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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 香港の明日――返還を前にして  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
11  すべては「幸福をはかる」ところから出発
 池田 先生は「明報」の社説で返還問題を取り上げた際、こうも言われました。
 「急進を主張するにせよ、穏健を主張するにせよ、真に中国のため、香港のため、香港人のため、その幸福をはかるところから出発しさえすれば、意見の違いなど、たいしたことではないはずだ。なるべく心穏やかに討論し、意見を交換する。互いに仇敵を相手にするように敵対する必要などない」と。
 すべては幸福をはかるところから出発すべきである――若き日、敗戦の直後、三木清という哲学者の『人生論ノート』という本を読みました。そこに、こうありました。「倫理の本を開いて見たまえ。只の一個所も幸福の問題を取扱っていない書物を発見することは諸君にとって甚だ容易であろう。(中略)幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内実において虚無主義にほかならぬ」(『三木清全集』第一巻、岩波書店)。忘れられない一節です。
 人間、何のために生きるのか。幸福になるためです。宗教も、政治も経済も、人間が幸福になるための「手段」です。ところが、この幸福という根本の目的が、意外に忘れられています。そのために「手段」であるはずの宗教や政治や経済に、かえって人間が縛られている。とんでもない転倒です。
 ゆえに私たちはもう一度、先生の言われるように「幸福をはかる」ところから出発すべきです。根本に立ち返るべきです。これも現代人にとっての焦点の課題と思います。
 それにしても基本法の起草作業には、五年もの歳月をかけられたわけですね。その一事からも、難事業だったことがわかります。
 金庸 委員会の下に五つのグループが作られ、私は「政治体制グループ」の責任者(香港側)に任命されました。もう一人の責任者(中国側)は、北京大学法学部長の蕭蔚雲教授です。
 蕭教授はソ連に留学したことがあり、法学の知識は奥深く、多くの著作があります。かつて中華人民共和国憲法の改正作業にかかわったことのある法学の権威であり、人柄はたいへん穏やかで、開かれた思想の持ち主です。
 池田 ご同胞とはいえ、それぞれ立場も経歴も違う。意思の疎通に、ご苦労もあったことでしょう。
 金庸 私と教授も時に意見が合わないことがありましたが、そんなときも率直に討論し、議論を戦わせることができました。あるとき、香港の記者たちが集まった前で、かなり激しい議論を戦わせたことがあります。中国内地の法律を香港特別行政区に適用する問題についてです。
 このときは教授のほうが遠慮して、譲歩してくれました。私は心中、とても感激し、自分の態度が良くなかったと自分を責めました。このことがあってから二人は良き友人になったのです。のちに私の小説について、中国内地での版権問題が起こったとき、教授は自分の教え子を紹介してくださり、問題処理に協力してくれました。
 池田 金庸先生と蕭教授という、お二人の意気投合したリーダーを中心に、グループの討議が進められたわけですね。
 金庸 私たちのグループは、将来の特区の政治体制について起草する責任を負っていました。とても重要な内容ですので、論争も他のグループに比べて格段に多かったと思います。
 私たちはおおむね中英共同声明の協議内容にもとづき、行政・立法・司法の三方面が、それぞれ独立して権力を行使する職権を定めました。
 問題は行政長官および立法会議員の選挙方法に集中しました。私と蕭教授はじめ大多数の委員は、現行の政治体制をなるべく維持し、あまり改変を加えるべきではないと主張しました。これに対して李柱銘氏(弁護士)と司徒華氏(香港教師協会主席)の二人は、急激で大規模な民主改革の推進を要求し、行政長官と立法会議員を選出するために、特区成立後、ただちに一人一票の選挙区直接選挙を実施すべきだと主張したのです。
 二人はグループ内では少数派でしたが、自分の意見を固く守って譲らず、ほかの委員と激論を交わすことが常でした。しかも香港のマスコミ界や青年、学生の支持を得て、たびたび群衆を利用した圧力の行使を行いました。具体的には群衆を動員したデモ行進や署名運動、また公然と基本法草案を燃やしたり、明報ビルの前で「明報」を燃やして抗議の意思を表すなどの行動に出たのです。
12  民意を正しく汲み上げることの難しさ
 池田 先日、初代の行政長官には、董建華氏が選ばれましたが、日本のテレビでも、その模様を報じていました。直接選挙を行うかどうか、大きな焦点になっていたことは知っております。
 民意を正しく汲み上げることは、容易なことではありませんね。たしかに、直接民主主義的な手法というものは、民主主義の原点のように見えても、一歩間違えると「アテナイの民主主義がソクラテスを殺した」といった衆愚政治の轍を踏みかねない。逆に、ルソーが嘆いたように「民衆は選挙の間だけは主人だが、あとは奴隷である」ような事態では、政治が民意から浮き上がって、民衆の政治離れを加速させてしまうでしょう。そのジレンマというか、ご苦労はお察しします。
 金庸 基本法の起草過程で最も困難をきわめたのは、今、お話の出た行政長官と立法会議員の選挙方法でした。
 「民主派」と呼ばれる香港の急進的な人々の主張は、あまりに急進的すぎるもので、私とグループの大部分の委員は、とても通用するものではないと考えました。
 イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの民主国家でも、直接選挙で国家の行政の長を選んでいません。国会も通常、衆参両院または上下両院に分かれています。これは選挙民の投票権も決して完全に平等ではないことを表しています。つまり、社会における特殊な階層がもつ伝統的利益に配慮がなされているのです。
 池田 そのあたり、グループ内の見解が分かれるところだったのですね。
 金庸 私は理論上の問題について、「民主派」の学者や宣伝家たちと激しい論争を展開しました。
 論争相手は、事実を顧みることなく、ひたすら声高にスローガンを叫び、「一人一票の直接選挙」を要求したのです。しかし実際には一人一票の選挙区直接選挙といっても、必ずしも最も公平で、最も民主的な選挙制度とはかぎらないのです。
 日本が最近、行った国会の選挙では、旧制度を二つの部分に分けました。五○○人の議員のうち三○○人を小選挙区から直接選挙で選び、二○○人を政党の比例によって選びました。どの選挙民も、二票を投じたわけです。「一人二票」への改正です。
 香港の青年と学生は、宣伝と扇動の影響を受け、具体的な状況を冷静に考えることがなかった。一方的に「およそ中国当局と同じ意見をもつものは、親共産主義者であり、香港人の利益を売り渡す者だ」と思い込んでしまったのです。
 池田 お考えは、よくわかりました。金庸先生は政治的安定を最優先に考えられたわけですね。
 金庸 ちなみにパッテン総督が提起した民主化法案は、元来の「職能別団体選挙」を別のかたちの「一人一票の直接選挙」に改めようというものです。これは基本法の規定に合致したものではありませんので、中国側は絶対に認めず、九七年以降は完全に無効とする決定をくだしています。
 池田 注目される返還まで、あと半年。私は重ねて祈ります。また信じます。香港の方々が、歴史の荒波に果敢に立ち向かうなかで、自分たちさえまだ知らない新しい可能性を大きく開いていかれんことを。
 「九七年問題」がはらむ歴史的意義については、まだまだ語り合いたい点があります。回を改めて続けたいと思います。

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