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日蓮大聖人・池田大作

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1 使徒と民草――無限の活力への信頼  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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3  ヴィティエール あなたが詠まれた詩「民衆」の中でたいそう豊かに、かつ美しく表現されているものにふれて、私は、一九五九年一月のキューバ革命勝利のときを思い出しました。
 大部分が農民によって構成されている反乱軍がハバナ市に到着すると、待ちかまえていた群衆が駆け寄り、入り交じって抱擁しあったのです。私にとって、一種忘れがたい感興で、「顔」という表題の詩を書きました。その詩篇の最後の部分が、あなたの作品と似ているように思えるのです。
 「ぼくの祖国の
  永遠の
  不死の
  生気を放つ顔は
  ぼくたちを解放するためにやってきた
  このつつましい男たちの顔のなかにある
  ぼくは彼らの顔を見つめる
  飢えや渇きを癒してくれる唯一のものを飲み
  食べるかのように
  ぼくは見つめる
  ぼくの魂を真実で満たそうとして
  なぜなら彼らは真実そのものなのだから
  なぜなら
  本にでもなく
  詩にでもなく
  風景画にでもなく
  記憶にでもなく
  この農民たちのなかに祖国の本質が確認されるのだ
  祖国が蘇生する日であるかのようだ」
 池田 なるほど。発想の起点は同じですね。新しい時代の幕開けを目の当たりにしている、博士の魂の高揚が伝わってくるようです。
 私は、多くの場合、民衆は磨かれざる“原石”のようなものであると思っています。俗に“賢にして愚、愚にして賢”といわれますが、欲張りで、移り気で、弱虫で、長期の展望をもつことが苦手で……といった人間性の悪弊と、民衆もまた決して無縁ではありません。
 しかし、そうした悪弊を削り落とせば、民衆は内奥にダイヤモンドの輝きを秘めた“原石”なのだ、ヴィクトル・ユゴーがパリの薄汚れた浮浪児のなかに見いだしたごとき「非腐敗性」の持ち主なのだ、と見抜くことこそ大切です。
 ヴィティエール 大事な視点ですね。
4  百折不撓の闘争支えた“民衆への信頼”
 池田 それは、民衆がどうというよりも、私たちが、みずからも民衆の一人として、民衆というものの本質をそう見抜けるかどうかにかかっているでしょう。一度や二度裏切られようと、びくともしない、人間への、民衆への信頼感を体しているかどうかが、第一義的な問題です。そして、リーダーが“真金の人”であるか“メッキの人”であるかは、長いスパンで見れば、民衆は必ず見抜くものです。
 私は、マルティこそ、民衆を深く愛し、信じた“真金の人”であると思っています。
 マルティは語っています。
 「わが民衆には、粗悪な植民地の廃墟に健全な共和国を建設する力が備わっていることを、私は信じています」
 こうした“民衆への信頼”こそ、マルティ自身が民衆の信頼を勝ち得た最大の資質であった、と私は見ています。
 生活の大地を開拓するたくましいエネルギー。希望をもって前へ前へと生きぬく不屈の生命力――。百折不撓の彼の闘争を支えたのも、こうした民衆の無限のバイタリティー(活力)への信頼ではなかったでしょうか。彼自身もまた、偉大なる民衆の一人であったのです。
 ヴィティエール あなたがおっしゃられるように、“民衆”や“民衆の無限のバイタリティー”に対する信頼を、マルティがもっていたことは疑いえません。また同時に、彼は、民衆をよりよい状態に導くことが必要であると気づいていました。
 彼は次のように述べています。
 「民衆はすべて、共通の堂々とした、すばらしい何かを――空よりも広く、大地よりも大きく、星座よりも輝いていて、海よりも洋々としたものをもっています。それは人間の精神です」
