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日蓮大聖人・池田大作

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3 「天人合一」論  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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6  孔子の矛盾
  具体的に、儒家思想から紹介したいと思います。
 『周易』には、「『大人』なるものは、その聖徳は天地の大徳と合致し、その明智は日月の光明あるに合致し、その布く秩序は四季の循序じゅんじょあるに合致し、その善悪に下す禍福は鬼神の降す吉凶に合致している。
 天の時に先立って事を行っても、天は大人のなすところにもとり違うことはなく、天の時に後れてその事を奉じ行っても、大人はよく天の心に合してその事のよろしきを得る」(今井宇三郎『易教』上、前掲『新釈漢文体系』23)とあります。
 ここで言っているのは「天人合一」のことで、人生で最も高い理想の境涯のことです。
 孔子の天に対する見方には、少し矛盾があります。時には、天は「自然」のものであり、天が語らずとも四季があり、万物が生成すると考えます
 またあるときは、人の生死や富貴は天が決めると考えます。とはいえ、彼は、天を意志のある人格神とは見なしていません。
 池田『論語』の、「天何をか言うや、四時行なわれ、百物生ず。天何をか言うや」(金谷治訳注、岩波文庫)という一節のことですね。
 つまり、天は何も言いはしないが、しかも春夏秋冬はたゆみなく運行し、生物を含む万物はそれぞれ生育している。これらはすべて、天の偉大なる働きである。しかし、天は何も言いはしないではないか、というのです。
 すでに、孔子の「天」に対する感覚は、人格神的なものから理法的なものへと比重が移っていますね。
 中国の天の崇拝の起源は、自然崇拝や祖先崇拝からの派生説、遊牧民起源説などさまざまあるようですが、最初はアニミズム的な人格神であったことはたしかなようです。それがしだいに非人格化し、自然の循環、生命の生成・消滅、連鎖といった「法則」へと概念化されていきました。
 この天の「非人格化」はのちに、「天とは理なり」とする宋の朱子学、すなわち「理学」によって、一つの完成をみております。
7  人間道徳の根源
  孔子の孫である子思ししの天人に対する見方は、『中庸』に代表されます。
 『中庸』にいわく「己の性を発揮すれば、それを推し及ぼして、他人にも人としての性を発揮させることができる。
 他人にも性を発揮させることができれば、人々とともにすべての物を適正に扱って、その本来の発展をとげさせることができる。
 物の発展をとげさせることができれば、天地の万物を発生成長させる事業を助けることができる」(前掲『中庸』)と。
 孟子の天人に関する考え方は、基本的に子思の衣鉢を継承しています。
 『孟子』万章上にいわく「人が人力でなそうとしないでも、自然にそうなって来る者は天意自然のしわざ、天業であり、人力で招き致そうとしないのに、自然に至るものは天命である」(前掲『孟子』)と。
 つまり、天命は、人力の及ばざるもので、最後に人を成功に導く力であり、人力以外の決定の力である、ということです。孟子も天を神とは考えておらず、人々は、心を尽くし、性を養うことによってのみ天を知ることができる、としました。
 『孟子』尽心上には「人間の心(中略)を、拡充し存養しつくす者は、人間の本性がどんなものであるか、(中略)知ることが出来る。人間の本性(中略)を知れば、その本性を与えた天の心がいかなるものであるかが分る」(同前)とあります。
 池田 孔子における「天」は、全宇宙の主宰者であると同時に、人間道徳の根源でした。これをさらに精緻に体系化したのが孟子でしたね。
 「天」が人の中に内在するがゆえに、人間の本性は「善」であるとするのが、孟子の性善説です。その特徴は、自然の理法がそのまま倫理の理法となっているところにあります。
 また、「人間の本性を知れば、天の心がわかる」との一文は、中国思想の特色である「人間主義」の立場を示してもいます。
 すなわち、「天」は道徳の根源である。そして、天と人は連関している。ゆえに、いたずらに天をまつるのではなく、「人」に関心を払っていれば、それが結局、「天」に通ずることになるのだ、とする立場です。
 「天人合一」思想は、中国的人間主義、合理主義の背景であることにも注目すべきだと思います。

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