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日蓮大聖人・池田大作

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1 心の詩――人間と宇宙の交響  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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11  完成された詩篇は三百九十三篇
 池田 よくわかりました。
 ここで、詩人マルティについて、ごく基本的なことですが、今日残っているマルティの詩は何篇あるのでしょうか。
 公刊された彼の詩集は、『イスマエリーリョ』(一八八二年)、『素朴な詩』(一八九一年)、そして死後に刊行された『自由詩』の三冊ということですが、これらに収録されていない詩も多数あると思います。
 ヴィティエール マルティの詩作品に関するあなたの質問にお答えしたいと思います。
 ハバナにあるマルティ研究所から出版した『「マルティ全集」に関する文芸批評』(一九八五年)で、私と妻は次のように分類しました。(この作業のおかげで、私たちも初めて、彼の作品を一つ一つ、挙げることができるようになったのです)
 第一巻には、十五詩篇からなる『イスマエリーリョ』、六十六詩篇からなる『自由詩』、四十六詩篇からなる『素朴な詩』。
 第二巻には、十四詩篇からなる『初期の詩』、十三詩篇からなる『スペイン時代の詩』、二十七詩篇からなる『メキシコ・グアテマラ時代の詩』、七十二詩篇からなる『拾遺詩集』、八十三詩篇からなる『蝶の鱗粉』、五詩篇からなる『黄金時代の詩』、四十五詩篇からなる『つれづれの詩』、七詩篇からなる『詩風書簡』が収められています。
 無数の断片や未完成のテキストは除外しました。
 完成された作品は、全部で三百九十三篇あります。いずれも貴重なものであり、そのなかの幾篇かは、マルティを知るうえで本質的に欠くことのできない作品です。
 マルティがゴンサーロ・デ・ケサーダに宛てた文学的遺書ともいうべき手紙(一八九五年四月一日付、モンテクリスティにて記す)の中では、三冊の詩集の表題――『イスマエリーリョ』『素朴な詩』『自由詩』の三冊ですが、当時『自由詩』は未発表で、まだ整理されていませんでした――だけを挙げて、この彼の詩集の未来の編集者に対して、こう述べています。
 「詩ですが、『イスマエリーリョ』以前のものは、いっさい活字にしないでください。すべて駄作です。その後の作品はそれなりのもので、わたしとして、こころを込めて作ったものです」(青木康征訳、『選集』1所収)
 しかし、もちろん彼の全集を編集した者は、だれも彼の指示に従っておりません。
 もし従ったならば、「死んでしまったぼくたちの兄弟に十一月二十七日」(マドリードにて、一八七二年)や「死者」(メキシコにて、一八七五年)などの重要な詩篇や、彼の伝記を書くために必要であり、かつ彼の詩的表現の展開を知るうえで不可欠である、永遠に美しいテキストを知ることはできなかったでしょう。
 マルティが考えた作品の境界線『イスマエリーリョ』は、たいへん意味深いものです。一八八一年以前に書かれた詩と、この年以降に書かれた詩との間には、凝縮度や独創性に関して、質的な違いがはっきり見受けられます。
 池田 『イスマエリーリョ』の意義について、博士は「バイタリティと迅速さと深遠な人情の機微にふれる表現技法を駆使することによる、文学の黄金世紀(十六―十七世紀)に活躍し、時代を特徴づけた世俗の詩人や神秘主義詩人が
 体現していたスペイン語的系譜の刷新」とおっしゃっていますね。
 ヴィティエール ええ。
 池田 さらに、これは選ぶのはむずかしいかもしれませんが、もっともキューバの人々に愛されているマルティの詩はどんな詩でしょうか。
 ヴィティエール キューバ国民がもっとも愛するマルティの作品が『素朴な詩』であることは、疑いえないと思います。
 池田 なるほど、わかりました。
 また彼は「自分の詩を集めることよりも、行動を積み重ねたいと思う」(一八八一年)とも書いております。
 ソクラテス流に言えば「善く生きること」に専心するマルティには、折々の詩を数え、詩集を編むことなど、二義的、三義的なことだったのでしょう。
 ヴィティエール マルティが“詩篇”の中の詩人である以前に、「行動」の詩人であろうとしたことは明らかです。
 詩を書くということは、彼にとってごく自然の行為であり、晩年の十五年間に、私たちの言語であるスペイン語において、今にいたるまでだれびともそれを超えられなかった高い知性や言葉の豊かさ、衝迫性を具えた表現に到達したのです。
12  大感動なくして真実の詩は生まれない
 池田 私が若き日に愛読したイギリスの革命詩人バイロンを連想します。彼も“詩篇”の中の詩人であることに飽きたらず、進んでギリシャの独立戦争に身を投じ、マルティ同様、それに殉じました。
 ところで彼は、どのように詩を書いたのでしょうか。ある構想を立て、推敲に推敲を重ねるタイプだったのでしょうか。
 反対に、かのゲーテがみずからの詩を評して「機会の詩」と言ったような、電光石火、即興的な創作を得意としていたのでしょうか。
