Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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思い出の日大講堂 世界平和へ旅立ちの大鉄傘

1998.1.12 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
3  以来、本部総会、各部の総会、本部幹部会など、日大講堂での学会の会合は、七七年(昭和五十二年)に一般の使用が中止されるまでに、実に約二百八十回に上った。
 戸田先生亡き後、伸一が「七つの鐘」の構想を示したのも、″平和のフォートレス″創価大学の設立構想を発表したのも、この日大講堂であった。
 さらに、歴史的な日中国交の正常化を訴えた、第十一回学生部総会もまた、この会場であった。あの提言から、今年で三十年を迎える。
 ここから、広布の使命を自覚した、いかに多くの青年たちが、世界へ羽ばたいていったことか。
 風船爆弾製造工場は、平和と幸福の発進基地となっていったのである。これ、「三変土田」の原理の証明なるか。
4  今、日大講堂は取り壊され、跡地にはオフィスや住宅用のビルが建つ。
 この建物の解体が決まった時、地元の同志が、会場で使用されていた演台を、苦労して探し出し、譲り受けて、寄贈してくださった。会長就任の日の、あの伸一の決意を、わが精神とし、永遠に伝えゆく魂の結晶にしたいと言われていたようだ。嬉しい限りである。
 精神の源流が流れ通うところ、そこには、使命の花が咲き、永遠の栄えも必ずある。
 あの日、わが師の遺影の下で、伸一は誓った。
 「戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」
 その通り、私は決意のままに、広宣流布の証明をしてきたつもりである。
 何も恐れず、何ものにも屈せず、学会の魂を胸に燃やしながら。

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