 また、それと対比するように、鋭角的に、こうも述べています。
 「徳性だけが民衆のなかに、着実で誠実な幸福をもたらす」
 次のような言葉も、マルティの民衆観をよく表しています。
 「もっとも幸せな民衆とは、子どもたちによりよい情緒教育や思想知識を与えることのできる民衆である」
 「憎悪と愛情を、そしてときに愛情よりもより多い憎悪を、民衆は具えている。愛情だけが、太陽のようにそれらすべてを焼き、溶かすだろう。まるまる幾世紀もかけて、強欲や特権が積み上げてきたものを、抑圧された魂に必ず寄りそっている慈悲深い魂が、怒りを込めて崩すだろう」
5  魂の鍛えから生まれでる「偉大な民衆」
 池田 いずれも、すばらしい洞察です。民衆という、巨大なエネルギーを秘めた地底の深部の胎動――いわば“初期微動”――を敏感に察知できないような、傲り高ぶる国や社会は、
 ついには滅亡の道をたどらざるをえません。
 日蓮大聖人は「賢人は、安全な所にいても危険にそなえ、佞人(邪な才知の者)は、危険な状態であっても、それを察知せず、対処もせずに安穏ばかりを願う」(御書九六九㌻、趣意)とつづっています。民衆という巨大な流れをおろそかにすることは、この佞人そのものでありましょう。
 ヴィティエール 同感です。
 さらにマルティは、「もっとも偉大な民衆とは、節度を欠いた不均衡な豊かさによって出現した残酷で下品な男たちや、エゴイストで金銭で動く女たちではない。偉大な民衆とは、その国土の大きさがどうあれ、心の広い男たちと純真な女たちによって成り立つ民衆である」と。
 激しい演説のなかでさえ、「民衆、苦しんでいる多くの人々が、革命の真の指導者である」というふうに話を始めながらも、マルティは忘れることがなかったのです――「民衆は、創造の汗を流すとき、いつでもカーネーションの芳香を放つわけではない」ということを。
 まさにそれゆえに「騎馬隊に入隊しなければならない理由(平和を欲しつつも、あえて武器をとらざるをえない理由)」があり、「死を熟知している人たちこそ、天翔る想像力の持ち主である」ということを。
 マルティの典型的な(相反する“正”と“反”の力が拮抗しつつ、止揚合一される)弁証法的考察なのです。
 池田 よくわかります。マルティの言う「偉大な民衆」とは、矛盾に満ちた現実の真っただ中に身を置き、多くの苦労や葛藤によって鍛え上げられていく――弁証法的に高められていく――堅忍不抜の“魂の光”そのものであったのでしょう。
 私は、ハーバード大学での第一回の講演(「ソフト・パワーの時代と哲学」一九九一年九月)で、パスカルの信仰観などに言及しながら、真に内発的なものは、良心の苦悩や葛藤、逡巡、熟慮、決断を経てこそ生まれでるものであると訴えました。すなわち徹底した魂の鍛えです。それによって、“原石”はダイヤモンドの光沢を放っていく――。
 ヴィティエール そのほか、マルティが民衆救済のために献げたのは、神聖なほど毅然とした品格でした。それは行動に裏打ちされながら表現されるとき、一目瞭然です――「神々しいほど高潔な精神の人でなければ、民衆の平和と生命を語る資格はない」と。
 あるいは、ときにこう問いかけている――「民衆のために苦しむという喜びをもつことなくして、すなわち、何かを成したいという自己の偉大な情熱さえも犠牲にする覚悟なくして、なんで尊敬に値する人間といえるのか、なんで民衆の子どもといえるのか?」。
 池田 崇高です。人間としてもっとも気高い「自己犠牲」の精神の表白です。
 仏教では、それを菩薩の精神といいます。そうした精神が、民衆一人一人の心をとらえ、幾重にも、そして幾次元にも、広く深く浸透していくことなくして、真の民衆の時代も、民主主義もありえません。
 ホイットマンが「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素があるからだ。新旧を問わず、あらゆる宗教的信念がそこにある」(『民主主義の展望』佐渡谷重信訳、講談社)と述べているゆえんも、そこにあります。
