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日蓮大聖人・池田大作

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中国京劇団 ″芸術の宝″は鍛錬で光り輝く

1999.1.27 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
3  私が初めて中国を訪問して、日中友好の″金の橋″を築き始めて、本年で二十五周年となる。
 これまで、私たちが中国からお迎えした、芸術の戴冠の王たる″文化大使″は数多い。
 中国北京芸術団(七五年)、中国上海京劇団(七六年)、「シルクロード音楽の旅」シリーズ(第一回は七九年)、北京人民芸術劇院(八三年、九〇年)、上海人民芸術劇院(八五年)、東方歌舞団(九一年、九三年)、雲南歌舞団(九五年)、中国新輝芸術団(九六年)、中国放送民族楽団(九七年)、中国中央民族歌舞団(九八年)――などの公演である。
4  ことに、一九七六年(昭和五十一年)の「上海京劇団」との交流は、あまりにも懐かしい。
 この時は、同じ京劇でも、″革命現代京劇″であり、演目も「智取威虎山ちしゅいこさん(知恵で威虎山いこさんを取る)」など、中国革命に題材をとった作品であった。
 その最終公演は、八王子の創価大学の体育館で行われ、私も鑑賞させていただいた。
 さらに、公演を終えた団員の方々が、波打つ中国の国旗に迎えられて、大学のグラウンドに入場し、約五万人の歓迎交歓大集会となったのである。
 席上、私は、日中平和友好条約の早期締結を訴えた。
 圧巻は全員による合唱であった。それは、二つの血管を流れる同一の血の如く、皆で「我愛ウォアイ北京ベイチン天安門テイエンアンメン(私の好きな北京の天安門)」を中国語で歌ったことである。
 「日中両国人民友好万歳」の巨大な幕が張られた壇上では、やがて京劇団、学会の音楽隊、鼓笛隊の友が肩を組み、同一の運命の如き歌が響き渡った。
 晴れた空に、無限に広がりゆく歌声が……。
5  日中友好は、一部の政治家たちによって、できあがったものでは決してない。
 両国の平和を願う、賢明な平和主義者の連携によって、できあがったものである。
 また、人民の心の結晶として、皆の力で成されたもの、築かれたものなのである。
 それを、友好の機運が高まっているのを利用し、さも自分の手柄話として誇張するかのような在り方は、中国への侮辱であり、命懸けで友好に尽くした先人への冒涜であろう。
6  「芸術」とは、「平和」実現への燈衰嵓であり、人生の究極の「勝利の舞」である。
 「芸術」のために流す汗は、人類の平和と文化を築きゆく汗そのものである。
 ともあれ、京劇は本来、庶民の間から生まれた。
 また、「京」という名前が冠せられていても、原点は地方の劇であった。
 いわば、京劇には、民衆のエネルギーが結集している。それが中央を動かし、やがて、大中国の人びとの「心の宝」と輝いていったのである。
 その京劇の血潮は、二十一世紀への永遠の輪廻の如く、日中両国の友誼を祝福する、完璧な王冠の舞の劇であると、私には思えてならない。

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