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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 「二十一世紀人」の条件――鄧小…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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8  人生の根幹のテーマ――「師弟」の道
 池田 金庸先生は人間と人間のさまざまな出会いや情愛を見事に描いてこられました。作品には、「友情」とともに、「恩」を重んじる人間像が描かれています。
 『書剣恩仇録』でも、主人公がいったん捕らえた敵を放すくだりで、先生は主人公に、こう語らせています。
 「こいつの兄弟子の陸ご先輩には、我ら恩がある。紅花会は恩と仇のけじめはつける」(『書剣恩仇録』第二巻岡崎由美訳、徳間書店)と。
 「恩義に厚い」ことこそ、「侠」たる者の資質であることを強調されています。
 恩義は忘れてはなりません。たとえ一生かかってでも、何かで報いようという心をなくしてはなりません。仏法では「父母の恩」「師匠の恩」「三宝の恩」「国王の恩」の四恩を強調しますが、それも、「恩」を知り、「恩」を報じていくことこそが、人間性の極致だからです。
 金庸 そのとおりです。なかでも仏教徒としては、「三宝の恩」を最も大切にしなければなりません。
 池田 先生にとっての恩人とは、どなたでしょうか。当然、さまざまな分野にわたるでしょうが。
 金庸 まず小学校五年生のときのクラス担任で、国語の教師だった陳未冬先生です。
 一昨年(一九九五年)、杭州で六○年ぶりにお目にかかりました。当時、私の作文の誤字を直してくださった話をして、どんな誤字だったか申し上げると、先生は笑いながら「記憶力がよい」と褒めてくださいました(笑い)。そして自分の誤りを覚えておくことが成長の秘訣だとおっしゃいました。
 もう一人は、中学校の校長だった張印通先生です。先にお話ししたように、私は(訓導主任を批判した)壁新聞の一件で学校を退学させられましたが、張先生は極力、処分を軽くしようと骨を折ってくださいました。
 しかし訓導主任は(中華民国時代の)国民党員で、校長を上回る権力をもっていたのです。のちに張先生は私に別の学校を世話してくださいました。この大恩大徳は、私の一生に実に大きな影響を与えたと思います。昨年、先生の銅像が建てられ、記念の除幕式が開かれましたが、碑文は私が認めました。
 池田 いくつになっても、恩師は恩師ですね。私も小学校時代の先生に、今でも機会あるごとに、旧交を温めさせていただいています。その先生は私の寸志に対しても、必ず礼状をくださいます。"波瀾万丈の人生ですが、「高木は風に妬まれる」といいます""何もあなたを守れなくて申しわけない"という手紙もいただきました。今もって尊敬しています。せめてもの報恩のために、これまで文章に綴ってもきました。
 先ほどの陳先生と張先生――そのほかには、いかがでしょうか。
 金庸 中学の国語教師の王芝簃先生も、私の恩師です。王先生は、意志の堅さ、正直、勇敢、人間愛などの「侠気の精神」を、身をもって教えてくださいました。私の生涯を振り返るとき、先生の教えは私を無意識のうちに正しい道へ導いてくれたと信じています。
 ただ残念なことに、私は自然環境に恵まれた江南の出身で、しかも家庭は裕福でしたので、贅沢で安逸な生活を送ってしまいました。悲歌慷慨するごとき王先生の壮士の豪毅さを学び切ることはできませんでした。
 また「大公報」時代の翻訳主任の楊暦樵先生には、翻訳の技術を教わりました。
 しかし、これらの恩師はみな世を去ってしまわれました。恩に報いようにも、もはや、かないません。
 池田 仏法の眼から見れば「生死は不二」です。どの恩師の方も、金庸先生のご活躍を喜び、見守っておられることでしょう。
 私にとって恩師・戸田先生からの恩こそ、生涯、いな永遠にわたる無上の宝です。師の大恩に報いていくことが、私のすべてです。
 「師弟」――金庸先生は、人生の根幹であるこのテーマについても、絶妙に表現されています。
 ――一人の弟子が、わが師匠の偉大さを、こう形容する。