 この自己犠牲の精神――神々しい光を放つ魂の高潔さなくしては、偉大な人生も事業もありえません。
6  「祖国」への抜き差しならない熱情
 ヴィティエール 私も、そう思います。
 ところで、この民衆と不可分の概念は、祖国あるいは国家に関する概念でしょう。マルティの声明『キューバ革命に当面するスペイン共和国』(一八七三年)は、『国家とは何か』におけるアーネスト・ルナンの定義を思い起こさせます。マルティはこう記しています。
 「祖国とは利害関係の共同体、伝統の統一体であり、目的を同じくする、やさしくて慰めを与えてくれる愛と希望の連合体である」
 ルナンが「国家の存在とは、いわば日々の国民投票のようなものである」と述べているのにふれながら、若き日のマルティは(苛酷な弾圧下での)「十年戦争」の真っただ中で、キューバについて「キューバの国民投票は、殉教録である」と言明しています。
 池田 人間には、命を賭してでも守らねばならない大切なもの――それなくしては魂自体が“根無し草”になってしまうような、根本の大事があります。マルティの語る「祖国」には、声高な「国家主義」などとは似て非なる、そうした抜き差しならない祖国への熱情があふれています。
 今日、進みゆくグローバリゼーション(世界の一体化)のもとで、深刻に叫ばれている「アイデンティティー・クライシス」(自分が自分であることの心もとなさ)も、現代人に、こうした根本の“足場”が欠けているゆえの病理ではないでしょうか。
 ヴィティエール 確かなことは、
 キューバ独自の個性的で味わいのある文化の表現や国民感情は、十八世紀末以降、急速に支持を得て、白人と黒人、金持ちと貧乏人、大地主と農民との社会的融合が始まったということです。
 若き日に、あのような言明を行ったマルティは、その二十年後、キューバ革命党が実際にキューバ民衆の先導者となれるように、と願っていました。スペインからの移民であれ、キューバ島出身の者であれ、民衆は国家と革命と一体化していました。
 この理解のためには、ヨーロッパや宗主国諸国に起こった革命――フランス革命がその実例ですが(フランスに続いて起こった革命を実例とは思いません)、このような革命と、植民地諸国に新しい国家をもたらそうと起こした革命を区別しなければならないでしょう。
 キューバの場合、一八六八年十月十日以降、とりわけ革命の創始者は独立の熱望と奴隷制度の廃止という目的を一致させており、マルティがことのほか強く訴えていたのはアメリカ合衆国からの解放でした。(マルティが憂慮していたように)アメリカ合衆国では民主主義は奴隷制度と共存可能でしたし、今日にいたるまで人種差別を一掃することができないでいます。
 池田 マルティは、短兵急な政治的解放にとどまらず、いわば“人間総体の解放”をめざしていたわけですね。キューバが“世界でいちばん人種差別のない国”と言われる理由もわかるような気がします。
 一人一人の“人間革命”を起点とした私どもの運動も、政治・経済・教育・文化という社会のあらゆる次元にわたる“総体革命”をめざすものです。そこには、想像を絶する苦難があり、多くの敵対勢力の浅薄な誤解や奸計もさけえません。
 私は、マルティの気宇壮大な革命観を知るほどに、彼が背負った使命の重大さと、その辛苦の深さに思いをはせざるをえないのです。
 ヴィティエール マルティは、真の人間解放を志向していました。だからこそ、その闘いのさまざまな過程のなかで、社会的・政治的に唯一の革命の名に値する革命の原理、すなわちやがてキューバ独立宣言ともいうべき『モンテクリスティ宣言』(一八九五年)において確立する原理が、デザインされ始めたのです。
 別の言葉で言うならば、真実の民衆――たとえば今日、平和時も戦時も、帝国主義の貪欲さや傲慢さに対して、(大国に隣接している)地政学的宿命ゆえに絶え間なく抵抗を続けるとともに、個人としての行為と共同体としての公正さとの均衡をはかり、かつ、さらなる自由と正義の獲得のために、ますます広がり深く根づいていく革命的民衆の構想です。
