Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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都市型宗教の脆さ
「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)
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カラン・シン
ブッダの教えはあまりに長大であり多様であったために、滅後にさまざまな解釈がなされるようになりました。種々の部派が生まれて、それぞれブッダの教えの異なった要素を強調し、やがてブッダの教えの輝きは学問的な論争や解釈の泥沼のなかに失われていったのです。
ふつうの人間にとって、純然たる学問と化した宗教が自身の内的要求を満たすことはできないというのは、まったくそのとおりです。しかし、だからといって、複雑な哲学上の疑問に知らぬ顔をしたり、答えないままにしておいてもよいということにはなりません。また学習の方法をたんに単純化するのでなく、不当に単純化してよいということにもなりません。
死後、個人の霊魂はどうなるのかとの問いに、ブッダは答えなかったといわれました。ヒンドゥー教は、肉体の死後もアートマンが存続することを明快に仮定しています。『バガヴァッドギーター』の有名な一句(Ⅱ、22)は次のように述べています。「人が着古した衣服を脱ぎ捨てて新しいものを着るように、肉体に包まれた我もその使い古した肉体を脱ぎ捨てて他の新しいものの中に入るのである」。私はこの明快で明白な主張のほうが、とるべき態度としてより満足のいくものであると考えています。
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池田
もとより仏教も、死後の生命の問題について何も説かないで終わったのではありません。ただ、関心を向けるべき主たる目標が死後という抽象的論議におちいりやすい問題であってはならないと戒めているのです。
それは、また説法の対象となっている人が哲学的な人であるか、たんなる抽象論をもてあそぶ人であるか、現実的関心にのみとらわれている人であるかによっても、さまざまに異なった説き方がなされたことによるといってもよいでしょう。
カラン・シン
すべての宗教、とくにヒンドゥー教は、実際にはいくつかの異なった段階で機能しています。つまり、哲学の段階、組織または僧院の段階、そして民衆の段階があるわけです。仏教では「仏に帰依したてまつる。衆(僧団)に帰依したてまつる。法に帰依したてまつる」という偉大な祈りがその三つの大きな段階を表しています。
池田
仏教の歴史を見ると、今、博士がいわれた哲学の段階、組織の段階はきわめて充実していたが、民衆の段階が脆弱であったということができますね。ヒンドゥー教は組織の段階は弱かったが、とりわけ民衆の段階で強かったといえるでしょう。
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