 「千里の遠きも、もってその大を挙ぐるに足らず。千仭の高きも、もってその深きを極むるに足らず(千里という距離をもってしても、その大きさを形容するには足らない。千仭という高さをもってしても、その深さをいい表すには足らない)」(『倚天屠龍記』)
 師匠の大きさと深さも、同様であるというのです。
 その弟子は、師匠のもとで修行に励む日々にあって、「毎日、(進歩ではなく)退歩している」という実感をいだいていた。
 これは、怠けて後退したという意味ではない。自分が努力すればするほど、師匠の偉大さ、深さがわかってくる。そして師匠の偉大さに圧倒されて、自分の力が、あまりにも及ばないことを思い知らされる。毎日、毎日、師匠に学び、新しい発見に眼を開いていく。そして、自らの限界を痛感しつつ、より大きく、より深くなっていこうと、さらに求道の心を燃え上がらせていった――。
 私が恩師のもとで受けた一一年の薫陶も、そうでした。
 偉大な師匠をもった青春が、どれほど幸福か。まことの師弟の絆が、どれほど厳粛か。そして、師弟の道を貫く人生が、どれほど崇高か。金庸先生の筆は、心にくいまでに描き切っておられます。
 金庸 池田先生は、本当に幸せだと思います。先生には偉大な師匠がいらっしゃいました。先生の素晴らしい人格と境涯は、戸田先生から大きな影響を受けていると思います。
 小説『人間革命』も読ませていただきました。池田先生は十九歳のとき創価学会に入会され、偉大な師匠に、毎日、教えを受けたのですね。本当にうらやましく思います。
 中国では師匠から学ぶのに二通りの方法があるといいます。一つは、「言葉で教えられる」。二つには、「身をもって教えられる」。池田先生は戸田先生の姿を通して、さまざまなことを学ばれたのでしょう。
 池田 お言葉に感謝します。千鈞の重みがあります。
 一九九六年四月には、金庸先生を牧口記念会館(東京・八王子市)にお迎えしました。師弟の精髄を知る先生を、「師弟の城」にお迎えした喜びは、言い尽くせません。
 金庸 牧口初代会長の精神は、池田先生のなかに生きています。牧口先生にお会いできなくとも、池田先生を通して牧口先生の偉大さがわかります。また、(戸田第二代会長の祥月命日である)四月二日という、大変、意義ある日に、池田先生自ら、(牧口記念庭園に)私の桜を植樹してくださいました。私は一生、このことを忘れないでしょう。
 池田先生、私は思うのですが、何ごとも後継者が大事です。まして師弟においては、なおさらではないでしょうか。
 創価学会が今日、このように大発展したのも、ひとえに戸田会長が優れた後継者を見いだしたからではないでしょうか。
 池田 恐縮です。ただ、学会があまりにも発展したために、嫉妬や迫害もまた大きいのです。
 金庸 よくわかります。中国の格言に「人から迫害に遭わない人は、平凡な人である」とあります。人から憎まれもせず、やきもちも焼かれないような人は、たいした人物ではないのです。
 池田 仏典にも「賢聖は罵詈して試みるなるべし」――本当の賢人・聖人かどうかは、ののしってみて、確かめるべきである――とあります。悪口を受けることが、偉大な人生の証明となるのです。
 何があろうと私には恩師がいます。「恩師なら、どうされるだろうか」――私は常に、そう自らに問いかけながら生きてきました。恩師に出会って、今年で五○年。私は恩師のことを、ただ恩師のことを考えて、この五○年間を生きてきました。これからも同じです。
9  「二十一世紀人」の条件
 池田 今後、ますます世界は狭くなります。一体化が進みます。「一体化された世界」の焦点は、「人間」です。
 頭も心も体も強い。視野が広い。人間が大きい。そうした「国際人」「世界人」が陸続と育たなければ、未来は開けません。その人材を、どう育てていくか。私たちすべてが真剣に考えなければならない問題です。
 金庸 まったくそのとおりです。
 池田 訪れるたびに思うのですが、その点、香港という街は恵まれていますね。国際都市としての「地の利」があります。
 重ねてゴルバチョフ氏の話になりますが、氏の故郷は北コーカサスのスターブロポリといって、商業交易はじめ人的交流の非常に盛んなところだったそうです。
 そうした故郷の気風に触れて氏は、「何世紀もの間、人との調和、民族間の友好関係が、生き抜くための最大の条件であった」「私たちは思考形態からいっても、人間関係からいっても、『国際主義者』となるべく運命づけられていた」と言われていました。
 香港にも、同じような事情があるのではないでしょうか。いわば「国際人」の揺籃の地としての――。
