Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 演劇的家庭論  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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4  波瀾万丈の家庭ドラマを経験して
 リハーノフ ある部分ではあなたは正しいと思いますが、ある部分では、私はあなたに論争を挑みたいと思います。(笑い)
 池田 いいですね。どうぞ、どうぞ(笑い)。七年前に、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領とクレムリンでお会いしたさい、私は冒頭に「ケンカしましょう」と。大いに議論しましょう、ということを、ユーモアこめて申し上げました。(笑い)
 建設的な議論からは、必ず“何か”が生まれます。ソクラテスの対話(ダイアレクティック)が、いみじくも“産婆術”と呼ばれていたように――。
 リハーノフ 家庭生活を劇を演ずるかのようにとらえることは、私にはとうていできません。むしろそれは、永遠の波瀾万丈なのではないでしょうか。
 夫も、妻も、そして子どもも、社会にあってつねに複雑な個々の状況に立たされていきます。大人たちは職場や知人たちの間で、子どもたちは学校で――それぞれが家庭の外で遭遇するドラマは、やがて家族全員が関知するところとなります。
 家族の絆が深く、強い土台の上に築かれている場合には、妻や、夫や、子ども、だれか一人が家庭の外でぶつかった問題を乗り越えるために、家族が支えとなることもあります。しかし、そのような外的な問題や環境が、家庭を変貌させ脇へ押しやり、壊してしまう場合も少なくありません。
 私の家庭のドラマをお話ししましょう。私は、三十九歳のとき、病気をしました。なかなかはっきりした診断が出ずに、しばらく入院をしたままでした。ついに診断が下り、手術が必要とのことでした。
 私は手術を受けました。担当の医師は有名な外科医で、私の手術の執刀をする前日に科学アカデミーの会員に選ばれたところでした。そういうわけで、私は彼の「アカデミー患者」第一号になったのですが。
 手術は成功し、退院し、一年が過ぎ、三年、十五年が経ちました。私は病気になる前よりもっと仕事をし、主な著作を書き上げ、作家として認められるようになり、そして児童基金を設立しました。
 そんなある日、ある会合で、あの時の外科医にばったり出会いました。今は老碩学になっていました。別れ際にクロークのところで、彼は私にこう尋ねました。
 「あれから何年経ったかね?」私が答えると、彼は言いました。
 「君の病気、何だったか知ってる?」
 私がちょっと当惑しながら、当時、知らされていた病名を言うと、「いや、それは違うよ。あれは、ガンだったんだよ」と、彼は声高に笑いました。
 私は、何かで頭を強く叩かれたようでした。気が動転した私は、あいさつをすませ、外に出ると一目散に家に向かいました。
 家に着くなり、私は、妻のリリヤを呼び、外科医と会ったことを話し、今度は彼女に尋ねてみました。
 「君は知っていたのかい?」
 「もちろん」
 なぜ私に知らせなかったのかは、問うまでもないことでした。
5  家族の勇気と愛情に感謝
 池田 ガンの告知の問題は、非常にデリケートな問題で、わが国でも議論が繰り返されております。私も、ケース・バイ・ケースで対処すべきであって、是非の間に明確な一線を引くことはできないと思います。それはともかく、奥様の苦悩は察するにあまりあります。
 リハーノフ 言うまでもなく、腫瘍は再発の恐ろしさで知られています。私はある一定の周期で、再発の可能性にさらされていたわけです。一年後、三年後、そして五年後、と。
 その時、もし私が愛する妻の立場にあったらどうだっただろうか、と考えました。彼女はどれほどの苦しみを秘めて耐えてきたことか、ずっと緊張の連続だったにちがいないことを知ったのです。
 彼女は言いました。選択をしなければならなかった、と。私の健康のために周りに囲いをめぐらせ、仕事からも遠ざけたほうがよいのか、それとも、以前と同様に、私がやりたいことを全部やらせておくべきなのか。彼女の選択は後者でした。
