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日蓮大聖人・池田大作

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三世十方の仏土と宇宙観  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
3  池田 よくわかります。『法華経』は、そうした宇宙観を土台にして、法の永遠性と普遍性、ブッダの偉大さを説いているのであって、宇宙観を説くことを目的としたわけではありません。三世十方の仏土観とは、真理が普遍的であるがゆえに、それを覚ることも、時間的・空間的限定を受けないということを表しているといえます。つまり、仏教においては、あくまで“法”が根源であるということが、ここからもくみとれるのです。
4  カラン・シン ヒンドゥー教では、過去において、この太陽系はいうまでもなく、何百万という太陽系以外の世界においても、無数の神々が出現したし、また、未来においても無数の神々が出現するであろうと教えています。近年にいたるまで西欧の哲学者たちは、このような考え方を一笑に付したものでした。
 しかし、電波天文学の成果によって、この銀河系の中にも、何億という恒星が存在し、さらに、これまで観察された宇宙空間の中には銀河系と同格の星雲が何億と存在している事実が明らかになると、さすがに彼らも、われわれの伝統的思想を、大いなる敬意をもって見直すようになってきています。
5  池田 自然科学の発達にともなって、東洋の思想や宗教が前提としてきた世界観や宇宙観、あるいは物質観等々が、西洋人の受け継いできたものより真理に近いと判明していることが、種々ありますね。
 それは、西洋人が根本とした宗教が、時としてドグマ的なものであったのに比べて、東洋人の宗教はドグマ的でなく、したがって、客観的に認識・理解される世界観を重んじてきたことに一因があったといえます。もちろん、今日から見れば、きわめて浅い認識でしかないものも少なくありませんが……。
6  カラン・シン 今後、科学によって見直す価値のあるものも、多々あるでしょう。しかし、今もなお、この一つの微小な塵にすぎない惑星、地球においてのみ人間の意識が進化し、神が降臨されたのだと、頑強に主張して譲らない奇妙なほど保守的な意見の人々がいることも事実です。
 だが、この意見は愚かしいほど自己中心的な考え方ですから、いつまでも多くの人々の支持を得ることはできないでしょう。おそらく今世紀末までには、こういった考え方は、地球が平らなものであるとした世界観と同じくらい時代遅れになっていることでしょう。
7  池田 私は自然科学が解明した真理と同様、哲学や宗教のもっとも根本的な真理も、宇宙的普遍性・共通性をもっていると考えます。『法華経』が三世十方の仏が集まった会座で説かれ、それらの諸仏がこの『法華経』の説くところを真実なりといって証明する場面が描かれているのは、こうした普遍的真理が『法華経』の明かそうとしたものであることを示しています。
 したがって、もし仮に、どこか遠くの世界に、この地球上の人類とはまったく違った種類の高等生物が存在していたとしても、生命の原因・結果の法則――これは何が善で、いかなる行為が悪かという、倫理的規範と結びついていますが――についての認識は、少なくとも、その基本的な点ではたがいに合意に達しうるのではないかと想像しています。
8  カラン・シン もちろん、まったく同じ法則が、全宇宙の何百万という世界のすべてに当てはまるかどうかとなると、議論の余地があるでしょうが、おっしゃるような因果律、つまりカルマの法則は、普遍的であるように思われます。
 しかし、それさえも、われわれ人間が、その知力に限界があるために、傾向性として、既得の知識や概念を全宇宙に拡大し、適用しているだけにすぎないのかもしれないのです。ご承知のとおり、物質の作用を支配する“不変”の諸法則といわれたものも、極小か極大のいずれかに適用しようとすれば、通用しないことがわかっています。
 したがって、地球上では不変と思われている重力の法則が重力圏の外では働かないのと同じように、カルマの法則に束縛されないなんらかの種類の生物が存在することも、決して考えられないことではないのです。

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