Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「デーヴァ」と「アスラ」  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
3  池田 仏教では、デーヴァは「天」と訳されて、『リグ・ヴェーダ』に登場するインドラを代表とするデーヴァたちは諸天善神となって、仏やその教えを弘める人々を守護する役割を担うことになります。アスラのほうは、阿修羅として、善神と戦う悪神であり、とくにつねに帝釈天(インドラ)と戦う鬼神とされ、須弥山の外輪の大海の底に住むとされています。
 さらに、仏教は、「十界論」といって、人間の意識活動それ自体の根源をつかさどっている“生命”を存在論的に、低次元より高次元へと、十段階に立て分けて論じています。
 これは、インド仏教の頂点である『法華経』で明かされたものですが、中国仏教の天台大師、そしてわが日本の日蓮大聖人においてはさらに発展しました。そこでは人間の一念(一瞬の思い)に三千の世界を備えていることを徹見して、「一念三千」という法理を説き明かしているのです。
 この十界の中で、アスラは第四に、デーヴァは第六に、それぞれ位置づけられています。しかし、これらは双方とも、無常を免れない低い世界として組み込まれているわけで、そこに、仏教以前のデーヴァとアスラの対立を仏教がどうとらえているかが現れています。
4  カラン・シン 仏教の分析においてアスラとデーヴァという用語がどのように使われているか、についてのあなたのご説明は興味深いものです。ヒンドゥー教の伝統では、この二つは、それぞれ人間の精神の暗い要素と明るい要素を表すものといえます。ヒンドゥー教においては、アスラのほうは、実際には歴史的・神話的な意義しか残っていません。
 しかし人間一人一人が自己の中にアスラとデーヴァの両方の傾向性を備えているという覚知は、人間の心の本質に迫るヒンドゥー教の一つの主要な洞察です。
 ついでながら、これは最近、西洋において、ユングおよび彼の信奉者からかなりの支持を受けている考え方です。
5  池田 たしかに、博士のおっしゃるとおり、人間一人一人が自己の心の内に二つの側面、すなわち、デーヴァとアスラ、明るい要素と暗い要素、善と悪、を備えているとの洞察はすばらしいものです。
 博士がその名を挙げられたC・G・ユング、あるいはかつて私が対談したA・J・トインビー等に代表される西洋の文化人が、東洋の叡智に大きな関心を寄せているのも、人間の内なる心の世界を、東洋の精神文化が西洋にもまして徹底して説き明かしているからであると思います。
 「心」の問題は、今後の人類の盛衰を握る最大かつ重要なテーマであるだけに、同じ東洋人として、私は博士とともに、この東洋の叡智による知見を世界に訴えていく使命と責務があると、ひそかに自負しております。

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