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日蓮大聖人・池田大作

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3 リーダーシップ――先覚者の苦悩と決…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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10  急進性と社会的暴力がもたらす野蛮性
 池田 そうしたマルクスの“功”の側面は当然のこととして、「ただ、性急すぎた」というマルティの言葉は、歴史的マルクス主義のアキレス腱――“二十世紀最大の実験”といわれる社会主義の歴史を通して露わにされてきたアキレス腱を、ものの見事にとらえた名言であると思います。
 これは、裏を返せば、「困難で自然な懐胎期間」を経た「漸進主義」的な革命へのマルティの希求を示しているといえましょう。私はそこに、ゲーテのジャコビニズム・急進主義批判にも通ずる、驚くほどの円熟した知恵が感じられてならないのです。
 私が多くの識者と対話するなかでも、漸進主義的なアプローチの重要性は一致した見方であります。
 ロシア革命の時代を生きた世界的なバス歌手シャリアピンは、そうした「性急な革命」への批判をこめて、回想録にこうつづっています。
 「彼ら(革命家たち)は、ごく普通の調子の健康的な歩調で、人々が仕事に行き、また、仕事から家に帰ってくるようなことに満足できなかった。彼らは、すぐに“七マイル間隔”の歩幅で未来に突進しなければならないと思ったのです」
 マルクス主義のもつ急進性と、マルティが描いた漸進主義的な革命の構想について、博士はどうお考えですか。
 ヴィティエール マルティのマルクスへの賛辞は批判的な賛辞であり、おっしゃるとおり、マルティはその方法論について異議を唱えていたのです。なぜなら、「害を指摘し、性急に解決しようとするのは得策ではない。害に対して漸進的な対策をとることを教えるべきである」と気づいていたからです。
 池田 ゲーテも、同じようなことを言っています。
 「本物の自由主義者は、(中略)自分の使いこなせる手段によって、いつもできる範囲で、良いことを実行しようとするものだ。しかし、必要悪を、力ずくですぐに根絶しようとはしない。彼は、賢明な進歩を通じて、少しずつ社会の欠陥を取り除こうとする。暴力的な方法によって、同時に同量の良いことを駄目にするようなことはしない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)と。
 ヴィティエール なるほど。一方、マルティのそうした主張にかなりの矛盾を感じとっている人たちがいます。
 というのも、マルティが求めたのは植民地に関する漸進的な対策ではなく、解放のための戦争であったではないか、というのが彼らの主張です。
 たしかに植民地であることを終わらせるためのなんらかの平和な解決法があれば、戦争などを行うことはなかったでしょう。
 マルティにとっても、さまざまな社会的問題を解決するには、(ときに暴力的手段に訴えざるをえない)政治的解放を求める方法とは別の方法が必要である、との考えが基本的に存在していました。
 パリ・コミューン運動そのものにとって逆効果をまねいた出来事(その挫折)の後、ヨーロッパ情勢に関するマルティの論評は、しばしば、このような問題の本質が何であるのかをはっきりと示していました。
 つまり、“社会闘争”に言及しながら、「人間の上に人間を置くことに警鐘を鳴らそう」と言っているのです。彼は「他の人々を利用する人間が必然的にもっている野蛮性」に対する憤りを共有しつつも、「限界を超えることなく、野蛮性を停止させ取り除けるような、その憤りの解決法を見つけるべきである」と考えていました。未熟な社会的暴力というものは、その帰結として、本来の目的の由々しき後退を意味するのではないでしょうか。
 池田 そのとおりです。それもゲーテが警鐘を鳴らしてやまなかったことです。先に語りあってきた「革命を終わらせる革命」「憎悪に対する戦争」「愛のための戦争」へのマルティのスタンスを考えれば、ことの本質は明らかです。
 ヴィティエール それらのことを踏まえつつ、マルティはヨーロッパの社会問題をアメリカ大陸にもち込むことは有害である、と考えていたことを付け加えねばなりません。
 革命を訴える演説のなかで、マルティは階級闘争を支持せず、貧しい者と富める者とが一体となった愛国戦線の結成を呼びかけているのです。たしかに個人的には、みずからの運命を「地球上の貧しい人々(たんに自分の国だけではなく)とともに」することを決意していましたが、その愛国戦線結成の意味するところは、国家として今は何をなすべきかという観点から、慎重に選びとられた選択肢であったのです。
 「ニューヨーク・ヘラルド」紙に発表した声明や、メルカードに宛てた最後の手紙は、明白にこのことに言及しています。それらは、アメリカ合衆国の介入によって「見栄っ張りで役立たずの寡頭政治」と「たくましい大衆――この国の有能で感動的な混血の大衆、
 白人も黒人もふくめて創造力にあふれた賢明な大衆」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)との間に不可避の戦闘が起きようとしている、その脅威を前にして書かれたものです。
11  「尊厳性」「品位」の回復が第一義の目的
 池田 マルティの絶筆となったメルカード宛ての手紙からは、彼が革命戦争を起こした目的がどこにあったかが、はっきりとうかがい知れます。
 「十四日間にわたり雑嚢とライフルをかついで難所や高所を歩いた。道すがら人々を立ち上がらせてきた。人間の苦しみやそれを癒そうとする正義への私の愛着は、まさに人々の魂の慈悲深さに根ざしているのだということを感じた。戦場はまちがいなくわれわれのものだった」(後藤政子訳、『選集』3所収)と。
