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日蓮大聖人・池田大作

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ソフト・パワーを選択するとき 「世界を震撼させた三日間」の真実

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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7  政治に対するシニシズムの危険な横行
 ゴルバチョフ 一九九一年八月の事件は悲劇的ではあったものの、構図は単純でした。反動主義者・改革反対派対民主改革派。一方はペレストロイカ、民主改革を受け入れず、人々の不満に乗じて犯罪行為に走りました。もう一方は、ロシア史の重大な局面にあって、民主主義と憲法、合法権力を守るために立ち上がったのです。
 信じられないかもしれませんが、八月事件の渦中にあったときのほうが、今、それを思い返すよりも気持ちは楽だったのです。
 悲しいことに、当時、民主主義を守り、ホワイトハウス(最高会議ビル)を守った人々の多くが、その後、民主主義を裏切りました。これは、エリツィンの問題ではありません。″エリツィンは、ゴルバチョフを救ったというより、以前から考えていたゴルバチョフ排除計画を実行に移しただけだ″と遅ればせながらポポフが発言したことも、私にとってそれほど意外ではありませんでした。
 九三年にホワイトハウスを砲撃したのは、じつは九一年八月に、ホワイトハウスを守った人々であった――これこそ悲劇です。
 このとき、民主主義の理念をもっていると考えられていた人々の多くが、民主主義の利益と価値を売り渡してしまいました。今や彼らは、ロシアに独裁主義を確立するよう呼びかけ、彼らにつづいてきた人々を侮辱しているのです。
 その結果、二十世紀最大の悲劇の一つであったものが、″茶番劇″として映るようになってしまいました。
 池田 わが国でも、一九九四年、ご存じのような政変劇が起きました。四十年間、水と油のように対立してきた政治勢力が、一朝にして手を結びました。
 ここで、その是非は議論しませんが、無視できないのは、政党にとっての政策や理念、言い換えれば、政治の世界における「言葉」というものが、救いようのないほど重みを失ってしまったということです。
 政治家の口にする「言葉」は、かくも軽く、ご都合主義的でいくらでも取り換えがきき、他愛のないものでしかないのか――。
 そこから生まれるものは、政治に対する徹底したシニシズム(冷笑主義)でしかないでしょう。
 こうした政治への″斜視眼″、ある意味でたいへんな危険をはらむシニシズムが横行している点では、ロシアも日本も共通する事情があるのではないでしょうか。
 「言葉」が、かくも軽くなってしまった社会では、悲劇など起こりようがないのかもしれません。「綸言汗の如し(汗をかくと引っ込めようがないように、天子=為政者の言葉も、いったん口にしたら引っ込めることができない)」と言われるように、それなりの責任感に裏づけられてこそ、「言葉」は初めて重みをもちます。
 何の責任も人格も感じさせない「言葉」が、ふわふわと紙片のように浮遊したところで、ドラマの素材にもなり得ず、悲劇など成り立ちません。
 D・H・ローレンスが「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れたがらないのである」(『チャタレイ夫人の恋人』伊藤整訳、『世界文学全集』55所収、筑摩書房)と言っているように、逆に、悲劇と無縁な精神状況にこそ、現代の惨たる悲劇性があるといってもよい。
 ゴルバチョフ あなたのおっしゃる意味はよくわかります。
 池田 現代は、精神が″深さ″というものと無縁になりつつある時代ではないでしょうか。
 あるロシアの識者は「残念ながら、今、モスクワで人気のある作家は一人もいません」と自嘲気味に語っていますが、それは、卓越した精神にとっては、およそ散文的で、退屈で、眠気をもよおすような状況です。
 それに比べれば、厳重な検閲制度のもとで、発禁書が地下出版でひそかに回し読みされていた時代のほうが、まだしも精神の深さという次元に棹さすことが可能であったのではないかと思います。もとより、その時代をよしとするのではなく、現在の状況を実り多き未来への過渡期と位置づけたうえでのことです。
 話が一般論へと広がってしまって恐縮です。私が申し上げたいのは、欧米や日本の大衆社会の抗しがたい波が、ロシアにも押し寄せているのではないか。
 そして、オルテガ・イ・ガセットが懸念したような、自己満足と薄っぺらな勝利感に酔いしれた「自己閉塞性」と、いかなるルールや規範にも従おうとしない自分勝手な「不従順さ」を、魂の基本構造とする「大衆」の支配する社会が、到来しつつあるのではないかということです。
 ゴルバチョフ いいえ。池田さん、あなたは主題からそれてはいません。あなたが提起された問題は、きわめて今日的であり、現在ロシアで起こっているドラマの本質に迫るものです。
 この問題を私は、職業政治家として、またロシアの一市民として懸念しています。社会生活の政治化は、社会の精神的基盤に内側から崩壊をもたらします。
 そこで浮かび上がってくる疑問があります。初めて民主化を試みている私たちロシア人は、ほかよりもより多くの対価を払っているのではないか? 民主化はつねに社会生活に分裂をもたらしてきたのか? それとも私たちのロシア社会だけがそうなのか? 国を民主化するために、もっと痛みをともなわない道はないものか?
