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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 冷戦後の国際秩序を求めて――…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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7  平和と共生のための公正な「配分」
 エイルウィン 発展途上国間にも、決定的な差異があります。アジアやラテンアメリカのいくつかの国は、先進国よりも高い割合で経済成長をとげています。福祉と豊かさにおいても、より高い水準を達成しています。その一方で両大陸における他の国々では、経済停滞や極貧にあえいでいるのです。この悲劇はアフリカ諸国において、いっそう深刻でしょう。
 しかしながら、この問題は、先進国に対しても打撃をあたえつつあります。人口および技術面における変化が貧困をまねいたのです。J・K・ガルブレイス氏が、その著書『満足の文化』の中で指摘しているように、たったの十年間で、アメリカ合衆国において貧困レベル以下で生活している人々の数が、三〇・六パーセントも増加したのです。一九七八年には二千四百五十万人でしたが、八八年には三千二百万人になっています。より近年のデータを見ましても、この状況が改善される見通しは見あたりません。
 貧困の問題――程度の差はあれ――は今日、世界全体の問題です。南北の対立、富める国と貧しい国との対立として議論することは間違っていると思われます。貧困問題はおのおのの国に影響をおよぼしており、一丸となった努力によってのみ良い結果が得られることとなるでしょう。
 池田 おっしゃるとおりです。そこで貧困を考える時、突きあたらざるをえないのが、「成長の限界」の問題であります。私と対談集(『二十一世紀への警鐘』。本全集第4巻収録)を編んだ、アウレリオ・ペッチェイ博士の創設した「ローマ・クラブ」が投げかけた課題がこれでした。
 グローバルに考えた場合、物質的な富の拡大の追求には、明らかに限界があります。資源・環境は有限であるとの認識が深まり、「進歩と成長」から「成熟と定常化」へと転換することが、文明史的な課題と指摘されています。いかにパイを大きくするかではなく、いかにパイを分けるか――時代の焦点は、「配分」問題へと移っているのです。
 先進国が既得の優位性を維持していくことは、そのまま現在の貧困の固定化につながります。十数億の人々が貧困にあえぐなか、それらの国々の成長を止めさせることは、明らかなエゴイズムです。「平和と共生」の世界のためには、公正な配分の実現についての地球規模での構想が不可欠なのです。
8  貧困をめぐる四つの問題
 エイルウィン 世界の貧困問題に効果的に取り組むためには、次の四つの大きなコンセンサスについての総合的解釈を促進しなければなりません。
 まず第一に、この貧困というものは、倫理・文化的次元において存在していることを認めることでしょう。
 まるで当然のことのように貧困に慣れてしまって、受動的に受けとめている富める世界における貧困の悲劇は、私たちが生きている社会を支配している腹立たしいエゴイズムと個人主義の象徴であり、正義と連帯の美徳を忘れた消費主義者・物質主義者の文化の表れであります。
 あなたがおっしゃるとおり、私たちが他人を思いやる文化、より連帯した文化を建設しないかぎり、この貧困という悲劇を皆の問題として問えるよう、うながすことは不可能だと思われます。
 第二に、現代社会では社会の安全と安定は相互に関連しあっていることを認めるべきでしょう。発展途上国における安全と安定がないならば、先進国における確固とした安全と安定はありません。同一国内の富める地域と貧しい地域にも、同じように適用することができるでしょう。コントロールできないこの貧困の増大は、貧困の結果もたらされるフラストレーションと排除の意識とともに、つねに社会の不安と不安定の要素となっていることは明らかです。このような緊張のもっとも穏やかな表れは移住です。
 生まれたところが安全でなければ、人々は安全を手に入れることが可能だと思われる場所を求めて、地方から都市へ、ある国から別の国へ、ある大陸から別の大陸へと移動していくことでしょう。しかしまた、この緊張は暴動の勃発や深刻な混乱をもたらすこともあって、すでに先進国においても途上国においてもそのような事件が起こっています。私たちは貧困の問題が世界における社会平和にとって脅威であることを認めなければなりません。
 池田 貧困の克服を第一の課題として戦ってこられた、民衆のリーダーならではの確かな視点です。
 エイルウィン ありがとうございます。
 第三に、経験が証明しているように、貧困を克服するためにはたんなる経済成長では不十分である、ということに同意しなければなりません。国際通貨基金専務理事であるミシェル・カムドゥシュ氏のようなオーソドックスな経済観念を有する人でさえ、「経済成長それ自体で、社会発展をうながすには不十分である」と言明しています。
 したがって、経済効率をあげると同時に、おのおのの経済的文化的環境において社会的に有効である本質的要素はなんであるか、ということをはっきりさせることが重要です。社会の安全を保障する組織としての国家の機能と、社会の必要性に応じ、かつ市場にもとづいている反応と、持続可能な開発という世界の要求の間の相互作用を創造的に検討しなければなりません。国民と国家の間の経済効率と福祉の関係は、同じコインの表裏のようなものと見なすべきでしょう。
 最後に、いくつかの国では、その国の貧困をみずから解決することは困難であり、国際協力を必要としていること、また同じように一国のなかにおいても、その地域の貧困をみずから克服することが困難で、国民の協力を必要としている地域がある、ということを認めなければなりません。
 先ほどふれた、コペンハーゲンでの社会開発に関するサミットでは、世界における貧困、失業、社会的疎外というテーマについて真剣に検討し、深刻なまでに人類を脅かしているこれらの問題に立ち向かうために、現実的で効果のある対策と十の公約を全会一致で承認しました。
 これらの公約および対策は、このような問題に直接、悩んでいる国に対しても、先進国や裕福な国に対しても、義務を課しています。今、重要なのは、これらの合意を善意の表れとして紙にとどめるだけではなく、皆の努力によって効果的に実行に移されることです。                  

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