植えの梅が、寿ぐように香っていた。
 この日、二十一世紀を託しゆく男女青年部、三千五百名による、「茨城二〇〇〇年会」が結成された。
 若き勝鬨の声は、今でもこだまして聞こえるようだ。
 以来十七星霜。この時の青年部から、総県幹部、分県の県長・県婦人部長など、現在の指導者たちが続々と誕生した。
 茨城広布の勝利と栄冠は、今や眼前に、栄光輝く陣列として、勢揃いしていく思いがしてならない。
6  明春には、いよいよ、七会ななかい村に「茨城メモリアルパーク」も開園する。(=二〇〇〇年三月五日に落成)
 常陸の国・茨城は、古人が、不老不死の「常世の国」と憧れた夢の国でもある!
 そしてまた、御入滅を間近にされた大聖人が、最後の旅の目的地として「常陸の湯」を挙げられたごとく、太陽の仏法に有縁の、永遠に太陽が昇りゆく「日立」という不思議なる国である!
 さらにまた、真実の大白法の大道への直道というべき「直通ひたみち」の国であろうか。
 「わが同志の、万感の広布の歴史は、ここ茨城を見よ!」と叫んでいるかのように、今、二十一世紀の太陽は昇り始めた。

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