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日蓮大聖人・池田大作

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リーダーシップの栄光と苦悩  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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10  自由な言論なくして人間の活性化はない
 池田 もうひとつ、現在、経済改革などの面で悪戦苦闘を強いられているのに対し、ペレストロイカがもたらした成果として、万人が首肯せざるをえないのが、グラスノスチ(情報公開)であろうと思います。
 ソ連時代を含むロシア千年の歴史において、検閲制度の存在しなかった時代がかつてなかっただけに、そしてまた旧ソ連が、一切の言論を厳重な権力の統制下におき、イデオロギーの専制支配のもとでの秘密国家として君臨してきただけに、このグラスノスチの浸透は、分厚いカーテンを徐々に開け放ち、燦々たる陽光を招き寄せる″夜明け″として迎えられました。
 初めは半信半疑であった人々も、あなたを中心にした当局の断固たる姿勢を知り、せきを切ったような言論の洪水現象が起こりました。その解放感にあふれた様は、旧来のソ連の暗いイメージを、一変させる効果をもっていたといってよいと思います。
 ゴルバチョフ そうですね。なぜペレストロイカがグラスノスチによって、真実をつつんでいたベールを取り去ることから始められなければならなかったか、その理由と背景については、これまでにお話ししたとおりです。
 七〇年代の終わりころ、高まりつづける知的関心、情報への欲求と、スターリン時代から何の変化もなく保持されてきたイデオロギーとの間には、すでに文字どおり野蛮きわまりない矛盾が生じていました。マルクス=レーニン主義学説と、ソ連史に関する批判を少しでもほのめかす作品は、国内文学、外国文学ともに禁止されていました。
 われわれの威勢のよいイデオローグ(論客)たちの攻撃は、反共産主義だけにとどまらず、創造的マルクス=レーニン主義をも、そしてマルクスの初期の作品を論拠に社会主義と人道主義の接点を見いだし、調和ある人格形成の理念を尊重しようとした哲学者、歴史学者をも攻撃したことは、パラドックス(逆説)としか言えませんでした。
 七〇年代には、国家的イデオロギーを時代の要請に適合させようと試みた創造的マルクス主義者たちが、何度か見せしめのように批判されました。このような「イデオロギープロセス(思想処理)」ともいうべき愚行によって、じつは最も社会主義思想を救おうとした人々、マルクス主義と社会主義を信じ、社会主義思想に新たな息吹を吹き込み、蘇らせようとした人々を排斥してしまったのです。
 池田 硬直化していた様子がよくわかります。
 ゴルバチョフ イデオロギーのプロパガンダ機関と、それを支える体制は、過去の時代に、そのときの歴史的背景において下された結論が、現在も揺るがぬものであると大衆に思い込ませることに余念がありませんでした。
 ですから、思想体系そのものの前提や公理に対し疑問を投げかけるような声を発しようものなら、当然厳重に処分されました。学者であれば職場を失い、党員であれば党員証を取り上げられました。正面切って論争を挑んだ者はだれもが、KGB(国家保安委員)の執拗な監視下におかれました。そのようなことが、ペレストロイカ直前の八〇年代半ばまで行われていたわけです。
 ただし、八〇年代に入ったころから、すでにこの思想を統制しようとする体制は機能しなくなっていました。グラスノスチは、言ってみれば無断で踏み込んできていたともいえましょう。
 池田 なるほど。おもしろい表現です。
 ゴルバチョフ ええ。それも真っ先に共産党の政治教育の場からそれは始まりました。非公開で行われていた党の勉強会で、ソ連経済の実態、社会主義諸国がかかえる危機の原因などについて、多少なりとも信憑性のある情報が提供されるようになったのです。一方、国民のほうは、懸念している問題の本当の答えを外国のラジオの電波を通して、見いだそうとしていました。
 そのようなわけで、ペレストロイカが始まるころには、情報操作は、思想的効果をもたなくなっていただけでなく、知識層を中心とする民衆の不満を煽ることになっていたのです。
 私たちがペレストロイカの一歩を踏み出したとき、第一義的課題として浮上したのは、いかにして情報の自由をつくりだすかでした。そのためには、共産党の改革派のトップがイニシアチブを発揮して、社会を検閲と禁止措置から解放しなくてはならないことは、あらゆる観点から見て明らかでした。
 池田 私が、とりわけグラスノスチにスポットを当てたのは、それが言論や言葉の活性化に裏打ちされていたからです。ペレストロイカは、当初から人間フアクター(要因)を機軸にすえていましたが、自由な言論なくして、いかなる意味でも人間の活性化はありえず、その意味では、グラスノスチこそペレストロイカのヒューマニズムを象徴していました。
