Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」と創価の精神 「広布誓願」の獅子よ一人立て

1998.4.29 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
3  美しい青空が、どこまでも広がっていた。
 わが師逝いて二年。1960年(同三十五年)五月三日、私は第三代会長に就任した。
 以来、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との御聖訓を胸に、怒濤のなかをひた走った。先生の「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」との言葉が、頭から離れることはなかった。
 来る日も来る日も、苦難と迫害の連続であったが、「難こそ誉れ」と、私は悠々と指揮を執り続けた。
 就任十周年(一九七〇年=昭和四十五年)の佳節となる「5・3」も、学会批判の包囲網のなかでの新出発であった。
 また、会長就任から二十年目に入る、七九年(同五十四年)の「5・3」も……。
 この直前、私は、名誉会長となった。
 その陰には、私を追い落とし、広宣流布の指導者不在の学会にして、意のままに操ろうとする、謀略の輩の画策があった。
4  狂気そのものの中傷の集中砲火のさなかにあった五月三日、本部総会が、創価大学の体育館で行われた。
 首脳幹部も、不安と戸惑いを隠せなかった。私への拍手も遠慮がちな姿が痛々しかった。いな、浅ましかった。
 総会が終了し、渡り廊下を歩いていると、数人の婦人たちが、「先生!」と叫んで、駆け寄って来た。お子さん連れの方もいた。一目、私に会おうと、ずっと待っていてくださったのであろう。目には涙が光っていた。
 「ありがとう! お元気で!」
 私は、大きく手を振り、声をかけ、全力で励ましを送った。そして、思った。
 ″これから、こういう人たちを、本当の善良の市民を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 冷酷非道な法師の皮を著た畜生たちが、民衆の上に君臨すれば、どうなってしまうのか!″
5  私は信濃町の本部には戻らず、総会の会場から神奈川文化会館へ向かった。
 世界につながる平和の港を望む横浜の地から、新たな戦いを起こすのだと、心に決めていたからである。
 五月五日、戸田先生のお顔を胸に描きながら、わが誓いを筆に託して、私はしたためた。
 ――「正義」
 その脇に「われ一人正義の旗持つ也」とつづった。
 私は″今こそ本当の勝負だ。いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で、断固として勝利してみせる″と、深く決意した。
6  今、あの日から二十年目。神奈川の城が鮮やかに心に残る。
 ――世界に広がる港、多くの庶民が喜々として散策しゆく、希望の山下公園。また、凛々しき決意を胸に秘めて、走り回る創価班。
 ″よし、私は断固として第二章の広宣流布の指揮を執る。法剣を抜いて、宝剣を抜いて、断じて勝ってみせる″との、あの日の誓いは、あまりにも深かった。
 今や、世界の民衆が、学会に希望を託し、大きな声援を送っている。
 「5・3」とは、黒き陰謀の嵐を突き抜けた、「勝利」と「栄光」の大輪の七色の虹が輝きゆく日である。
 三世永遠の大道、不滅の黄金の大道を進みゆく広布英雄の旅立ちの日である。

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