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日蓮大聖人・池田大作

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第十章 わが家の家庭教育  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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4  子どもの最大の教育環境は教師自身
 リハーノフ ではここで、家庭教育について少し話させていただきたいと思います。
 私の息子ドミートリーはもう三十八歳ですが、子どものころは病気がちでした。当時の生活は大変で、生活向上をめざしての戦いの日々でした。初めはキーロフ市に住み、私はジャーナリズムの世界に入り、後に「青年新聞」の編集に従事し、妻はテレビのアナウンサーでした。そのうち、一応私たちは、生活も安定していきました。
 そうこうするうちに私は、有力新聞の一つである「コムソモーリスカヤ・ガゼータ」の特派員としてノボシビルスクに転勤しました。妻はしばらくして、今度は地元のテレビの人気者になりました。
 息子の教育について言うならば、私たちは育てたというよりは、ただもう慈しんできたと言うべきでしょう。妻のほうが、やはり母親として息子と接する機会も多く、私はあまりありませんでした。とはいえ、妻が夜、仕事に出ると、私と息子はテレビの前で仲良く肩を抱きあいながら、彼女がスクリーンに登場するのを待っていました。
 池田 一九九五年、来日されたさいの、奥様の美しい笑顔は、今でも鮮やかに覚えております。当時のブラウン管での人気のほどがしのばれます。
 リハーノフ 妻への心のこもったメッセージ、ありがとうございます。妻も、来日したさいの会長ご夫妻との出会い、創価学園の生徒たちのすばらしい目の輝きや笑顔のことなど、今でも話の端々に出てきます。
 ところで、息子とのかかわりあいで、私が決定的な影響をあたえたという思い出は、三つか四つしかありません。
 息子が八年生のとき、転校をして友だちも先生も変わったときに、成績が落ちてしまいました。転校がプレッシャーになったようでした。どうもはっきりとした原因があるようでした。それは学校の先生が悪意で息子に接し、彼をスポイルしていた(傷つけていた)のでした。
 私は先生と会って、何とかわかってもらおうとし、息子の友だちとも接していきました。それでわかったのですが、じつは子どもたちが何も悪いことをしていないのに、子どもたちを支配してひざまずかせようというばかげた目標をかかげた頑固な教師と、子どもたちとの戦いがあったのです。ムチを振り回さずにはおれない症候群の一人です。
 私は絶対的に息子の味方をしました。先生がどれくらいの誠実さをもっているのか、観察していましたが、何ともひどいものでした。たとえば、息子は決してのみこみの悪くないほうですが、歴史の成績が思わしくありませんでした。
 一度、息子と二人で徹底的に試験準備をしたことがありました。一緒に三回授業のおさらいもしました。しかし、翌日、持って帰った成績は(五点満点の)三でした。それで原因は、狡猾な教師だとわかったのです。こうなったらもう、子どもに救いの手を差しのべるしかありません。
 私たちは、たいへんむずかしい決断をせざるをえませんでした。息子はもう(当時の最高学年の)十年生でしたが、――二年も彼はがまんしていたのです――転校をすることにしたのです。そうすると、奇跡のように息子は成績がよくなりました。
 そのころは、学校の卒業試験とモスクワ大学受験を控えており、受験合格にはオール五をとる必要があったので、目一杯勉強量をふやしました。家庭教師のもとに通い、四科目もの勉強をしなければなりませんでした。
 それでも、彼は、頑張りぬきました。あの時、自分に勝利した息子の姿は、今でも偉いと思います。
 池田 さぞ、ご苦労されたでしょう。先に、教育を草木を育てる作業に譬えましたが、肥料を与え、雑草を取り除くどころか、成長しようとする芽そのものをつんでしまう教師が、ロシアでも日本でもいるのは、困ったものです。
 そういった教師は、決して子どもたちと同じ目線に立とうとしない。頑な、歪んだ目線で見下すばかりです。その実、自分が見下されていることも気づかずに……。
 牧口会長は、“特殊学校”であった三笠小学校の校長をしていた折、弁当を持ってこられない児童のために、自分の給料を割いて、豆餅や食事を用意しました。用務員室にそっと置いて、自由に持っていけるようにしたのです。それは、子どもたちの気持ちを傷つけないように、との温かい配慮からでした。牧口会長自身、当時、八人の家族をかかえており、生活は決して豊かではありませんでした。
 牧口会長は語っています。「(教育者は)あなたの膝元に預かる、かわいい子どもたちを『どうすれば将来、もっとも幸福な生涯を送らせることができるか』という問題から入っていく」(『地理教授の方法及内容の研究』)ことが大切である、と。
 私ども創価学会の教育部では、この牧口会長の信念を受け継いで、“子どもにとって最大の教育環境は教師自身”をモットーに掲げております。
5  全情熱を注ぎ込んだ青春は、人生の宝
 リハーノフ 大切な視点ですね。
 私たちの孫イワンは、息子の場合と違って、恵まれた環境で育っています。もっともパパ、ママが本領発揮するのは、まだまだこれからだと思いますが。(笑い)
 イワンはだれに勧められるでもなく、自分で恐竜について調べだし、知識を習得しました。その次が天文学でした。今は六年生で十二歳ですが、天文学なら、ふつうの大学を出た大人よりよく知っています。これはとてもいいことだと、私は思っています。というのも、そこから自分の可能性を大きく開いていけるからです。
 そのような小さな火種は、どの子どもの中にもあるものですが、それをいかに自分で自己認識の大きな炎へと育てていけるかが重要です。
 池田 そうですか。じつはわが家の三男坊――といっても、すでに結婚し、創価学園の理事をしていますが――彼が小学校高学年のころ、兄(次男)に私の知人から贈られた天体望遠鏡で土星を見て、すっかり天文学に取りつかれてしまったのです。
 そうこうしているうちに、もっと本格的な望遠鏡がほしいと言いだし、どうせ飽きるのだからとしぶる妻に粘りに粘り、とうとう私まで味方に引き込んで、
 それを手に入れてしまったのです。
 それからの彼の天体観測への打ち込みぶりは、あきれるほどでした。中学に入ったころは、数十冊の天文学の専門書をそろえ、学校の勉強などそっちのけで、熱中していたものです。彗星が出たときなどは、冬の真夜中であろうと、自分で起き出していって、望遠鏡をのぞき込んでいました。
 おっしゃるとおり、三男坊にとって、天文学への打ち込みは、かけがえのない自己発見への旅だったようです。何でもよい、そうした無我夢中になって全情熱を注ぎ込む経験をもった青春は、人生の宝です。
 リハーノフ 初めてお聞きしました。ぜひ、イワンに“弟子入り”させたいですね。(笑い)

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