 ヴィティエール 彼の書き方については、彼自身がこう言っています。
 「まず、ぼくはレールを敷き、それから機関車を動かします」
 「これから書こうとするものを、ぼくはまず、見なければなりません。そして、描かなければならないものの色彩や姿などを、ぼくのなかで創造し、検討し、再構築していくのです」と。
 また、「レビスタ・ベネソラーナ」誌において、彼が「もの書きは、絵描きのように描かなければならない」と断言したことを忘れてはならないでしょう。
 このような原則は、詩作品よりも散文のほうに当てはまるもののようです。マルティの手稿を考察してみますと、全体的に、散文はあまり修正が施されていないのに対して、詩のほうはさまざまな可能性が、あれこれ追究されています。
 彼自身はインスピレーション(霊感)というものを、非常に信頼していました。「詩というものは、(頭であれこれ考えて言葉を)追いかけていくべきものではない。(詩想が次々に湧き出て)詩が詩人を追いかけてくるのだ」と考えていたのです。そして「頭脳で書く詩を乗り越えようと格闘」していました。
 こうも書いています。
 「詩をはじめ、すべての芸術というものは、感動のなかに、崇高にしてゆくりなき感動のなかにあるものなのです。そのような原初の感動が、時満ちて、
 ある種の詩想にまで昇華され、ついに沸騰点に達したとき、詩が創作されるのです。それ以前のものは部分的で、詩としては不十分なものでしょう」
 池田 その点は、詩を愛し、少々詩作をたしなむ私にも十分に理解できます。
 詩は、人間同士を、また人間と自然、宇宙を結びゆく見えざる絆であり、人間を真に人間たらしむるコスモロジーの源泉です。
 「詩心」とは、人々の末梢神経にしか訴えないような瑣末な事象の間を右往左往しているのではなく、何ものかに突き動かされるような黙しがたい内的なうながしであり、宇宙生命と一体化しゆく大歓喜、大感動のやむにやまれぬ流露にほかなりません。
 こうした大感動なくして、いくら頭の中で言葉を操作していても、マルティが「どっしりした、高みをめざす、他を圧倒するような骨太の作品」(青木康征訳、『選集』1所収)と評した、魂を揺さぶるような優れた詩など生まれるはずがありません。
 マルティの言うように、「初めに感動ありき」です。その宇宙大の感動が、それに似つかわしい適切な言葉と出あったとき、末梢神経ではなく中枢神経を、そして万人の心の奥まで照射する、真実の“詩”が誕生するはずです。
 このような“詩”こそ、細部にこだわり、さまざまな技巧を凝らすのと反比例するかのように、マルティの時代にもまして、現代の文学や芸術から失われつつあるものです。
13  芸術とは「真実が勝利するための最短の道」
 ヴィティエール マルティの文学が、現代社会に受け入れられにくい理由もそこにあることを、私たちはすでに語りあってきました。
 また、表現様式(スタイル)について、マルティは、こう言及しています。
 「表現様式には、川のせせらぎ、葉の色彩、椰子の木の荘厳さ、火山の溶岩が備わっていなければならない」と。
 つまり、マルティは「(巧緻を凝らした)修辞学的手法に対して、自然に即した手法をもって」対抗したのです。
 この自然に即した手法は、唯一「新しく生まれ変わった人間」にふさわしいものであることを、マルティは示唆しているのです。
 その自然からマルティは、表現対象の本質と形、すなわち豊饒と同時に節度を、想像力の横溢と同時にその秩序づけを学んだのでした。
 ゆえに、マルティは次のように要約しています。
 「詩人が自分の考えを、ある形に収めていくということは、刀をその鞘にぴったり収めるようなものです。そのような人は表現様式をもっているといえるでしょう」
 また次の文は、彼の詩論の鍵でもあります。
 「芸術とは(表現対象に)真の敬意を払わずしては成り立たない、ひとつの形式である」そしてこのことは、次のような疑問文のなかで結論づけられています。
 「芸術とはいったい何なのでしょうか?
 真実が勝利を勝ち取るための、最短の道ではないでしょうか?
 と同時に、その真実を人々の心と頭脳に、輝きを失うことなく、永遠に存続させるための最短の道なのではないでしょうか?」
 池田 思わず膝を打ちたくなるような、簡明かつ肯綮にあたった芸術観ですね。
 それは、科学的真実のみが肥大化し、「人間いかに生くべきか」といった問いが宙に浮き、文学や芸術がその根を断ち切られて浮遊している現代の病を、まことに鋭くえぐり出しております。
 「川のせせらぎ、葉の色彩、椰子の木の荘厳さ、火山の溶岩」――このマルティの象徴的な言葉に、私は日蓮大聖人の自然観を重ねてみたいと思います。
 「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円かなるは天に象り足の方なるは地に象ると知り(中略)鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり(中略)毛は叢林に法とり、五臓は天に在つては五星に法とり地に在つては五岳に法とり」(御書五六七㌻)と。
 細かい穿鑿はさておき、そこに響きあっているコスモロジー再興への想いは共通しているはずです。

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