 とはいえ、楽観は禁物です。グラスノスチといっても、たんに一切の検閲を廃止するという形式的な対応で、事足れりといった単純なものではなく、自由な言論を使いこなしていくには、社会全般のそれなりの成熟がなくてはならない。これはロシア固有の問題ではなく、情報化時代を迎えている自由主義社会も直面している、いわば文明論的課題といえます。社会の成熟を欠くと、情報の受け手の側には、どうしてもアパシー(無関心)やシニシズム(皮肉的・冷笑的態度)の風潮が支配的になってしまうからです。
11  新世紀を開く「武器としての対話」
 池田 グラスノスチの発動以来、数年を出ずして、あの活況を呈していたロシアの言論界が嘘のように沈滞し、すっかり様変わりしてしまったように伝えられますが、そのメンタリテイー(精神性)は、アパシーやシニシズムに通底しているのではないかと、私は懸念しています。
 いうまでもなく、そうしたメンタリテイーは、″左″であれ″右″であれ、低俗で狡猾なアジテータ‐(煽動者)の格好の餌食になってしまうことは、歴史の教えるところです。
 今、われわれに必要とされているのは、ある種の言語感覚でしょう。それは、現今の為政者のなかでは、おそらく最も繊細な感受性の持ち主と思われるチェコの大統領にして優れた劇作家、V・ハベル氏が濃密に体現している言語感覚です。
 いわく「その自由と誠実さによって社会を感動させる言葉と並んで、催眠術をかける、偽りの、熱狂させる、狂暴な、ごまかす、危険な、死をもたらす言葉もあるのです」(『ビロード革命のこころ』千野栄一・飯島周編訳、岩波ブックレット、158)と。
 そして、ハベル氏は「レーニンの言葉は……」「マルクスの言葉は……」「キリストの言葉は……」と問いかけております。
 たとえば「実際にキリストの言葉はどうだったでしょうか? それは救済の歴史の始まりであって、世界の歴史のなかでもっとも強力な文化創造の衝撃の一つだったのか、または十字軍の遠征、異端審問、アメリカ大陸諸文化の絶滅、さいごには白人種の矛盾に満ちた拡張の精神的芽ばえだったのか?」(同前)と。
 こうした問いかけ、その言語感覚こそ、情報の氾濫するなかで受け身に流されず、換言すれば、言葉に使われず言葉を使いこなしていくための必須の要件であると思います。と同時に貴国のグラスノスチの帰趨を決定づける要因になっていくのではないでしょうか。その見通しについては、どうでしょうか。
 ゴルバチョフ 今日、思想的異端に対する引き締めの緩和とグラスノスチ政策が国を自爆させた、という見解が横行しています。社会はまだまだ言論の自由を享受する準備ができていなかったのだ、と。
 私はこの考え方に賛成することはできません。その理由は第一に、そういった考えが、旧体制を懐かじむ人間たちや、初めからペレストロイカを快く思っていなかった現在の体制を支えている人間たちの口から発せられているからです。さらに決定的な点は、ペレストロイカが始まるころのノビエト連邦は、世界のなかで最も教育水準の高かった国だったことです。その水準を情報の真空状態で保つことは、もはや不可能だったといえるでしょう。
 あなたの言われるとおりです。言論の自由はつねに、「善の自由」と「悪の自由」とを同時に秘めています。言論の自由は、「善」と「理性」に働きかけることもできますが、「暴力」を誘発することもできることは明白です。しかし、それがはたして、ロシア民衆は真実を知る権利がまったくないことを意味するでしょうか。ロシア人は永久に幼稚で、情報や知識を自分に役立つように使えるようにはならないといえるでしょうか。
 池田 人間の善性を愛し、人間は互いに信じ合えるものだという大前提から事を始められたあなたにとって、ロシアの民衆が例外であるはずがありません。グラスノスチは、必ずやロシアの社会を益するであろうという、音も今も変わらぬあなたの不動の信念に、私は、双手をあげて賛同します。
 ペレストロイカの初期、ソ連通で知られるアメリカの政治学者ステファン・コーエン教授が、いみじくも「ゴルバチョフは、言葉の力を信ずることから始めた」と述べたように、グラスノスチこそ、ペレストロイカの核心中の核心に位置しているはずです。
 先にふれたように、私は、新世紀開拓のために「武器としての対話」(クレアモント大学での講演)を信条としています。ゆえにあなたへの共感も生じるのです。
 ともあれ、何が本物の言論で、何がまやかしの、悪へと人間を誘う言論であるかを鋭く見破る言語感覚を、心して磨いていかなければなりません。
 真実を知る、それによって歴史の主役になる。民主主義の成長、成熟というものは、結局のところ民衆が強く、賢くなり、何が真実で何が偽りであるかを見極める目を養うことに尽きる。それが″王道″です。

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