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日蓮大聖人・池田大作

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第十三章 「父性」のあり方  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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8  社会のあらゆる面から、創意と活力を奪ってしまう……。
 リハーノフ ええ。そのような父親は、遅かれ早かれ、職場ではなく、家庭で、子どもたちの前で権威が失墜することになり、そうなると、もはや元に戻すことはできません。子どもは、とくに親に対しては容赦ない評価を下すものです。
 では、どうしようもないような社会状況が生まれたらどうでしょうか。たとえば、ロシアでは失業は今やよくあることとなりました。職を失った父親は、家庭で何とか自分の評価を落とすまいとするでしょう。
 ロシアではつねに「酒」が不幸のもととなっています。アルコール中毒の父親は、権威などすべて失ってしまいますが、愛情は必ずしも失いません。失業していて、アル中で、運がなくて、という人間でも、不思議なことにロシアでは子どもにとても愛され、同情される場合があるのです。
 運のよさや出世、権威と、愛情とは必ずしも一致しません。イコールではないのです。
 たいへん権威があって、社会でも成功した父親でも愛されず、それどころかかえって憎まれる場合もあります。
 そもそも人生は、理屈どおりにはいかず、一貫しているのでもなく、数学的な法則にあてはまらないものだと、ことあるごとに感心させられます。人生というのは、本当にいろいろあるものです。
 池田 酒びたりの好色漢のように見えながら、魂の奥には、無垢な美質を秘めている――たとえば、ドミートリー・カラマーゾフのような人間群像を描きだしている点では、ロシア文学は、世界に冠絶しているでしょう。
9  夫婦の連携プレーが必要
 リハーノフ では、いわゆる健全な家庭で、親としての責任から逃れようとする父親の話に戻ることにしましょう。あなたのおっしゃるとおりで、こういった父親は、家族を養うためにまず稼がなくてはいけないという口実を口にするものの、じつはただ自分の弱さ、怠惰と無責任さを露呈してしまっているにすぎないのです。
 今、「責任感のある」親という用語が使われるようになりましたが、親というのは母と父からなるものですから、「責任感のない」父親という存在も、たとえ健全な家庭であっても十分ありうるでしょう。
 子どもには銀行と同じく、「資本投入」をしていかなくてはなりません。物理的にはそれは食べさせて、着るものを与えて、学ばせる、ということになります。しかし、いちばん大事なのは、そういった物理的な資本ではなく、精神的なものです。
 心を子どもに与えた分だけ、返ってきます。「おーい」と呼んだとおりに、こだまは返ってくるものです。この点においては、母親と父親は相互責任があります。父親が与える精神的なものは、母親のそれと調和していなくてはなりません。たがいの努力を相乗的に支えあわなければならないのです。
 子どもは私たちの未来、とよく言われます。しかし、それは正しくない言い方だと思います。私たちが子どもたちの未来なのです――つまり、子どもたちの未来を作るのです。
 子どもは親にとって現在です。未来が訪れたとき、初めて母と父とどちらが、あるいは両方、どれくらい偉大なる「人間銀行」に資本投入したかが明らかになるでしょう。
 池田 精神的な「資本投入」が成功するかどうかのカギは、親が精いっぱい生き、みずからの生き方に自信を持っているかにかかっています。
 私にも三人の息子がいましたが、短時間でもスキンシップをして話を聞いたり、海外の出張など長期間不在の場合は、それぞれに絵はがきを送るなどして、「心」を通わせる努力をしました。
 また足りない分は、妻が私の気持ちをくんでくれ、「どれだけ子どもたちのことを思っているか」を上手に話してくれました。そういう夫婦の連携プレーも必要でしょう。
 「忙しいから仕方ない」ではなく、時間を工夫し、母親と協力して子育てに力を入れていくことが大切です。秩序の混乱した不安の多い社会にあって、「自信」と「責任」を背負った父親の存在こそが、子どもの心に「秩序の柱」をつくっていくからです。
 リハーノフ すばらしいご指摘ですね。

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