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新たなるグローバリズムの時代ヘ  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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10  実在を固定化する「言葉の虚構性」の罠
 ゴルバチョフ 「抽象化の悲劇性」とは、あなたがおっしゃるように、抽象化の技法、また抽象化によって創られた理念が、偉大な精神の高揚の契機になるとともに、精神的荒廃の最大の要因ともなりうることにありましょう。
 このことは、私たちが自分の経験を通して知るところです。ソビエトの人間であれば、だれもが身近に感じる「故郷」「母国」「ロシア」とぃった概念は、一九四一年十一〜十二月、対独戦の最も悲劇的な時期に多大な役割を果たしました。
 そのとき、スターリンをはじめとする国の指導部は、軍・兵士・将校を動員するには、たんに「社会主義祖国が危険にさらされている」というスローガンのみでは足りないことを理解していました。
 事が国民の生死とその独立にかかわるとき、階級的価値観や階級の分け方などは、民族的感情・誇りと比べ、二次的意味しかもたないものです。このような場合、まず第一に、フアシズムとの戦いで最も苦難を強いられた、大ロシア人の民族的誇りを鼓舞することが大事だったのです。
 まさにこのとき、ロシアの民衆の偉大さがクローズアップされ、赤軍はロシア軍とその武勲の継承者であり、赤軍将校は、アレクサンドル・ネフスキー、スヴオロフ、ウシヤコフ、ナヒーモフなどロシアの名司令官、名将軍の後継だと叫ばれました。
 この戦争の時代に、私たちは自分の民族の歴史に立ち返ったのでした。
 そして、それを可能にしたものは、「故郷」「母国」「民族の誇り」という慨度にとっても概当な標念だったといわざるをえません。
 池田 そうしたプリミテイブ(原初的)な感情に訴えたことが、士気を高めたわけですね。
 ゴルバチョフ この大祖国戦争から、たつた四年後、スターリンはまつたく正反対の目的のために、つまり精神的結束のためではなく、精神的盲目と外国恐怖症、民族的敵意をかきたてるために、こうした概念を利用し始めました。
 以前、何かの折、あなたにお話ししたかもしれませんが、いわゆる反コスモポリタニズム闘争の旗を掲げて生きたスターリンの晩年は、精神的に重苦しく、忌み嫌うべきものでした。
 大ロシア人の民族的自尊心を最も恥知らずなやり方で操り、「他国民に学ぶことなど何もない」「われわれは独力で何でもできる」「知識のすべての分野でつねにナンバーワンである」と民衆に教えこんでいきました。
 これでは「ロシアこそ象の祖国なり」になってしまう。ソビエト時代の特徴だった、何事につけてもナンバーワンの幻想に浸ろうとする傾向――正気の沙汰ではありません!
 この問題を理解するために、特別の理論など必要ありません。最初の大祖国戦争の場合は、民族的誇りは民族の尊厳と同意だったわけです。ところが二番目の場合、いわゆる反コスモポリタニズム闘争にあって、民族的感情は民族的傲慢、民族的優越思想へと奇形化していったのです。そして、大ロシア的ショービニズム(極端な排外主義)を誘発していくこととなったのです。
 ソビエト史は、一貫して独特のマルクス主義的リアリズム信仰を背景とし、定理が幾百万の人々の利益よりも重んじられ、幾世代もの人間の人生が、「社会主義」「進歩的社会体制」といった概念の犠牲となりました。
 これは、言葉の意味や概念を過大評価する一種の″病気″ではないでしょうか。治療して克服しなければならない病気です。
 池田 マスコミを利用した情報操作や大量宣伝によって、そうした「抽象化の精神」の跳梁跋扈を許してしまったという点では、旧ソ連を含めて、二十世紀に登場した大衆社会は、人類史上においても最たるものでしょう。
 言葉というものは、抽象化を重ねれば重ねるほど、具象すなわち具体的な事象、実在との間で距離感覚が生じてくる。
 「民族」という言葉を点検してきたように、その点への警戒がおろそかになってくると、言葉をそのまま実在と錯覚し、結局は「抽象化の精神」のとりこになってしまいます。
 言葉は、はたして生々流動しゆく実在を、あますところなく写し取ることができるのか。人間は、そうした実在を固定化してしまう「言葉の虚構性」の罠、「抽象化の罠」から、どうしたら抜け出すことができるのか――このような「言葉の虚構性」に対する警戒、さらには「言語への不信」さえもが、今ほど必要とされる時代もない。
 なぜ、「言語への不信」とまで極論するかといえば、軽信、盲信、狂信を含めて、二十世紀ほど「言語への過信」とその逸脱がもたらす欺瞞の誤りが、猛威を振るった時代もないからです。
11  「開かれた国家」をめざす試み
 ゴルバチョフ 民族の概念についての話から、思わず話題が広がってしまいましたが、興味深い、大切な点だと思います。さてここで、民族についての本題に戻りましょう。
 民族的自覚というものは、たとえ一度もそれについて思索したことがなくとも、だれもが有しています。それは精神面、情緒面の一つの支柱です。人間の性ともいえるでしょうか。
