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日蓮大聖人・池田大作

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第十七章 チリにみる「人生地理学」――…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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9  “島国”の特性は全方位“開放性”
 池田 たしかに、島国・日本では独特の文化が長い歴史を通じて育まれてきており、その独自性が強調されることが多いのは事実です。さらに昨今では、それが“異質性”として論じられることも少なくなく、話題となったハンチントン氏の論文「文明の衝突」でも、日本は一つの文明として分類されてしまったほどです。
 私は、日本で花開いた文化を愛する一人でありますが、そこにはまた中国や朝鮮半島をはじめとするアジア諸国の強い影響を受けていることは否定できない事実です。
 日本の歴史を振り返ってみれば、江戸時代の“鎖国”の状態を除いて、他国との文化交流は時代時代において続けられてきたものでした。もちろん、“鎖国”時代といえども、長崎の「出島」を通じてオランダなど西欧諸国の文化を見聞きしていたのです。その意味で、アジアへの侵略を進めた十九世紀後半からの数十年間のほうが、むしろ例外であったと言えましょう。
 その数十年間は、内面から人間性の開花をもたらす「文化」は後ろにひそみ、逆に、外的な抑圧によって人間を脅かし、支配しようという「戦争」の思想が前面に出た時代でした。第二次世界大戦の終結によって、その野望は打ちくだかれましたが、戦後は「経済力」に形を変えて、侵略的な色彩を強めてきたことは、よく指摘されるとおりです。
 エイルウィン 一方、チリは地理学的な意味では島ではありません。しかし、すでに申し上げましたように、チリは高度五、〇〇〇メートルを超す山脈と、広大な海洋と広漠たる砂漠によって隔絶された国です。
 私ども両国の文化に固有なこの“島国的”な特色が、両国が相互に感じる魅力の一部をなしているとお考えになるでしょうか。そして、この特色は両国民の関係をさらに深めるうえで、基本的な要件になりうるとお考えになりますか。
 池田 四方を地理的な障害によって隔絶されているチリが、日本と同じく“島国”的な状況にあったというあなたの指摘は、非常に興味深く適切なものと思います。
 私は、日本のとるべき進路として、世界の“平和の要”となり、人類文明に貢献しうる創造あふれる“文化の宝庫”をめざしていくべきである、と一貫して訴えてきました。
 交通手段や通信技術のめざましい進歩によって、これまで“島国”の特性とされてきた「閉鎖性」は、地理的な意味では解消されつつあると言えましょう。私は、視点を百八十度変えますと、むしろ障害は利点になってさえいると思うのです。“島国”の特性を全方位、全世界に向けて開かれた「開放性」としてとらえ直し、これを強みとする発想の転換が必要ではないかと考えます。その意味で日本社会の課題は、いわゆる偏狭で排他的な“島国根性”と徹底的に対決して、その目を全人類的視野へと開いていくことにあると思います。
 私はそれを、先にも少し紹介しましたが、ハーバード大学における講演(「ソフト・パワーの時代と哲学」、一九九一年九月)で強調しました。つまり「ハード・パワー」(軍事力や経済力)から「ソフト・パワー」(文化や知識)への機軸の移行を前提としたものでなければならないと思います。ハード・パワーによっておちいりがちな「不信」や「反目」を、ソフト・パワーによって「信頼」と「理解」に転じていく必要があるということです。
 その内実がともなった「開放性」を、“島国”である日本、そしてまたチリが十全に発揮することは、国際社会の将来を考えるにあたって、意義深いことになるのではないでしょうか。
 両国が誇る豊かな文化も、その創造のダイナミズムも、こうした確かな舵取りによって、いっそう花開くことになると私は考えます。
 エイルウィン チリの魅力について私がどのように考えるのか、というあなたの質問にお答えするのはやさしいことではありませんでした。祖国に愛情を感ずる以上、私の回答が多少主観的になってしまうからです。むしろ、あなたがチリに対して感じられる魅力に関して、ご意見をうかがいたいと存じます。
10  チリに脈打つ「人間主義」への共感
 池田 あらためて述べるまでもなく、貴国チリは、政治、経済、文化のいずれの面においても、たいへんに魅力に満ちた国であると言えましょう。
 政治面においては、中断の時期はあったものの、貴国はおよそ一世紀半にわたる民主主義の伝統をもつ国家です。経済面でも、“南米の優等生”と言われるような発展をとげております。
 また文化面では、高い教育水準を誇るだけでなく、前にもふれましたが、二人のノーベル賞詩人(ミストラル、ネルーダ)を出すなど、「詩人の国」としても名高い。
 なかでも私は、この二人の詩人に象徴される――民衆への限りない信頼や、平和と人権を求める勇気や信念など――貴国チリに脈打つ「人間主義」の気風に、深い共感の念とともに、二十一世紀への指針をみるのです。
 ネルーダは、力強く謳っております。
 「おれは 人民のために書くのだ」「いつか おれの詩の一行が/かれらの耳にとどく時がくるだろう/そのとき 素朴な労働者は 眼を挙げるだろう」「『これは 同志の詩だ』」((「大きな悦び」大島博光訳、『ネルーダ詩集』所収、角川文庫)
 またミストラルも、訴えております。
 「我が友よ! 憤怒しよう。平和主義とは誰かが信じるような甘いジャムなぞではない。憤りは私達を静かにさせておかない。激しい信念を私達にうえつける。私達が今いるその場所で“平和”を唱えよう。どこへ行こうと唱えよう。その輪がふくらむまで。……風に、海に向かって平和を唱えよう」(この詩は芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル』〈JICC出版局〉の中で紹介されている)と。
 エイルウィン チリと日本の両国の文化が接点をもち、文化的、経済的ならびに政治的な交流を伸展させるためのあなたの貢献に、たいへん感謝しています。
 池田 恐縮です。私どもも微力ながら、両国に「友好の虹」をかけるべく努力してまいりました。民音を通じて、一九九〇年には「チリ国立民族舞踊団」の公演、また九二年、九四年と「チリ・バロッコ・アンディーノ室内管弦楽団」の公演を、日本国内で大好評のうちに行うことができました。
 そして、両国の修好通商航海条約百周年を記念する九七年には、東京富士美術館の海外交流展の一環として、貴国チリで「日本美術の名宝展」が開催されたことを、心からうれしく思っております。

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