Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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詩心の山光・鳥取 日本海に昇れ! 広宣の太陽

1999.7.26 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
5  それから六年後(一九八四年)の、ツツジの花咲く五月にも、再び私は、鳥取を訪れた。倉吉の県立体育文化会館で、壮麗なる鳥取の青年平和文化祭が行われたのである。
 この倉吉こそ、傲慢と邪智の坊主が、純真な鳥取の学会員を狙って暗躍した、正義と邪悪の攻防の戦場となっていた。
 しかし、この時、天魔のどす黒い雲を一掃し、清らかな目をした地涌の若人が、陸続と躍り出た。新しき日本海広布の幕は上がったのである。
 御聖訓には、「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」と仰せである。いわんや、日蓮仏法は「太陽の仏法」である。断じて絶望の闇はない。行き詰まりもない。鳥取の同志は、悠久の太陽を抱きて、恐れなき獅子となって、立ち上がったのである。  
6  私の心のなかで、一つの言葉が水晶のように光った。
 翌日(五月二十一日)、私は、十一年ぶりに島根の松江に向かった。
 その日、鳥取・島根の天地に、山陰ではなく、「山光」という愛称を提唱させていただいたのである。
 それは、誰彼がということではなく、「山陰」という暗いイメージを、「山光」という明るいイメージにしたいと、多くの声なき声から、どこからともなく沸き上がった名称であった。

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