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日蓮大聖人・池田大作

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仏寿の久遠の意味するもの  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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10  カラン・シン 私もあなたと同感です。一回限りの生ですと、時間が少なすぎて、カルマをまっとうすることも、また、個人の内面で精神的悟達を開花させることもできないからです。
 このことについて、私がよく使う譬喩があります。それは、一回限りの生というのは、ちょうど子どもがたった一日しか学校に行かせてもらえないのに、その一日で規定の教育課程を全部習得するよう要求されているようなものだ、ということです。
 また、現在、一方では何百万という人々が不潔と貧困に苦しみもがいているのに、他方には贅沢三昧の暮らしをしている人たちがいます。
 このように、人間は千差万別の条件のもとに生きているわけですが、どうしてそのように大きな差異があるのかについて、一回限りの生という考え方は、納得のいく説明をまったくあたえてくれないのです。
11  池田 まさしく、おっしゃるとおりです。生命が死を繰り返しながら永遠に続いていること、そして、そこに、原因・結果の法則にしたがってカルマを形成しているということ、これを前提にしてはじめて、各人のもっている異なった条件は説明できるといってよいでしょう。
 それとともに大事なことは、そうしたカルマによってただ縛られている存在であるととらえるのでなく、そうしたカルマに挑戦し、それを意志のままに転換できる強く偉大な生命の力を湧現していく道があるということです。
 それは、あたかも人類が本来、動物の一種であり、欲望や種々の本能に縛られた存在でありながら、それを超克する理性や倫理観、意志力を涵養してきたし、また、涵養しつづけていかなければならない、というのと同じです。

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