 正直に申し上げると、私たちは、ペレストロイカを始めたころ、いろいろな意味でロマンチストで、ナイーブだったと思います。
 国の指導者が自由な一般選挙で選ばれるようになれば、そして、国民に選ばれた代表者によって、議会が国民の利益を護る場になれば、良識が尊ばれる雰囲気が生まれ、そこで行われる自由選挙では、賢明で、誠実で、皆の幸せを願う人間が権力の座に送られるであろうと考えたのです。
 ところが現実はまったくそうではありませんでした。社会運営の質は、私たちの時代にもまして粗悪になっており、責任感が薄く、プロの自覚も希薄です。これほど役人の気風が堕落したことはかつてなかったことです。
 池田 グラスノスチのところでも若千ふれましたが、あなたのおっしゃるような欺瞞から人類を救うためには、早道も近道もない。
 結局は、平凡なようですが、民衆一人一人が賢明になる以外ないと思います。
 私どもの仏法運動も、その一大啓発運動であると位置づけています。
 昨年(一九九四年)五月のモスクワ訪問のさい、アイトマートフ氏にも強調したことですが、そのためには、粘り強い一対一の対話、ピラミッドの石を一つ一つ積み上げるような地道な対話の蓄積以外にありません。
 世界には、テレビなどのマスコミによって宣伝し、布教活動を進める宗教もあるようですが、宗教活動の基本はあくまで、膝を突き合わせての対話であるというのが、私どもの信念であり、実践なのです。
 今後も、民衆が強く、より賢明になるための地道な行動をつづけていきたいと念じています。
 ゴルバチョフ 私も、テレビによって宗教心を育てることができるとは思いません。本当の精神の開明は、一対一の対話を通じてのみ可能となります。
 国家非常事態委員会の謀議者たちが、自分のやっていることを愛国的行動であると見せようとしたことほど、一九九一年八月に起こった出来事の倫理的、政治的意味をゆがめているものはありません。
 先日(一九九四年七月七日)、フレンニコフ将軍の恩赦拒否によって再開されたクーデター裁判で、私は法廷に立ちました。ちなみにワレンニコフは、八
 月十八日にクリミアの私のもとへ来て、辞任を迫った四人目の人物でした。これは思い出したついでにお話ししたまでです。
 法廷で私は、国家非常事態委員会のメンバーを愛国主義の味方であるかのように見せるのは、″仮装茶番劇″だとはっきりと言いました。もしも、裁判でこんなことが勝利するのであれば、われわれは決して一つの国として存在していくことはできません。クーデターの張本人たちが英雄でいられる国で、その市民だなどと思える人はいないはずです。
 池田 ご心境、察してあまりあります。
 当時、あなたは新連邦条約を進めていました。それについては、さまざまな議論がありましたね。
8  ″開かれた人格″こそ一切の争いを解決
 ゴルバチョフ 条約の調印によって、各共和国と連邦中央指導部とのほどよい政治的バランスがとれ、連邦と連邦市民権の維持、刷新ができるはずでした。新連邦条約は、「合同」ではなく単一の連邦市場と、単一の軍を維持、発展させるものでした。連邦国家としての安全保障と、単一の外交政策がつらぬかれるはずでした。
 新連邦条約調印の挫折。これも国家非常事態委員会のしわざです。この条約の調印は、国の崩壊を阻止する唯一の実質的な選択肢でした。
 歴史は、私の意志に反して逆行してしまいました。八月の事件のあと、ほんの数日の間に、全共和国が独立を宣言しました。
 国の中枢機関に対する憎悪を社会全体に呼び起こした人間を、どうして愛国者と呼べるでしょうか?