7  二十一世紀の主役「革命的民衆」
 池田 いささかも現状をよしとすることなく、高く掲げた理想の旗のもと、絶えず新たな一歩のなかに自己を更新し続けてやまない革命的民衆――そうした民衆によって担われる革命運動が、千波万波の広がりを見せなければ、真の革命などありえません。私どもの言葉で申し上げれば、不断の“人間革命”ということです。
 その一点を忘失して、いかに制度をいじろうと体制を変えようと、所詮は権力者の交代劇の域を一歩も出ないことは、近代の革命史が、幾多の苦い経験とともに、われわれに教えてくれているところです。
 そして、マルクスの言う「失うものは鉄鎖のみ」は極論にしても、民衆(それに象徴される社会的弱者)は、もっとも“持たざる”立場にあるがゆえに、そうした挑戦と自己革新の可能性をもっとも秘めた存在でもあります。
 ヴィティエール マルティは、そうした次元に、つねに眼差しを注ぎ続けていました。
 池田 博士のマルティ観を拝聴しながら、私は、十九世紀フランスの優れた民衆史家ジュール・ミシュレの民衆観を想起しました。
 一八四七年から四八年、フランスの二月革命の胎動に耳をそばだてながら、ミシュレがコレージュ・ド・フランスで学生たちに訴えた連続講義に、こんなくだりがあります。
 「成長しているのは誰でしょう? 子供です。渇望しているのは誰でしょう? 女です。熱望し上昇してゆくだろうのは誰でしょう? 民衆です。そこにこそ、未来を探し求めねばなりません」(『学生よ――一八四八年革命前夜の講義録』大野一道訳、藤原書店)
 少数派で無知で弱小に見える者も、否それゆえに、無限の未知の可能性を秘めた、夢を託しうる存在なのだ――このような、ミシュレの民衆観に脈打っている弁証法的ダイナミズムこそ、マルティの「革命的民衆の構想」と強く響きあっているのではないでしょうか。
 そうした民衆観に、満腔の共感をおぼえるからこそ、私もつねづね「もっとも不幸を味わった人こそ、もっとも幸福になる権利がある」と訴えてやまないのです。
 ともあれ、マルティの言う「革命的民衆」こそ、二十一世紀の人類社会の“主役”になっていかなければなりません。
8  「民衆の心を変える」――革命家の核心
 池田 さて、マルティの民衆観においても、多くの点で、インドの“魂の父”マハトマ・ガンジーと共通するように思えます。
 インドのネルー首相が、ガンジーの登場は、インドの「民衆の心の持ち方を一変させた」(前掲『インドの発見』)と述べたことは、この対談の初めにもふれましたが、民衆の心から権力への“恐れ”を取り除くことこそ、ガンジーの民衆観の眼目でした。
 ガンジーは言います。
 「この上なく独裁的な政体ですらも、被支配者の同意――しばしば独裁者によって強制されることはある――がなければ、もちこたえることができないものだ。臣民が独裁的な力を恐れなくなったが早いか、独裁者の権力は失われてしまう」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)と。
 ここに、あの“塩の行進”をはじめ、民衆の大いなるうねりによって祖国の独立を実現した、ガンジー主義の核心があります。
 民衆の心を変える――。この一点に、マルティもまた生涯を賭したのではなかったでしょうか。
 ヴィティエール マルティとガンジーの共通性については、数年前に、プエルトリコのホセ・フェレル・カナレス先生が著述されたものがあります。これを読んで、アッシジの聖フランシスコが「子どものように素朴で、汚れのない真心で敵にさえ優しく親切であったこと」を、南アフリカでピアソンに思い起こさせた、かの「弱々しい小柄な男性(ガンジー)」のことを思い出しました。
 一方、この男性(ガンジー)は、ロマン・ロランに「無数の人々を蜂起させて大英帝国を崩壊させている男が、ここにいる」と言わせています。
 池田 ロマン・ロランといえば、一九三一年十二月、スイスのレマン湖畔で療養していたロランを、ロンドンでの円卓会議を終えたガンジーが、帰国の途次に訪れた出会いのシーンは、心を揺さぶられます。
