Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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民衆からの遊離
「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)
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池田
ナーランダーやヴィクラマシーラなどの壮大な学問の府が生まれたこと自体、仏教の内容が深遠であることの必然の結果といえます。それ自体はすばらしいことであり、文明の一つの壮麗な高峰に比すべきものといえましょう。私もそれを讃えることにやぶさかではありません。ただ、そうした高尚なもののみに偏ったところにひずみがあったのではないかといいたいのです。
どのように深い思想であっても、それが現実社会に生きる人々によって実践されなければ生命を失って観念論となりますし、思索は行動に移さなければ、閉ざされた世界での自己満足におちいってしまいます。
仏教は、たくましく人生を生きぬくための教えです。だからこそ、つねに人々の間で実践され語られていくべきものだと思います。私どもは、日常、庶民の集いである座談会を行い、そのなかで仏教の教義を学びあい、また実践と体験を語りあっていますが、それは仏教というものをそのように考えているからです。
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カラン・シン
仏教自体は学問の一分野ではないでしょうが、しかし学問性も仏教の重要な一要素として存続しなければならないと申し上げたい。
先にヒンドゥー教のヨーガのことを話しましたが、偉大な宗教であるならば、いずれも学問、献身、精神的な実践、活発な外的活動がみな同じ程度に必要であると私は思います。この四つの要素のうち一つでもなおざりにされると、体系全体が不安定な状態におちいります。教義と実践の関係は本質的に共生的なものであるべきです。実践なき教義は無益なものとなり、教義なき実践は無秩序で無意味なものとなるからです。
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