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日蓮大聖人・池田大作

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5 永遠の生命観――生も歓喜、死も歓喜…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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10  「死を忘れた文明」を生きる人々の羅針盤
 池田 エマーソンは、私も若いころに愛読した哲学者です。マルティは、エマーソンの数ある著作の中で『自然』を最良の書物である、としていますね。
 ところで、本章のテーマである「生も歓喜、死も歓喜」ということでいえば、マルティがエマーソンに寄せて語っているすばらしい言葉にふれずにはおれません。
 「死はひとつの勝利であり、正しく生きた人にとって、柩は凱旋の馬車となる。涙は喜びの涙、悼みによるものではない。なぜなら、生が彼の手足に刻みつけた傷は、すでに薔薇の葉で蔽われているのだから。正しき人の死は祝祭だ」(「エマソン」内田兆史訳、『選集』1所収)と。
 もう一つ、マルティの言葉を引用させてください。
 「自分自身の内に、永遠のものを秘めている人間は、永遠のものを育む。また永遠のものを育まないと、自分を堕落させ、後退させていく。自分自身の中に高邁な、永続的なものを見いだせない人間は、はかないことに隷属し、自分を売り渡してしまう」と。
 ヴィティエール マルティにとって宗教は、ある歴史的に生滅する文化形態でしたが、また同時に彼は、人間性本来の、自然な、生まれながらにして備わっている宗教性を信じていました。
 教義もない、また理性と対立することのない、そうした人間の宗教性に関する洞察、その確たる会得は、未来の宗教、あるいは人間解放の宗教をもたらすでしょう。
 未来を先取りしている、あらゆる宗教の明確な一致点は、死がいっさいの終わりであることを受け入れていないことです。
 「死は生の隠された形である」という、ホイットマンを論じた文章に要約されるように、マルティのあらゆる主張は、ここ、すなわち死がいっさいの終わりではない、ということを基点として発せられているのです。
 池田 仏法では、法華経に「無有生死」とあるように、生命は三世永遠と説きます。その実相から見るならば、本来、生も歓喜であり、死も歓喜であります。
 日蓮大聖人は、「自身の永遠の生命の大地を、生と死を繰り返しながら歩んでいくのである」と説いています。(「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」)
 ゆえに私は、ハーバード大学で二回目の講演を行ったさい(一九九三年九月)、テーマを「生も歓喜、死も歓喜」としたのです。
 仏教の生死観、永遠観にも通ずるマルティの達見は、「死を忘れた文明」といわれる現代を生きる人々に、またとない人生の羅針盤を示しているといえないでしょうか。
11  生死を超えて魂の充足感
 ヴィティエール あなたが思い起こさせてくださったように、先ほど述べたような(透徹した楽観主義の)信条を知れば、マルティの生涯を、悲観的な、苦悩に満ちた人生であったかのように思い描くことはできません。
 マルティは、自然や芸術の美しさを心から愛し楽しむ、造詣の深い人でしたが、そのうえ彼自身が「エマーソンの午後」と呼んだように、言葉に表現できない幸福を経験しています。
 マルティは、愛情にみちた結婚の喜び、友情による慰め、詩というエクスタシー(恍惚)、そして何にもまして幸せだったのは、“義務を遂行した”というかけがえのない喜びを知ったことではないでしょうか。
 彼は、「自然の恵みの最たるものは、一身を捧げた者をして、目的を達成させることである」と、それを経験したものとして記しています。そして彼は、最後の瞑想の時間に悟りを得ました。
 「殉教、ここに平穏がある」――この言葉に、マゾヒズムはいっさい存在しません。
 マルティが崇拝していた聖テレサのように、こう言うことも可能でした――「苦行のときは苦行を行い、楽しむときは楽しみなさい」と。
 池田 生死を超えて、わが使命に「一身を捧げた者」だけが知る“安穏の楽”ともいうべき深い喜び、安らぎ――そこにこそ、奥底から湧き起こってくる魂の充足感があります。
 日蓮大聖人は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて」信仰に精進していきなさい、と門下を励ましております。現象面での苦悩を突き抜け、見下ろした――黒雲のはるか上空で輝く太陽のごとき、大いなる境涯を教えているのです。
 流刑地である佐渡での、日蓮大聖人の悠揚迫らざる境涯を、私の恩師はこう偲んでいます。
 「大聖人ご自身のお命も危うく、かつはご生活も逼迫しているときにもかかわらず、弟子らをわが子のごとく慈しむ愛情が、ひしひしとあらわれていることである。春の海に毅然たる大岩が海中にそびえ立ち、その巌のもとに、陽光をおびた小波があまえている風景にも似ているような感がある」(『戸田城聖全集』3)と。
 ヴィティエール マルティは、食事を調えるにあたってはだれよりも料理法に通じていましたし、食後は座の中心となって感動的な話をして、だれよりも会話を楽しんでいました。そうやって、ささやかななかにも人生の喜びを味わっていました。
 けれども、愛する母国で闘う運命を遂行することになったとき、そして初めて彼の身体から政治犯収容所の鎖が垂れ下がっているのを感じたとき、彼の魂が変貌したのです。
 彼が書いたのはそのときでした。四方に死の危機が迫りくるなかで、無理解に苦しみながら、すでに爆発的な勢いを得た暴力を目前にして――。
 「光だけがぼくの幸せに比肩する」
 「ぼくは自分のことを純心で気楽な人間だと思っている。ぼくのなかには何か子どもののどけさのようなものがある」
 そうです、池田博士、この生と死のドラマは、おっしゃるとおり「現代を生きる人々に、またとない人生の羅針盤を示している」といえるでしょう。

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