 病気を押して別荘の入り口で迎えるロランに、ガンジーは合掌しながら近づいてきた。眼鏡をかけ前歯の抜けた小柄なガンジーは、右腕で、背の高いロランを抱き寄せるようにして、肩に頬をすり寄せた。そのとき、ロランは、聖ドミニコや聖フランシスコの接吻を感じたそうです。ロランは、ガンジーの手足の繊細な動きのなかに、類まれなる自己統御や精神性の凝縮を感じとっています。(『書簡』Ⅹ蛯原徳夫訳、『ロマン・ロラン全集』42所収、みすず書房、参照)
 ヴィティエール あれこれ思いをはせながら、私は、マルティの一周忌にニューヨークでマヌエル・サンギリィが行った講演を思い出しました。彼は、キューバ革命党の創設者(マルティ)について、次のように言及しています。
 「華奢で弱々しい右手を差し出しましたが、血に染まった剣はもう震えていませんでした。監視下にある武器を持たない植民地の沈黙と翳りのなかで、最後の戦闘に臨もうとする英雄たちからなる勇猛なレギオン(古代ローマの軍隊、ここではマルティのもとに結集し、その遺志を継ぎゆく民衆をさす)が、ギリシャ伝説に出てくる戦士のように、大地から立ち上がっていました。孤立無援のように見えた一人の人間(マルティ)が、利害のしがらみを超えた展望を切り拓き、尊大で抑圧的な君主国は危機に立たされたのでした……」
9  「苦闘する人」にどう対応するか
 池田 マルティはこう言います。
 「民衆は無知であり、眠っている。その扉の前に先に着いた者は、美しき詩を歌い、民衆を燃え上がらせる。そして民衆は奮い立つように叫ぶのである」
 また、「真実は、貧困に苦しむ人、苦闘する人の前にあって、より明らかになる」――すなわち、哲学であれ、宗教であれ、あるいはなんらかの信条であれ、それが本物であるかどうかは、「苦しむ人」「苦闘する人」にどう対応するか、対応できるかによって決まってくる、という趣旨でしょう。すばらしい洞察です。
 彼の根底には、塗炭の苦しみに沈む庶民への痛切な「同苦」の心が波打っておりました。
 ヴィティエール おのおのが属する民族のなかのみでなく、人類の指導者と呼ばれるにふさわしい人々にとって、一般的な文化としての宗教や哲学の違いはあまり重要でない、とするあなたの考えに、心から同意いたします。
 そのような人物は精神的行為の成果そのものにおいて一致している、とおっしゃられていますが、その一致点こそ、まさにあなたの指摘された――“「苦しむ人」「苦闘する人」にどう対応するか、対応できるか”という能力でしょう。
 池田 そのとおりです。「苦しんでいる人々」を、どう救うか――。ここにこそ、人類をリードするいっさいの哲学や指導者論のエッセンスが凝縮しているからです。
 このことを日蓮大聖人は、法華経の力用を述べるなかで「地獄界の一人、餓鬼界の一人、ないしは九界の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。たとえば、竹の節を一つ破れば、他の節もそれにしたがって破れるようなものである」(御書一〇四六㌻、通解)と明言しています。現実に「苦しんでいる一人の人」こそ、ポイントです。
 ――ある日、メキシコの街を歩いていたマルティが、ふと立ち止まって目をやったのは、貧しい二人のインディオでした。
 男は背中に、食べ物と土鍋を縛った大きな荷物を背負い、女は眠った幼児を背負っていた。物売りのために、遠くから街まで裸足で歩いてきた人々でした。
 マルティは長い時間、その姿を見やっていた。そして叫びました。
 「かわいそうに!」
 インディオが履物を履いて歩けるようになるまでは、アメリカ(イスパノアメリカ)は解放されたことにはならない!――これがマルティのあふれ出る叫びであったはずです。
 まことに、民衆のなかに生まれ、民衆の辛苦と悲哀を生活実感として知る者こそ、「民衆の心のもち方を一変させ」うる者でありましょう。