 ちなみに、ソ連邦大統領がフォロスから帰還したあとも、中央を無視して、何の承諾もなく大統領令を出しつづけていたロシア大統領の行為も、国の崩壊を進めました。ロシアはだれのことも無視して号令をかけ、すべてを支配する権利をみずからに与えたのです。
 ロシアの政治家たちに言わせると、八月革命の″収穫″をしたというわけです。八月クーデターは、多くの民族を歴史的首都モスクフから引き離し、民族感情を煽っていったのです。
 池田 事態は、予想以上のスピードで進んでいきましたね。
 ゴルバチョフ ええ。連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だったのです。私は連邦維持に全力をかたむけました。
 そのときに支えとしていたのは、国民投票で圧倒的多数によって示された国民の意思でした。この国民投票は、かなりの抵抗にあいながらも、私のイニシアチブで行われたものです。
 ネオ・スターリン主義者たちを首謀者とするクーデターは、「決戦」を呼びかける煽動家たちの手に社会を渡してしまいました。
 この事件につづいて、ベラルーシ協定、そして「ショック療法」、上からの強制的な新ロシア革命が行われていきました。ロシアは能なし愛国者のために、またも分散の道をたどってしまったのです。
 ごらんのとおり、この事件は、私個人のせまい経歴の枠を超えてしまっています。そして、私たちにロシア史の深淵をのぞかせ、愛国主義、民主主義の真と偽の違いを考えさせます。逃してしまったチャンス、取り返しのつかない損失といった、歴史が本来もつ悲劇性について考えさせます。
 歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だというのに、自分個人の孤独を嘆いていられるでしょうか。
 池田 率直な、そして肺腑をえぐるような心情の吐露に私は深く感銘するとともに、心からのエールを送りたいと思います。
 「連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だった」というあなたの言葉に私が心を動かされるのは、物事に対処するあなたの姿勢とスタンスが、″開かれた心″″開かれた対話″におかれているからです。
 私はそこから、まぎれもない「人格」の声を聴き、「人格」の力を感じとります。そうした″開かれた人格″こそ、国内、国外であるとを問わず、一切の争いを解決していくカギとなる、ソフト・パワーの最大にして不可欠な要因です。
 私が、四年前、ハーバード大学での講演でソフト・パワーについて論じたさい、コメンテーターの一人であった同大学のジョセフ・ナイ教授は、「ソフト・パワーとは協調の心のことである」という、じつに的を射たコメントを寄せてくれました。
 互いに心を開いて語り合い、譲るべきは譲り、協調しあいながら共存共栄していこうという基本的な姿勢、スタンスがなければ、紛争の恒久的解決など絵に画いた餅にすぎません。
 ゴルバチョフ 同感です。それこそが、私たちが進めようとしてきたことですから。
 池田 九〇年初頭、リトアニアを訪れたあなたが、首都ビリニュスの街頭で、ソ連の旧悪を暴露しながら激高する民衆を相手に、「仲よくやっていこう」と必死に説得に努めていた映像が、目に焼きついております。
 成否をだれがあげつらおうとも、私は、そこに、ソフト・パワーの真髄を見る思いがしたのです。
 あなたは「歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だ」と嘆いておられます。しかし、やみくもな欲望や熱情が、一時的に勝利を収めたかのように見えても、歴史を長いスパン(期間)で見れば、時流の淘汰作用によって、結局彼らは、自分で自分の墓穴を掘っているにすぎないことが洗い出されていくものです。
 ゴルバチョフ まさにそこに、人間存在の悲劇とドラマがある、といってよいのではないでしょうか。
 遅かれ早かれ、人間は道徳の報復を受けなければならず、正義は必ず訪れるものです。たとえば、皇帝ニコライニ世の家族を毒牙にかけた殺人者は、ついにはロシアで罪に問われました。この事実は、ロシア人の道徳的教育という観点で重大な意味をもちました。ただそれは、七十年の歳月を経てのことでした。
 罪もなく犠牲者となった人々は、ずっと罪なき犠牲者でありつづけなければなりませんでした。歴史の法則が流れる時間と、道徳的人間の内面世界を流れる時間とは、異なる尺度をもっています。ここでは、洞察の位相が合っていないのです。
 正義が証明されるのは、ロシアの人々が暴力によらない為政者を尊敬し始めるとき、そしてソフト・パワーを選択するときで、私たちはすでにこの世にいないでしょう。
 池田 ご心配は無用です。何が正しく、何が誤っていたのか、私たちの子どもや孫の世代がきっと見極めてくれますから。
 歴史を残すことが、未来に道を開くことです。総裁は大いなる歴史を残しました。人類史を「平和」へと前進させた人です。
 私たちは仕事をつづけましょう。新しき歴史を創りましよう。

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