 この、いかにもマルティらしい表白の意味するところは、革命戦争の第一義的な目的は人間の「尊厳性」や「品位」の回復にあり、そのための欠かすことのできない“足場”が「祖国」であるという確信でしょう。
 いかなるときも「尊厳性」や「品位」を手放さず、問い続けていったからこそ、マルティの訴えがつねに民族や人種、階級の差異を超えた普遍性の響きを伝えているのだと思います。
 ゆえに、パレスチナ出身の優れた文明批評家エドワード・W・サイードは、マルティやインドのタゴールを評して「彼らは死ぬまで民族主義者であることをつらぬきとおしたのだが、その民族主義のゆえに、彼らの批判的見解に手心が加えられることはなかった」(『知識人とは何か』大橋洋一訳、平凡社)と述べ、国家権力に批判的立場をとり続ける知識人として「模範ともいえる人物」(同前)と称揚してやまないのです。
 ヴィティエール この問題に関して忘れることのできないマルティの文章が二つあります。一つはハーバート・スペンサーの『今後の奴隷制度』(一八八四年)に関する書評です。もう一つは、一八九四年五月一日、ある記念式典に親友のフェルミン・バルデスが参加するにさいして、彼宛てに出した手紙です。
 書評においてマルティは、社会主義において「官僚という新しい階層」が出現するという危惧をいだいている点や、自分に有利なように国家の介入を求めようとする「烏合の衆」によるイギリス風「尊大さ」を非難している点、また未来の害悪をひどく心配しているのと対照的に、現在の不公正に対してあまりに無関心である点で、スペンサーと意見を共にしています。
 問題を敏速に掘り返した、この複雑な文章の終結部は、かなり大胆な物言いになっています――「われわれは政治にもの申したい。過ちを恐れるな、だが人々を安んぜよ! 安んぜしめる者は、過ちを犯すことはあるまい!」。
 池田 新しい官僚主義、人々の犠牲の上に成り立つユートピア思想……いずれも、ソ連型社会主義の深部を蝕んでいった病理です。マルティの炯眼は、いち早くそれを見抜いていたわけですね。
 それは「人々を安んぜよ」という言葉に見られるように、抽象的概念ではなく、現実に生き、働いている民衆の幸不幸が、つねに彼の念頭から離れなかったからでしょう。
12  極端と不正義を嫌うマルティの人間主義
 ヴィティエール フェルミンに宛てた手紙の中では、
 他の多くの思想と同様に、社会主義思想がもつ」二つの危険性に対して警告を行っています。
 一つは、外来の主義・運動に関する「未消化な」解釈の危険性について、もう一つは弱者たちに巧みに取り入り、利用するデマゴーグ(扇動政治家)についてです。そこには、以下の文が添えられています。
 「キューバ国民の場合、もって生まれた明るさに欠け、われわれに比べ、ぎすぎすした社会に見られるような危険はありません。言論による説得がぼくたちの仕事ですが、君は気取りなく誠意をもってやってくれることでしょう。問題はやり方を誤ったり、正義を過度に求めるあまり、崇高な正義を台無しにしてしまうことです」
 ここで注目したいのは、「言論による説得がぼくたちの仕事ですが」というところです。ここでまるで運命の糸に導かれるかのように、強く結ばれた二人の友情がふたたび、断ちがたいほどに強固に結び直されるのです。
 そうです。池田博士が感銘を受けられていた、あの青春時代に政治犯として捕らえられたときに、永遠に交わした友情が――。
 池田 『モンテクリスティ宣言』の中で、キューバ在住のスペイン人に訴えている個所が想起されます。
 「彼らがわれわれを冷遇しなければ彼らも冷遇されはしないだろう。尊敬すればみずからも尊敬されよう。鋼鉄には鋼鉄が、友情には友情が答える。アンティール列島人の胸のなかににくしみはない」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)と。
 ヴィティエール これまで挙げられた文章ではむろんのこと、
 詩人で画家のラファエル・デ・カストロ・パロミノの『今日と明日の物語』への序文や、パリ・コミューンに対するあらゆる言及において、マルティは社会正義を求めて「極端で誤った方法をとること」を拒否しています。
 もちろん、社会正義そのものに対しては、フェルミンに宛てた手紙の中で強く訴えています――「君とぼくは、つねに正義のための存在です。なぜなら正義がいかに歪んだ形をとろうとも、正義のための存在であり続けねばならないからです」
 これらの、バランスのとれた数々の発言と、「働く者の共和国」という構想とを結びつけて考えるとき、次のことが明らかになるでしょう。すなわち、「絶えずみずからの手を汚して働き、みずからの頭で考え、みずから誠実に働き、家族の名誉を敬うごとく、他の人々が誠実に働くことへの敬意」をつねにもち続けることによって純化される、漸進的な「社会主義的思想」にマルティは近いと思います。
 マルティのヒューマニズムはまたキリスト教的であり、古典的であって近代的であり、ラテンアメリカおよびカリブ海地域の状況のなかから、彼の生来の気質のままに創造されたものだったのです。
 池田 たしかに、キューバ革命党のニューヨーク評議会議長宛ての通達(一八九二年八月)に「われわれは、ただ一つの階級の利益のためにではなく、すべての階級に等しく利益をもたらすために、革命を継続する」とあるように、マルティの思想はプロレタリアート独裁といった考え方とは明らかに異質ですね。
 とくに、プロレタリアートの勝利に役立つなら「暴力」や「裏切り」「密告」なども、むしろ“善”として奨励するレーニンのような極端な倫理観は、マルティのどこを探しても見当たりません。
 ヴィティエール 残念ながら、マルティは雄図空しく銃弾に倒れ、(一九五九年のカストロによる革命まで)歴史上のチャンスは二度とやってきませんでした。一八九八年から一九五八年まで、キューバにとっては挫折の半世紀であり、唯一の選択しか残されていなかったのです。それは革命による急進的変革でしたが、これを守るための警戒を怠ることは、今なお許されないのです。

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