Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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民衆の歌と舞 指揮は勇気を鼓舞する″芸術″

1998.3.22 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
4  余談になるが、先生が慰労の宴席をもってくださることに調子づき、学会の組織で、よく酒宴を開く男性幹部もいた。
 学会は信心の団体であり、そうしたことを好まぬ婦人部や女子部の方々もいる。ましてや、酒を飲んで乱れ、周囲に迷惑をかけるようなことは、絶対にあってはならないと、私は深く憂えていた。
 そうした風潮は戒めるべきではないかと、先輩幹部にも訴えてきた。また、戸田先生も、私たちの心を察知されてか、次第に、酒宴は控えるようになり、大きく方向転換されていったことは、嬉しい限りである。
5  1952年(昭和27年)の春、学会が編纂した『御書』の完成を祝して行われた集いで、私は、先生とともに、″大楠公″を舞った。
 「青葉茂れる桜井の……」で知られる、南北朝時代の名将・楠木正成、正行の父子を歌った歌である。
 父・正成は先生、子・正行は私である。″父子の舞″であり、″師弟の舞″であった。
 踊りながら、この師匠とともにある喜びが、私の生命を深く包んだ。
  ♪此正行は年こそは
   未だ若けれ諸共に……
 それは、わが青春の誓いであり、誇りでもあった。
 師の精神を、わが精神とするがゆえに、私は一つの舞でも、魂を発光させて舞った。
 友よ立て! 君よ負けるな!――と心で叫びながら。
 高熱を押して、何曲も舞ったこともある。
 今月の本部幹部会では、青年部の代表と一緒に、「威風堂々の歌」の指揮をとった。
 ″父子の舞″を舞いゆく、幾十万、幾百万の「山本伸一」が育ちつつあることが、私は、何よりも嬉しい。
 二十一世紀のいっさいを頼む。永遠不滅の学会を託す――との思いを込めた舞は、あまりにも嬉しき王者の舞であった。
 わが弟子よ、広宣の扇を手に、生涯にわたって、ある時は敢然と、ある時は悠然と、また、ある時は勇気凛々と、陣頭指揮の舞を頼むと、祈りたい。

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