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ペレストロイカの真実  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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13  池田 全面的に賛同します。
 「平等」といっても、それが抽象的なスローガンでありつづけるならば、いつかは「差別」「搾取」を隠蔽する装置に堕落してしまうでしょう。
 いかに、それを実践するか。「平等を説く」のではなく、「平等を生きる」ことが、必須であると思います。
 釈尊が、カーストの身分差別に反対したことは、有名です。
 あるバラモンが、釈尊にこう尋ねました。
 「あなたの生まれはなんですか?」
 それに対し、釈尊は、こう答えています。
 「私はバラモンでもない。王子でもない。私は、庶民階級(ヴァイシャ)でもないし、他の何者でもない……私は、粗末な衣を着て、住む家なく、髭も髪も剃り、心やすらかに、汚染されることなく、この現実世界を歩んでいる」(『原始仏教の生活倫理』、『中村元選集』15所収、春秋社。参照)
 しかし、彼は、「平等を説いた」だけではありません。彼こそ、「平等を生きた」のです。
 釈尊の教団は″サンガ″と呼ばれていました。″サンガ″は、当時の平等な構成員による「共同体」のことです。また同業者の組合も″サンガ″と呼ばれていました。
 釈尊が、平等の理想にどれほどこだわっていたかは、″サンガ″という呼称を、みずからの教団に与えたことでも知られます。
 しかも″サンガ″に入るための条件は何もありませんでした。
 当時、最も差別を受けていた階級に属していた人々の名が、弟子として、記録されています。
 ゴルバチョフ なるほど。
 仏教が、民族宗教ではなく、普遍宗教、世界宗教である根拠を、見る思いがしますね。
 ともあれ、たんに平等観に立てば、自由主義が、平等の哲学をも含めて、他のすべての思想にとって代わるという見方は、誤りです。
 お話をうかがっていて、「平等」という価値が、根本的なものであることを、再確認いたしました。
 池田 ありがとうございます。仏教の本質を、鋭くとらえています。
 「平等」「公正」ということは、社会主義の理想の輝けるシンボルでもありましたね。
14  「限りない前進」の人こそ永遠の勝利者
 ゴルバチョフ もう一つ、政治家として闘ってきたなかで得た、基本的な教訓があります。
 それは、錯覚から醒めたときに、どういう状況であっても、自分と不可分の、民衆の理性と良心への信頼を失ってはならないということです。
 国民の創造的な力を信じることのできない政治家は、死んだも同然であり、自分自身も、何かを創造する能力を失い、偉大な仕事ができなくなってしまいます。
 本質的に見て、私の改革運動の原動力となっていたのは、自国の民衆への信頼、ソ連人が自由を得れば、創造のエネルギーを発揮するにちがいないとの確信でした。
 共産主義的全体主義、スターリン社会主義の奥にあるのは、国民に対する恐怖心であり、民衆の精神力に対する不信感であったことは、ペレストロイカをともに始めたわれわれにとって、明白なことでした。
 池田 重大な観点です。
 ゴルバチョフ ペレストロイカを始めた当初、まず党や産業の活動家が、国民を安い品物、従順な労働力として見てきた癖を、克服しようと努めました。
 当時、私たちが打ち出したスローガンは、″国民を恐れるな″ということでした。
 この指針は内部向けですが、それを口にすることが危険であったときも、私は、断固守りぬきました。
 しかし、わが国で、民主改革が確固としたものになってきた今、私にとって、民衆への信頼は、いやまして神聖なものとなっています。
 さて、私は幸福かと問われるのであれば、その質問に答えるのは容易ではありません。
 私が、舵を握っていた船を、おだやかな水域にまでもっていけなかったし、ノボ=オガリョフスク・プロセス(主権国家連合再編成案)を完成させられなかったのは、今も残念です。
 しかし、もっと広い意味で見ていけば、私は、二十世紀最大の変革に参加したのみならず、そのプロセスの陣頭指揮をとるべく、運命づけられたことは、幸運だったといえるでしょう。
 私は、歴史の扉をたたき、扉は、私の前で、皆のために開きました。世界的な核による惨事への脅威は、去っていきました。
 池田 核の廃絶は、恩師の遺訓でもあります。
 総裁は、人類のために偉大な変革をなしとげました。
 そのスケールの大きさを、日本の指導者も学ぶベきだと思います。
 ゴルバチョフ ありがとうございます。
 結びに、もう一言。私は、自分の使命が終わったとは、思っていません。
 改革と自由の道を、ひとたび選んだ以上、生あるかぎり、私は、自分の仕事をまっとうしていきます。
 私が積んだ精神的、政治的財産は、必ずや、わが国の自由と人類文明の安全にプラスになると思います。そして、さらに前進していくために、十分なエネルギーが、自分のなかにあることを感じています。
 一九八六年の夏、第二七回党大会から数力月後には、すでに私は、民衆への信頼に基礎をおいた民主主義について、政治局ではっきりと明言しました。
 「ペレストロイカの最も重要な部分は、民主化である。民主主義を恐れることはない、政治局であろうと、小さな集団や家庭であろうと、問題や話し合いを恐れることはない……」と。
 池田 力強い言葉に、感銘しました。
 多くの人々が、今のあなたの発言に、希望と励ましを、見いだすことでしょう。
 トインビー博士に、モットーをお聞きしたさい、博士は、ラテン語で、「ラボレムス」と言われました。
 これは、「さあ、仕事をつづけよう」という意味です。
 「さあ、これからだ!」「いよいよ前進だ!」
 この前向きで、ポジティヴ(積極的)な生き方を、仏法では、「本因」の姿勢といいます。
 瞬間瞬間、自己完成への因を、たゆまず積み重ねていくなかに、真の充実と幸福がある。
 これこそ、仏法の真髄の生き方なのです。
 「限りない前進」「限りない希望」――その人こそ、永遠の勝利者です。
 以前、あなたは、『回想録』を締めくくる言葉を、こう考えていると語られましたね。
 「すべては、これからだ」と――。
 この心意気で、いきましょう!
 ゴルバチョフ ありがとうございます。
 その思いは、今もまったく変わっておりません。

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