Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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『法華経』と釈尊の真意  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
11  池田 釈尊は宇宙の最高真理ブラフマンに目を向けることに偏った伝統的バラモン哲学を批判するとともに、それに対抗して現実存在に偏った六師外道の生き方をも否定しました。釈尊は、あくまでも現実を凝視するとともに、そこに空・無常を見て、伝統的バラモンと六師外道の両者をともに退けたわけです。
 しかしながら、その「空(シューニャター)」は、決して虚無主義のそれではありません。こうして、現実存在にとらわれる「有」や、その否定である「無」にともすれば偏りがちな門下たちの誤りを正しながら、中道の思想、いわゆる空・仮・中の三諦円融を完璧に説き示しているのが『法華経』だったのです。こうした『法華経』の示した真理を、自身の生き方のなかにあらわされたのが日蓮大聖人であったともいえるのです。
12  カラン・シン 「シューニャター(空)」という言葉に言及されましたが、これはまさに、仏教哲学のなかでももっとも不可思議で、理解のむずかしい言葉の一つです。語源的にいえば「膨らむ」「広がる」を意味する「スヴィ(svi)」という語根から派生したものです。おもしろいことに、ブラフマンという言葉も「膨らむ」「広がる」を意味する「ブリフ(br∴h)」という語根からの派生語なのです。この共通点は驚くべきものです。なぜなら、ヒンドゥー哲学も仏教哲学も、その基盤全体が、すべて究極の実在という問題にかかわっているからです。
 シューニャター(空)が有と無のいずれにも偏らない中道であるというあなたのご見解は、ニヒリズムの概念とヒンドゥー教のブラフマンの概念との中間に位置づけられるものです。ブラフマンについては、ムンダカ・ウパニシャッドに「自ら輝きつつ、万物を輝かしめるもの、つまり宇宙を照らす光」と述べられております。
13  池田 日蓮大聖人が『法華経』の示した真理を顕されたことは先に述べましたが、それが「南無妙法蓮華経」であり、今、博士が指摘されたムンダカ・ウパニシャッドとの関連でいえば、大聖人は、あらゆる仏天人、さらに地獄や餓鬼などの衆生も、この妙法の光明に照らされて本有の尊形となる、といわれています。いいかえると、宇宙万物も、人間の本能や欲望も、妙法を根本としたときに、その善性を発揮していくということです。

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