Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

2 民衆の教師――対話と行動の戦人  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

前後
11  民衆の幸福のための「自然に即した教育」
 ヴィティエール さて、マルティの教育観は、教育だけを孤立させる考え方であるとか、社会の限定された一部分を対象としたものにすぎないといった受けとめ方をすべきではなく、共和国のプロジェクトの本質的部分であると受けとめるべきでしょう。
 しかしながら、いずれにしてもそれは、明確な青写真として提示されているわけではないのです。
 マルティが身近に知ることとなった二つの教育システム――イスパノアメリカのシステムとアメリカ合衆国のシステム――に対する批評をしつつ、解答を模索するなかから現れてきたものなのです。
 池田 前に、マルティが未来のための「社会的プロジェクト」をもっていたのかというところで言及したのと、同じことが言えるわけですね。現実から離れたところで組み立てられた青写真ではなく、つねに民衆の側に身を置いて「現実」と格闘する――そこにこそ、真実に民衆を幸福にする社会への道が拓けていく、と。
 ヴィティエール ええ。前者(イスパノアメリカのシステム)については、極端に文学的な傾向があることや、イスパノアメリカ諸国の基本的支柱となっている農業の実態と乖離していること、科学や技術面での遅れなどについて厳しく批判を行いました。
 また、後者(アメリカ合衆国のシステム)については、過度にプログラム化された指導をはじめ、度量の広さのないもの、人気取りのためのもの、金儲けだけが目的のものなどを拒絶しました。
 彼が提起したのは、教育上の三要素――①科学的思考、②自然に即した知識を習得する仕事、③情緒の育成――のバランスでした。別の言い方をすれば、①現状に合わせた情報、②学習が発見につながるような個人としての経験、③倫理観を育む感性、でしょうか。
 これらすべては、マルティ自身が用いた決まり文句――「自然に即した教育」に要約することができるでしょう。
 これは、技巧に走らず、言葉で飾り立てず、役立たずでなく、という三つの意味においてです。
 国や時代の必要性や要請に合わせることによって、また祖国の基盤であると同時に世界と結びついている自然との、生産的かつ直接のふれ合いをもつことによって、教育は活気づけられていくということなのです。
 池田 妹のアメリア宛ての手紙の一節が想起されます。
 「木が見えますか? 太い枝に黄金色のミカンが、赤いザクロがなるには、どんなに時間がかかるかわかるでしょう。そう、人生を極めていくと、あらゆるものが同じプロセスを踏んでいるのがわかるのです。
 木と同じように、愛情は、種から苗木に、それから花を咲かせ、果実となるのです」――と。
 彼の自然観は、人生観とほとんど同義語であり、私はそこに、暴走しがちな近代科学に大きく疑問を投げかけたゲーテやトルストイの自然観と通底するものを感じます。
 ヴィティエール マルティの考えは、彼の生きた時代の学校教育という障害によって条件づけられているため、狭義の科学主義ではないか、との印象を受けるかもしれませんが、表現に留意し全体的に読んでいけば、マルティが科学教育を美的重要性(感情や想像力)や倫理的価値観とともに定着させていたことが、きちんと理解できるでしょう。
 科学主義でないことは、まず初めに行ったことが「情緒と科学のキャンペーン」であり、「想像力」の役割を取り戻すことであったことからも明らかでしょう。
 次に、倫理的価値観を重視していたがゆえに、二十世紀において大惨事を引き起こした「精神不在の科学」、すなわち道徳観念を欠いた科学技術がもたらす危険性についての警告を行いました。
 池田 よく理解できます。
 トルストイやガンジーが、客観性の装いのもとで、人生の意義とは無関係に、没価値的に肥大化し独り歩きしがちな近代科学の自然観に、強い疑問を投げかけたのは周知の事実ですし、ゲーテが、ニュートンの自然観に、時代を先取りするかのように執拗に反発したのも、同じ危惧によるものです。
12  教育こそ人間のもっとも根元的な営み
 ヴィティエール 一方、マルティの推奨する学校は、彼がアウトライン(輪郭)を描いていた共和国と同じように、(特定の宗教に関係のない)厳密な意味での世俗の学校です。宗教的でも反宗教的でもなく、自由な選択のための準備が整っており、良心の動きに干渉することはありません。
 教育方法に関していえば、マルティはもっとも自由な会話方式を好み、また生徒一人一人の独創性をもっとも大切にしました。
 そのやり方をとった最古の人はソクラテスでしょう。身近な師は、ホセ・デ・ラ・ルスや合衆国のブロンソン・オルコットです。そのもっとも明らかな例が「黄金時代」であり、「連盟」における教師ぶりでしょう。
 しかし実際のところ、彼のすべての仕事が巨大な教育的業績となっているのです。だからこそ、民衆は直観で彼を言い当て、彼ららしい木訥な節回しのなかで歌い続けたのです。“いつの世もマエストロ(師)”と。
 池田 マルティのすべての仕事は、巨大な教育的業績であった――まことに示唆深いご指摘です。まさに「教育」こそ、人間と社会の根本の目的です。
 アメリカ・コロンビア大学のサーマン博士(宗教学部長)は、あるインタビューで「社会における教育の役割について、教授はどのような考えをもっておられますか」と尋ねられたさい、こう答えたといいます。
 「私は、むしろこの質問は『教育における社会の役割は何か』であるべきだと思います。なぜなら、教育が、人間生命の目的であると私は見ているからです」
 私は、この一言に深く感動しました。
 「社会における教育の役割」を問うのではなく、「教育における社会の役割」を問うべきだ――ここには、透徹した人間観が表れています。つまり、「教育は、社会の一部分ではない。教育こそ、人間のもっとも根元的な営みである」という達観です。
 マルティをはじめ、世界史を彩る偉人たちの多くは、分野はどうあれ、その人格と生涯を見れば、広い意味での“教育者”そのものでありました。
 大衆の心を開き、その持てる可能性を十二分に開花させる“対話と触発”の名手なればこそ、それぞれの道で大事をなしとげることができたのです。
 マルティの人格、ふるまい、著作――その隅々にいたるまで、こうした偉大な教育者としての面目が輝きわたっております。

1
11