 日蓮大聖人も、「日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ旃陀羅せんだらが家より出たり」と、自身が貧しき漁師の家の出身であることを、むしろ誇りに満ちて、力強くつづっております。民衆救済への大感情に生きぬいた巨人でありました。
 また、恩師も口癖のように「貧乏人と病人をなくそう」と語っておりました。
 ヴィティエール あなたは、新たに日蓮や戸田城聖とホセ・マルティとの共通性について言及されておいでですが、とても大切なことでしょう。みずからのすべての天賦の才能をもっとも恵まれない人々に捧げた人を優れた人間であるとする認識に立てば、このような人間が精神的に融合していくことは、東西間(あるいは同様に南北間)の実り豊かな対話を構成するために、このうえない良い出発点になると思います。
 このことは差異を消し、顔の見えない文化を提示することを意味しておりません。歴史的にその背景を理解するならば、差異は理解不可能とか対立の原因ではなく、相互に豊かになるための契機となるのではないでしょうか。
 おのおのの文化の独自性を尊重するならば、その多様性のハーモニーは普遍性の要となるでしょう。普遍的な人間性とは抽象ではなく、肉体をもった、生きている明確な精神なのです。
 あなたの師である戸田城聖は口癖のように「貧乏人と病人をなくそう」と語っておられたそうですが、これはこれまで人間の心からの願いでしたし、現在においても同様でしょう。
10  “素足の群衆”への「親しみをこめた声」
 池田 深いご理解に感謝します。
 近年、「文明の衝突」ということがしきりに取り沙汰されています。しかし本来、異なる文明や文化間の関係というものは、たがいの文明・文化の真髄へ誠実に迫っていくならば、さけられぬ“衝突”などありえない。必ず共鳴することができる――これが私の確信なのです。たがいへの理解が表層だけにとどまっているから、誤解や偏見が折り重なり、
 ついには憎悪と暴力による抗争にエスカレートしてしまうのではないでしょうか。
 オルテガ・イ・ガセットは「暴力は野蛮の大憲章」(前掲『大衆の反逆』)と喝破していますが、それと対比していうならば、まさしく「対話は文明の大憲章」であります。今こそ人類は、文明間の実り多き“対話”へと英知を結集すべきです。
 ヴィティエール 幸いなことに、キューバの解放者たちは、やむなく暴力を行使せざるをえなかったものの、それは、たんなる自由を獲得するということにとどまらず、正義を掲げ、正義なくしては絵空事になってしまう真の自由を達成するための、やむをえざる選択だったのです。
 マクシモ・ゴメス将軍の人物素描のなかで(アントニオ・マセオとともにすでに十年戦争の傑出した古参兵であり、ふたたび戦場に戻る決意をしていたころです)、マルティは二人で一緒にサントドミンゴで愛国者たちの歓迎を受けたときの様子を、次のように語っています。
 「将軍は窓辺につめかけ、素足でひしめきあっている群衆を前に、親友(マルティ)のほうへ目をやり、親しみをこめた声で語りかけたのです。『このような人々のために私は力を尽くしているのだ』と。その声を、世界の貧しい人々は忘れないでしょう」
 “素足の群衆”に絶えず私たちの関心を向けさせる、その「親しみをこめた声」はまた、ホセ・マルティの、マハトマ・ガンジーの、戸田城聖の、牧口常三郎の、日蓮の声なのです。
 池田 同感です。民衆への深き愛情こそ、偉大な指導者に共通する心です。
 日蓮大聖人も、つねに庶民の心に深く語りかける民衆愛の人でした。
 信徒への手紙の多くは、漢文ではなく平易な仮名まじりの文体でつづられています。そして、ある女性信徒への手紙では、こう語りかけています。
 「日蓮を恋しく思われるならば、つねに出づる太陽、夕べに出づる月を拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身なのです」(御書一三二五㌻、通解)
 こうした、実の親もおよばないような、あふれんばかりの情感をこめた激励を、間断なく民衆に送り続けたのです。
