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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 政治と宗教のあるべき関係――人…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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4  他者への尊厳通し自身の尊厳を深める
 池田 社会に果たすべき宗教の役割は、そうした観点から、ますます厳密に問われていくことでしょう。他者に奉仕することは、自身をも高めることなのです。偉大なヒューマニズムの時代を開かないかぎり、人類の未来は危ういものになりかねません。
 エイルウィン あなたの発言を引用させていただきたいと思います。
 「日蓮大聖人は『一人を手本として一切衆生平等』と仰せですが、それは、一人の人間の生命を、内在的に徹底して掘り下げていったところに立ち現れる透徹した平等観であり、尊厳観なのであります。内在的であるがゆえに、そこからは民族や人種等、一切の差別は取り払われております」(一九八九年一月、第14回「SGIの日」記念提言「新たなるグローバリズムの曙」。本全集第2巻収録)
 カトリックは、個人の生命を変革し、神を想い浮かべ、神に同化するときに、救済の戦いとなります。カトリックの信者は、他人への奉仕のなかに聖性を見いだします。この聖性は、キリストが何がもっとも大切な戒律であるかと問われたとき、「汝悉く神を愛せ。
 そして隣人をわが如くに愛せ」(マルコ伝三十:三十一)と答えたその宣教に投影されています。
 池田 たしかにあなたが指摘されるように、仏教とカトリックという二つの信仰体系の間にも、ある意味で共通する点があると私も思います。
 その一つは、両者が自己の精神的完成をめざす宗教である、という点です。厳密に言うならば、カトリックは「神の心」にかなった生き方をめざし、仏教は「仏の説いた法」にかなった生き方をめざすという意味では微妙に異なるわけですが、自身の生命をより大きなものへと変革しようという志向をもつ点では、一致していると考えられるのです。
 もう一点は、他者への思いやりの心――カトリックで言うところの「愛」であり、仏教で言うところの「慈悲」――を、二つの宗教がともに重視していることでしょう。あなたが引いた「マルコ伝」の一節は、カトリックの説く「隣人愛」の精神の結晶ともいうべき言葉であり、そこにはたんなる他者への“同情”などといった次元を超えた、人間性の輝きが感じとられます。
 仏教の説く「慈悲」には“抜苦与楽(苦しみを抜き、楽を与える)”という意義がこめられており、この「隣人愛」とはやや趣を異にしますが、私はこの二つの精神的営為のなかに共通する、自身の尊厳を通し他者の尊厳に気づき、他者の尊厳を通し自身の尊厳への思いを深めていく――という充溢した魂の往還作業を見いだすのです。
5  閉塞の時代を打開する「宗教間の対話」
 エイルウィン ラテンアメリカでは、カトリックは共同社会に関心をおき、プロテスタントは個人にもとづくという点で、アメリカやヨーロッパの北部とは文化的に異なります。
 ラテンアメリカに併存するカトリックとプロテスタント双方には、類似した教義も多くあります。このカトリックとプロテスタントは、日常生活のなかにそれぞれの宗教性が息づいている二つの宗教的文化であります。
 宗教が過去において人々を分離し、現在において人々を結合させる一つの機会になっているのは、なぜであるとお考えになりますか。
 池田 現代のような、“精神の大空位時代”を迎えて、心ある人々は、自身の存在意義を確かめようと、また人生の意味を問い直そうと、あらゆる思想や宗教についての吟味を始めるようになりました。
 つまり、人間精神の危機が、宗教間の接近、そして「対話」をうながす契機となってきているのです。閉塞した時代を打ち破る鍵となるものを真摯に模索するなかで、「宗教間の対話」も試みられるようになってきたのではないでしょうか。
 宗教が長い歴史のなかで、いつしかわが身をおおうようになったドグマ(教条)を離れ、その原点に脈打つみずみずしい宗教的生命――哲学者デューイのいう“宗教的なもの”――を謙虚にそれぞれが見すえていきながら、たがいに「対話」を重ねていくなかで得られる実りは、決して少なくないと思うのです。
 かつてトインビー博士は、「今から一千年後の歴史家が、この二十世紀について書く時がくれば、自由主義と共産主義の論争などにはほとんど興味をもたず、歴史家が本当に心奪われるのは、人類史上初めてキリスト教と仏教とが相互に深く心を通わせた時、何が起こったか、という問題だろう」と述べております。私は博士の巨視的な見方に意を同じくするとともに、各宗教間の対話、なかんずく仏教とキリスト教の対話が、今日ほど大切な意味をもっているときはない、と考えています。
 また詳論はしませんが、一九九五年(平成七年)に制定した「SGI憲章」においても、こうした「対話」の精神がその重要な骨格をなしており、“人間性の尊厳に対する危機”には宗教間の対話をもとに、宗派を超えて共闘していく方針を明確に打ち出していることも、付言しておきたいと思います。

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