 金庸 たしかに香港で長い間生活した人は、おのずと、ある種の国際感覚をはぐくむことができるでしょう。小さいころから世界を旅し、世界に対する見識をもつ機会に恵まれています。視野が狭くないのです。
 ただ、欠点は、中国本国の文化や伝統に対する感情や、愛情に欠けています。これはおそらく、(中国人としての)重厚な基盤がないからでしょう。
 池田 それも、今回の返還によって大きく変わるのではありませんか。今後は香港の人々の長所と、中国本国の人々の長所が、結び合わされていくことでしょう。
 金庸 中国人も伝統的に外国人を排斥しません。異民族の文化を容易に受け入れるという長所をもっています。
 香港の人間は、政治上はイギリス人の影響を受けていますが、人種差別という偏見がありません。私たちは、西洋人、日本人、インド・パキスタン人、黒人と、誰とつき合っても、まったく同じように見なします。ですから、友だちづき合いはもちろん、恋愛も結婚も、まったく問題ありません。
 私の友人には、「国連家族」とも呼ぶべき家庭をもつ人が、たくさんいます。たとえば娘が外国人に嫁ぎ、息子が外国人をめとっても、みんな仲良く、楽しく、いたわりあって暮らしています。
 言葉、宗教、生活習慣はちがっていても、「愛」による調和によって、幸福な共同生活を送ることができるのです。
 池田 必要なのは、言葉、宗教、生活習慣など、人間を隔てる「差異へのこだわり」を捨てた、人間すべてに対する「愛」――いわば、「大愛」であり、「普遍の愛」ですね。一言でいえば「慈悲の心」です。
 金庸 大きな国も小さな国も、もちろん人間も、みな平等です。みな平等に仲良くしていくべきです。釈尊も、人間だけでなく、犬も猫にも平等に大慈大悲を注ぎました。
 池田 「平等」と「慈悲」。まさに「国際人」「世界人」「二十一世紀人」の条件ですね。平和も、「慈悲の心」が広がった分だけ近づきます。
 「大人は己なし」(荘子)という言葉が、若いころから私は好きです。「己」とは、ただ自分の私利私欲をさす言葉ではないと思います。小さなカラに閉じこもった小さな自分、自分とは異なる価値を受け入れられない小さな器の自分。それをもさして「己」というのでしょう。
 日本人は、島国根性といって、なかなか広い心がもてません。小さな「己」が捨てられません。これは日本人の宿命といってよい。だから私は青年たちに「世界に目を向けよ」「堂々たる国際人たれ」と、常々語っています。二十一世紀に活躍するには、それが絶対の条件だからです。
 金庸 まったくです。その意味で、創価学会と池田先生の存在は、日本にとってきわめて重要です。
 日本は他の面では優れていても、国際感覚が優れているとはいえません。
 以前、ある大会社のアンケートが、私のもとに来ました。「どうして日本のイメージは悪いのか」という設問です。
 私は、「自分の長所を表現することが、下手だからではないか」と答えました。そのために、長所までも短所に見られます。これは改良したほうがいい。
 たとえば、ある人が、学問もあり、能力も優れている。しかし人間関係の面でうまくいかない。それでは誤解されて、悪い人だと思われかねません。
 池田 いつも言うのです。日本人は、もっと「話す」ことだと。とにかく「しゃべる」ことです。特に海外では、言葉を惜しんではいけない。黙っていてはいけない。黙っていては、いつまでたっても心は通いません。
 「沈黙は金、雄弁は銀」といって、黙っていることを美徳とする風潮が、まだまだ根強い日本ですが、これからの国際化社会では逆です。「雄弁こそ金」です。
 金庸 真の「二十一世紀人」になるには、まず胸襟を大きく開き、自分と違ったところのある人に、差別や偏見の心をもたないことです。そして交際のなかで互いに理解し合い、意思を通わせ、「慈悲の心」「愛の心」をはぐくむことです。「相手のために何をすべきか」を考えることです。
 それでこそ社会の調和が期待でき、世界平和の維持が期待できるのです。
 池田 心に「慈悲」。そして、実際の行動においては、常に「相手のため」を考え、「相手のため」に行動する。つまり「菩薩」の実践です。
 私たちは香港と日本、中国と日本、そしてアジア、世界へと、「慈悲の心」「菩薩の実践」で民衆を結んでいきたいものです。その「民衆の大交流」のなかからこそ、真の「国際人」「世界人」が育つのです。

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