Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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富士見ゆる信濃町 平和と文化と幸福の発信地

1998.11.11 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
5  信濃町駅を出ると、前が慶応病院であるが、ここには、空襲にまつわる有名な話がある。
 四五年(同二十年)五月二十四日の未明、この辺りは、焼夷弾による集中攻撃を受けた。
 一坪あたりに焼夷弾一発という、激しい爆撃であった。
 しかし、挺身隊として泊まり込んでいた学生をはじめ、看護婦、医局員が一体となって消火にあたる一方、入院患者を避難させたのである。
 救出にあたったのは、ほとんどが青年であり、当時の新聞には、「屋上の焼夷弾を手づかみで投げ捨てるもの」もいたと報じられている。
 青年たちの必死の奮闘は、百八十人の入院患者全員を、かすり傷一つ負わせることなく、救い出していった。
 さらに、別館や図書館、予防医学教室などが、猛火から救われたのである。
 この壮挙に対し、新聞は「勝利は若い者の力に 慶応病院の入院患者全部救出」の見出しを掲げ、活躍を絶賛している。
6  今、信濃町には、世界青年会館が建ち、人類の未来を守りゆかんとする、世界中の創価の青年たちが、喜々として集って来る。その笑顔がまぶしい。
 また、本部周辺には、民音文化センターや戸田記念国際会館など、平和と文化の殿堂が次々と誕生している。
 信濃町は、広布原点の地であり、平和と文化と幸福の発信地である。
 私は、この町の良き伝統を受け継ぎ、地域の皆様と力を合わせ、二十一世紀に輝く「世界の信濃町」を、「永遠の都」を築き上げようと、深く心に決めている。

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