 そこで、もしだれかが、彼女は家庭という場で上手に役を演じただけだと教えてくれたとしたら、私はおそらく愕然とし、同時に笑ってしまうでしょう。いかに昔、彼女がテレビのアナウンサーと演出の仕事をしていたといってもです。
 いいえ、あれは演技ではありません。苦難への挑戦です。それも、もっとも近しい人間に打ち明けられず、苦しさを分かちあうわけにはいかない。家族と医師との秘密である以上、ほかのだれにも助けを求めることもできない。そうしたなかでの絶え間ない葛藤との闘いだったことでしょう。
 ですから、妻は、何年も経ったのちとはいえ、私に真実を暴露してしまった、かの碩学の外科医にいちばん腹を立てていました。もしも私が、真実をもっと早い時期に知らされたとしたら、私がどう受けとめるか、だれも保証できない。くじけてしまうかもしれないことを、妻は了解していたのだと思います……。
 したがって、敬愛する池田さん、どうか悪く思わないでください。でも、夫と妻が演技をできるのは、とても限られた場面だけなのではないでしょうか。
 たとえば、二人の意見が合わない、でも、ささいなことでケンカをするのは賢明ではないと判断して、おたがいが角を立てずに折り合いをつけるといった場合には、当てはまると思います。
 でも、家族が困難に本気で立ち向かわなければならない状況に立たされたとき、同苦と愛情と支えを必要とするときにまで演技が持ち込まれたとしたら、悲しいことではないでしょうか。
 わが家では、先ほど述べた真実が明るみに出て以来、何事につけ、私は妻の勇気と力と慈しみの心に崇拝の念を抱き続けています。
6  真の「演技」は人間性の輝きから
 池田 心にしみ入るお話ですね、リハーノフさん。
 私の申し上げた「演劇」、あるいは「演技」という言葉の含意を申し上げますと、それは人間性の発露から生じる行為――といった意味なのです。ですから、奥様のなされたことは、まことにすばらしく、感動的であり、豊かな人間性に満ちた行為です。
 「演技」というと、どこか嘘っぽく本心を偽ることを、心ならずもやらなければならない擬制、といったニュアンスで受け取られがちな点は、日本でもロシアでも同じでしょう。しかし、私の言う「演技」は、人間の本然からの営為なのです。
 ですから、表面上のこしらえごとを言ったのではありません。人間が本能に支配されることなく、自己をコントロールしゆく人間性、人間であることの証を体得していくための必須の行為であり、いわば人間性の勲章とでも言うべきものなのです。
 私が、真の意味での「演技」が漂わせている「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」を指摘したゆえんであります。
 たとえば、私どもの宗祖の生涯は、迫害に継ぐ迫害の連続でしたが、五十歳のとき、生涯最大の難である斬首刑に処せられようとします。
 その時、不思議な出来事があって、結局、刑は取りやめになったのですが、その直後、宗祖は、何と捕吏たちに酒を振る舞っておられるのです。驚嘆すべき境涯の高さであり、「余裕や落ち着き、自己統御」のお手本のような振る舞いというしかありません。
 私が、進退きわまった苦境に立たされたときの恩師の悠揚迫らざる態度に見て取ったものも、それに通ずるような人格の力であり、輝きでした。
 すなわち、真の意味での「演技」とは、そうした卓越した人格の力のおのずからなる流露です。孔子が「徳孤ならず、必ず隣あり」(『論語』)と言っているように、それは、巧まずして人々を魅了してやまない振る舞いへと結実してくるものです。
 宗祖のような宗教的巨人の振る舞いを、万人に要求することは無理かもしれません。しかし、通底するものは同じなはずです。
 リハーノフ さん。あなたの夫婦愛のエピソードからうかがえる、奥様の内なる闘いこそ、まさに人格の力であり、人間性の輝きです。奥様の苦渋の選択、その後の忍耐強い支えの背景に、「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」があったのです。人間性の奥深くから発する「迫真の演技」「真実の演技」と申し上げたいのです。
 そうした意味から、私は、家庭生活に限らず人生そのものがドラマであり、人間は、本質的に劇的性格をもっている、と信じているのです。

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