11  確かな目だけが民衆の真実を見抜く
 ヴィティエール ここで少し、マルティの革命家としての思想について話を進めることとして、重要な演説の一つである「タンパとキーウェストの式辞」(一八九二年)を取り上げてみたいと思います。
 「民衆は火山のように、見えないところで孜々として営みを続けている。確かな目のみが、その民衆の真実を見抜くだろう。
 ある日、山は火の冠を戴き、真実はマグマのように、あえぎつつも力強く、その勢いはとどめようもなく、噴火が近づくまではみずからの真実に気づかない、この世の温和で能弁な人々を、山の頂点にまで押し上げるのだ。
 深部に息づき、時満ちて頂上へ駆け上る様の、何とすばらしいことか!」
 こうしたイメージ(すでに十分すぎるほど、イメージによって思考してきました)は、イスパノアメリカの解放についてマルティがいだいていたイメージ、すなわち勢いを秘めた、深部で形成される、火山に擬したとらえ方と、ぴったりと重なってきます。その概念において、民衆は土壌というよりも、歴史的深層であり、積年の不正義によって蓄積された神秘の火であり、使徒の“見者”の眼のみが察知することができ、ある日、革命的高揚のなかで抑えきれずに爆発するものです。
 池田 時を得て噴出してくる民衆のすさまじいエネルギーが、眼前に展開されてくるような、絵に描いたようなイメージですね。卓越した詩人の面目が躍如としております。
 日蓮大聖人は「見者の眼」のことを「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」としております。この「時」とは、たんなる平面的に去来する時間の経過ではない。そのとき、民衆が心の奥底で何を望んでいるかを、意識の表層を突き抜けて、あなたのおっしゃる深層次元で見抜いていかねば事は成就しないであろう、との戒めです。
 それにしても、その「時」を見誤り、“マグマ”に押し流されていった指導者の何と多いことでしょうか。
 ヴィティエール ええ。(南米)大陸で、すでに知られていたことですが、(革命という)“大惨事”の不意打ちを受けて旧体制が壊滅してしまうという教訓を、まだまだ骨身にしみていなかったキューバの人々に対して発した、マルティの警告は、“民衆とともに連帯することがもっとも大切である”ということでした。なぜなら、マルティにとって、“民衆”とはたんなる住民でもなく、あらゆる階層の集合体――もとより、彼らを分断させたり対立させたりすることを、マルティは極力回避していましたが――でもなく、まさに“抑圧された人々”だったからです。
 「他の(ラテンアメリカの)あらゆる地域と同じように、私たちの祖国で社会的なるものがすでに政治的なるもののなかに含まれている(社会事象のすべてが政治化する)こと」を認識していたマルティは、だからこそ、シモン・ボリバルの功績に関する社会的、政治的総括を行う一年前、論文「われらのアメリカ」(一八九一年)において、ためらうことなく、こう述べたのです。
 「圧制者の利益と支配慣習に反対する制度を確立するためには、被圧迫者たちの共同戦線を張るべきであった」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)
 「もし天才的な人間だったら、心に創造者のような愛情と勇気を持って、そのはちまき(=をつけた庶民)とガウン(=を着たエリート)の調和をはかったことだろう。インディオを解放したことだろう。たくさんの黒人を味方にしたことだろう。自由を求めて蜂起し、勝利した人びとの体に自由をあてがったことだろう」(同前)
 池田 マルティは、「時」を知っていたということですね。
 同じ論文の中で、マルティは、ラテンアメリカ諸国で革命が勝利したのは「救済者の声でときはなたれた大地の精神を持っているため」(同前)であり、「政治は大地の精神を持っておこなうべきであった」(同前)と喝破しております。「大地の精神」という象徴的な言葉の意味するところは、当面の課題を目の前に据えたとき、彼の前に鮮やかな相貌を現してくる“現実(リアリティー)”そのものであったろうと、私は思っております。