 「人間は何かに支えられて生きるものだ」とロシアではいわれます。それは、第一に家族であり、家系、血のつながりでしょう。そして、祖国の人々がいます。祖国の人たち、その歴史、文化、伝統を拠りどころとしつつ、また、みずからがそうしたものと不可分の存在であると実感することによって、運命の試練に耐え、危機的状況にあって勇気を奮い起こしていく――これはごく正常なことです。
 池田 そのとおりです。たれびとにも共通のことであると思います。
 ゴルバチョフ 人種的、民族的帰属性を感じることは、人間文化の一種の保護機能なのでしょう。この機能はたいへんシンプルです。しかし、それなしでやっていけないのも事実です。
 民族的アイデンティティーは、いざというときに、動物的個人主義を克服する手段となります。民族的自覚のある人間のほうが、責任感をもっているからです。
 二十世紀末の今日において、民族をたんに血のつながりだけで理解しようとするのは、むしろ滑稽といわざるをえません。わが国の最も過激な民族主義者たちでさえ、″純粋な″ロシア・エスノス(民族)を云々することは論外であり、どのロシア人なりウクライナ人を捕まえてきたとしても、ほんの少し皮を剥いでみれば、モルドワ人か、タタール人、ポーランド人、トルコ人、またはフィン人の顔が出てくることを、認めないわけにはいかないのです。ただ、これはわが国に限ったことではなく、世界中どこでも同じでしょう。
 池田 どちらかといえば、単一民族に近いというのが通説の日本人の場合も、同じことがいえます。
 とくに日本人のルーツを七世紀後半、すなわち大陸から律令制度が導入されて、古代国家が一応体裁を整える時代より以前にまで遡ると、朝鮮半島の百済や新羅、高句麗などといった国の人々との交流は、日常的であったといっても過言ではありません。もちろんパスポートなど必要ない(笑い)。とくに百済との交流にあっては、通訳さえ必要なかったと伝えられています。
 どうも、時代が進めば進むほど、古代人のもっていたこうした大らかさが失われ、人間の生き方が窮屈になってきているように思えてなりません。
 とくに、明治時代、欧米列強に伍していく近代国家をつくり上げるため、いわば官製のイデオロギーとして国家神道、皇民化教育が徹底されていった。
 その過程を通じて、日本民族(大和民族)の純粋性などという「虚構」がつくり上げられていったのです。
 しかしながら、日本語などにしても、これだけ標準語教育が広まっている現在さえ、方言で話すと、言葉の通じないところがいくつもあるのが現実です。
 ゴルバチョフ いかなる″純血″がありえましょうか! それではまるで人種差別主義か、さもなければ動物学か何かのようです。
 私個人にとっての「民族」とは、まず第一に、自分をロシア人と名乗り、私たちの母国、国家の命運に責任を感ずるすべての人々の運命共同体を意味します。
 ロシアでは過去・現在・未来にわたって、共通の文化遺産、文化的行事、そして当然、共通の文化的願望をもつという、文化的共通性が民族の根底にあるのです。
 その意味で、私たちロシア人は、ギリシャ人かローマ人に近いのかもしれません。彼らもまた文化的、市民的愛国心をもっていましたから。
 池田 なるほど。文化的共通性が民族の根底にあるとのお考えに賛成です。
 というのも、人間の人間としての生き方、道、軌道――人間が人間であることのまぎれもない″証″こそ文化であるからです。
 ゴルバチョフ これまで民族や民族感情について、種々語り合ってまいりましたが、それによって、「民族主義とは何か」を定義するのが、容易になったように思われます。
 結論的にいえば、「民族主義」とは、本質的には、民族的自覚の異常化であり、民族としての偽りの自信が奇形化したものにすぎません。「民族主義」は、まず初めに、民族的エゴイズムとなって現れます。
 次に、民族の排他的優越性を教え、さらに民族的傲慢となっていきます。かくして「民族主義」は、つねにショービニズムと外国憎悪を生みだしていきます。
 繰り返しになりますが、民族感情は一度として消えたことはなく、またこれからもおそらく消えることはないでしょう。
 今日、その民族感情が、人間の感情と精神面の不可分の構成要素として残っているのはまぎれもない事実であり、なによりも政治の現実なのです。
 池田 まったく同感です。個人におけるのと同様に国家や民族の場合も、基本的には、「開かれた国家」「開かれた民族」でなければならない。
 多少の摩擦や対立が生じても、開かれてさえいれば、話し合いが可能であり、妥協点も見つかるものです。
 「閉ざされた国家」「閉ぎされた民族」であると、ともするとあなたのおっしゃる「国家民族主義」や「帝国主義的拡張主義」におちいりがちです。
 「閉ざされた魂」には、どこか狂信的なものがあり、それゆえに対話が成立しない。ちょっとした摩擦や対立がきっかけで、すぐさま武力対決にまで発展してしまう恐れがつきまとっています。ペレストロイカも、こうした開放されたシステムというか、民主化された「開かれた国家」をめざす試みであった、と私は理解しています。

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