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日蓮大聖人・池田大作

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第十四章 民族主義の帰趨――グローバリ…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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16  大学はすべて「学生」のために
 エイルウィン 私が創価大学を訪問(九四年七月)したさい、学生たちの関心の持ち方に、とても深い印象を受けました。全人性の回復という課題に関する、あなたの経験を通しての基本的結論はどのようなものでしょうか?
 池田 あなたの創価大学への訪問と講演は、学生たちに多大な感銘と深い印象をあたえました。あらためて感謝申し上げます。
 大学は「教授」のためにあるのではなく、すべて「学生」のためにあるのです。これを大学運営のいっさいの大前提にしています。
 創価教育の根幹を一言で言えば、「青は藍より出でて藍より青し」です。つまり自分よりもあとに続く人を立派に偉くしていくという決心です。学生諸君は敏感です。反応もまた即座にあります。私自身、学生諸君が喜ぶなら何でもしよう、と行動してきました。学校教育とは学校で学んだすべてを忘れたあとに、なお残るものである――と言われます。人格と人格の打ちあい、触発作業こそ、教育の場における真骨頂ではないでしょうか。
 エイルウィン 池田博士、あなたは創価大学、創価女子短大、創価中学・高校、創価小学校、創価幼稚園、民音、東洋哲学研究所、東京富士美術館等、これまで数多くの文化、および教育施設を創立してきておられます。このことは、あなたが、新しい教育を発展させるために、どれほどの努力をそそがれ、どれほどの決意をかたむけられたか、ということを物語っております。
 出版物を拝見しますと、各施設が果たすべき使命やモットーから、これらの機関で行われる教育は、平和精神を醸成するためのものであることが理解できます。
 池田 ご理解を深く感謝いたします。社会的存在である人間は一般に、自分がいずれかの集団に属しているという「われわれ意識」をもって生活していますが、こうした帰属意識が偏狭な形で極端に限定されることによって引き起こされる悲劇が人種差別であり、民族紛争であると言えるでしょう。
 そこでは本来、人間を豊かにすべき役割を担うはずの「文化」さえ、たんなる“個人の帰属性”の別名と化し、人々を人種や民族といった要素に還元させる道具となりかねません。“外の人々”に対し排他的な行動をとることを正当化させてしまう働きをなすのです。
 そんな人々の心の奥底にひそむ病理を、心理学者のフロイトは“わずかな相違にもとづくナルシシズム(自己陶酔)”と名づけておりますが、人々がまさにその「わずかな相違」にこだわるかぎり、対立が対立を呼ぶという悪循環を断つことは決して容易ではないでしょう。
 エイルウィン あなたは、平和を獲得するためには文化交流により、より緊密なかつ調和のある関係を首尾一貫して推進する共感の弦を奏でゆき、異なる民族の心の深さを獲得すべきであると主張しておられます。
 池田 美しい表現で、私の意図するところを語ってくださり、感謝します。冷戦終結によって、国際社会の行方が不透明になるにつれて、ハンチントン教授による「文明の衝突」論などが脚光をあびました。異なる文化的背景に対する理解の必要性が唱えられているのですが、もう一重深い視点に立って、宿命ともいうべき人類のアポリア(難問)から抜けでる術を見いださねばならないと考えます。
 つまり、たんなる“異質への理解”という段階を超えて、さらにもう一歩深く、同じ「人間存在」という次元に立ち返ったうえでの「他者性の尊重」が確立されるべきでありましょう。
 エイルウィン 世界の民族の間に最善の理解を育むために教育が有すべき特質とはなんであるとお考えでしょうか。
17  “太平洋通りの隣人”意識育てる文化交流
 池田 私は、こうした人類史の悲劇の流転をとどめ、「対立」から「協調」への時流を不可逆的なものにするためには、「教育」の果たすべき役割は非常に大きいと思います。民族といい、文化といい、個別なるもの同士が接触し、より普遍的なるものへと“昇華”していく回路は、やはり、対話を含む広い意味での「教育」による以外にない、というのが私の見解です。
 ハーバード大学のヌール・ヤーマン教授は、私との語らいで「教育によってこそ、人は、背景の違いを超えて、『共通』のものを発見する。何かの“流派”に所属しているだけの状態から脱して、人間という次元で考えられるようになる」(一九九二年三月)と述べておりますが、まさに至言と言えましょう。
 私は、たがいの相違を超えたより深い人間の真理を探究しあう姿勢、そしてその源泉となるヒューマニズムあふれる心根を育んでいくことに、平和に果たす「教育」の使命と責務があると思うのです。またそれがひいては、世界を結ぶ“靭帯”ともいうべき役割を果たしていくはずです。
 エイルウィン これほど隔たった起源をもつ文化とこれほど異なる言語をもつ日本とラテンアメリカは、いかにすれば、もっと接近することができるのでしょうか。
 池田 教育交流や文化交流を積極的に推し進めることで、日本とラテンアメリカの相互理解を深めていくべきでしょう。そして交流を重ねるなかで、“太平洋通りの隣人”として、また同じ“地球社会の住人”としての共通意識を涵養することになります。なによりも戦争を抑止する歯止めとなり、絶え間ない生存競争から抜けだし、必ずや真の共存共栄の世界を築く礎になっていくと私は考えます。理解を深めていくべきでしょう。そして交流を重ねるなかで、“太平洋通りの隣人”として、また同じ“地球社会の住人”としての共通意識を涵養することになります。なによりも戦争を抑止する歯止めとなり、絶え間ない生存競争から抜けだし、必ずや真の共存共栄の世界を築く礎になっていくと私は考えます。     

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