 ヴィティエール マルティは、未来のキューバ共和国のための社会的プロジェクトを描くまでにはいたらなかった、といわれています。
 しかし、キューバにはもうすでに存在していなかったインディオの問題はさておき、抑圧者(スペイン人およびキューバ生まれのスペイン人)に“対抗するシステム”を形成しようとした意図は、そのようなプロジェクトに属するものではなかったでしょうか。
 マルティの意図は新しい“植民地システム”――すでにアメリカ合衆国が利用し始めており、ラテンアメリカ諸国を植民地から共和国へと移行させたにもかかわらず、根強く生き続けている新しい“植民地システム”――とは異なり、また、このシステムと一体化している寡頭政治のたんなる交代劇とも、まったく無縁のものだったのです。
 すべての鍵は“深層”の側に、抑圧されている社会勢力の側に――民衆の側に徹して身を置くことにありました。
 それは、現在も同様でしょう。今日、この地球の大半を占めている、飢えて病んでいる“素足の群衆”の側に身を置くことが、鍵なのです。
12  人間総体、人類全体の解放をめざして
 池田 マルティには社会的プロジェクトがなかったとする見方への、あなたの反論に、私も共感します。
 社会的プロジェクトや青写真を過度に明確化することは、大きな危険をはらんでいます。なぜなら、それは、生々流転しゆく「現実」と必ずどこかで適応異常を起こし、そのさい、みずからを「現実」に合わせて矯めようとせず、みずからに合わせて「現実」を強引に裁断しようとするからです。いわゆるユートピア思想やメシアニズム(救世主信仰)の怖さです。
 それが、近代史にどのような爪跡を残してきたかは、あらためて指摘するまでもないでしょう。
 おっしゃるとおり、社会の“深層”である民衆の側に徹して身を置くこと――この根本の一事を、どこまで貫けるかが、あらゆる革命思想の試金石ともいえるでしょう。
 先ほどふれたミシュレが問うたのも、まさにその一点でした。
 マルクス主義革命が、プロレタリア階級(無産者・労働者階級)の独裁と、所有制度の打破をめざしたのに対して、ミシュレの革命観は、人間総体、人類全体の解放を志向するものでした。
 ヴィティエール マルティは、マルクスを評価しつつも、マルクス主義的な革命観の弱点を、よく知っていました。
 池田 一部の階級の勝利も、それが他者を排除する“独裁”であるかぎり、決して人類の解放につながらない。むしろ、新たな抑圧と抗争の火種とならざるをえない。
 ミシュレは、このことを鋭く見通しておりました。
 問題は、民衆が所有関係から疎外されているという経済的状況だけではなく、一部の人間(階級)の特権化と、差別や憎悪を生む社会の構造そのものにあった。
 したがって、ミシュレの構想する革命は、政治、経済に限らず、教育、文化などのあらゆる次元にわたるトータルな革命であり、この根源的な人間自身の「精神革命」であったと私は見ております。彼にとっては、社会主義革命も、その“一部分”“一過程”にすぎなかったのです。
 ミシュレは、学生への講義で「革命は外的な表面上のものであってはなりません。(中略)革命は人間の奥底に行き、魂に働きかけ、意志に到達しなければならないのです」(前掲『学生よ――一八四八年革命前夜の講義録』)と語っています。
 この言葉は、マルティの「独立の問題とは、形式の変化ではなくして精神の変化である」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)という命題と、まったく同じ地平に立っているといえましょう。
 彼らのような総体的な民衆革命の構想者にとって、必要以上のプロジェクトや青写真に執着することは、無益であるばかりか、有害ですらあったはずです。

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