Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人類の歩むべき道  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
10  人生を変えた採用取り消し
 ゴルバチョフ ありがとうございます。
 ところで、自分がこれまでなにか重要な選択に迫られたとき、どのように行動してきたかということを、真剣に振り返ってみると、驚くべきことを発見します。
 鮮明に記憶しているのは、選択をしなければならなかったときの状況と、なんらかの行動を決意するひらめきの瞬間です。ところが、どうしてそう決めたのか、なにがそう決意させたのかについては、ほとんどなにも思い出せないのです。これはまったく不可解としかいえません。
 十代のころのほんの一例をお話しします。当時の田舎少年にとって、ソ連邦という檜舞台に立つかどうかの運命が、大学進学自体にかかっていたということは、今になってみればだれにも明白なことです。それがスタート地点になり、その後の方向性を大きく決定していったのです。でも十代の少年に、そのすべてが見えていたでしょうか。もちろん、学校では銀メダルをもらい、出来の良い生徒だったので、私が進学しようと考えたのは当然のことだったと思います。私だけではなく、同学年の多くが勉強をつづけたいという点では同じでした。
 国は復興期に入っており、建設が進むなか、エンジニア、農業の専門家、医師、教師が不足していました。だから、皆が進学し、勉強の苦手な者でも、なんとか進学先を見つけることができました。同級生たちは地元スタープロポリやクラスノダール、ロストフの大学をめざしていました。そのなかで、私一人が、なぜかロモノーソフ記念モスクワ国立大学の法学部を志望しました。
 なぜそうしたのか? スタープロポリの片田舎から、なぜモスクフに? 野心だったのか? わかりません。なにか魂をつらぬくものがあったのです。
 おそらくこの抑えがたい、湧き出てくるような心の発動を「運命の挑戦」「使命」という言葉で表すのでしょうか。
 いうまでもなく、私も、そしておそらく、あなたもそうであるように、人生の多くの事柄は、偶然の要素に左右されています。私の場合、社会活動家か政治家以外の道はほとんどなかったと今になって思います。子どものころから同級生に選ばれて、いつも皆のリーダー役をしていましたし、生来活発で、社交的で、人のなかにいるのが好きだったので、かなり早い時期から社会活動に自分の道を感じていました。学生時代もずっとコムソモール(共産主義青年同盟)の活動をやりました。
 それでも私の歩む人生は、まったく今とは違っていたことも考えられます。というのも、もし一九五五年にモスクワ大学を卒業した後、モスクフに残ることに固執し、故郷スターブロポリに戻らなかったとしたら、きっとソ連共産党の書記長にはなっていなかったと思うからです。
 池田 どういうことがあったのですか?
 ゴルバチョフ 当時の状況はこうでした。五年生を終えるころ、すべては、私がモスクワに就職する方向で事が運んでいました。学部のほうでは、推薦で私をソ連検察庁に入れることにしていました。
 当時、すでにスターリン粛清の犠牲者の名誉回復の手続きが、盛んに行われているところでした。それで私たちは、国家保安機関の作業が法にのっとって進められているかどうかを監視するために、新しく設置された検察庁査察部で働くことが予定されていたのです。正義の勝利のために闘う――これこそ自分に与えられた職場だと考え、それは私の政治的、道徳的信条にも十分適ったものだと思われました。
 六月三十日のことでした。最後の国家試験を無事に終えて寮に帰ると、ポストに就職が内定している検察庁からの正式な手紙が届いており、出向いてくるようにとの連絡でした。
 私は、逸る心を抑えて出かけていきました。新しい職務についての話し合いが行われ、自分の考えもしっかり述べる必要があることを期待して……。
 ところが、興奮した笑顔で手紙に指定された部屋を訪ねた私を迎えたのは、そっけない官僚的な通達でした。「ソ連検察庁はあなたを採用することを取りやめました」と。
 これは、ショックでした……。
 池田 それは、そうでしょう。
 ゴルバチョフ じつはその前日、政府は、法学部からの新卒者を中央の司法機関に採用してはならないという非公開政令を出していたのです。
 理由は、三〇年代に粛清が猛威を振るった原因は数多くあげられるが、なかでも、専門的知識も、人生経験も、いまだもたない多数の「青二才」が、当時の人々の運命に決定権をもってしまったからだという滑稽なものでした。その結果、かの粛清を受けた家庭に育った私が、今度はじつに皮肉なことに、「社会主義的法治の回復」という闘いの、″飛んで火に入る犠牲者″になってしまったわけです。
 これは、私のすべての計画にとって大打撃でした。すべての青写真が一瞬にして崩れ去ってしまったのですから……。
 もちろん、どうしてもモスクワに残ろうと思えば、大学のなかに、居心地の良いなにがしかの職を見つけることも、可能ではありました。実際、私の学友たちは早々と手を打ち始めていました。しかし、私は、どうしてもその気になることができませんでした。
 なにを隠そう、まさにこのショックな出来事があったからこそ、私は自分自身の人生を見いだし、そして、今はすでに私の手を離れて独り歩きをしている、一連の出来事を成就するための道を踏みだせたのです。これをなんと呼ぶのでしょうか? 偶然、天命、それとも運命なのでしょうか?
11  「運命」を「使命」へと転ずる一念
 池田 初めてうかがう、若き日の貴重なお話です。
 また、当時のソ連中枢の空気を伝える歴史の証言です。
 衝撃的な運命の″不意打ち″が、より壮大な人生への扉を、勢いよく開け放つ発条バネとなる――それは、有名人であると、無名の市井の庶民であるとを問わず、真に主体的に生きようとする人間だけに起こりうる、跳躍なのかもしれません。
 運命に従順であるか、反抗的であるか――いずれにせよ、人間は、それぞれの運命と向き合いながら、さまざまな舞台で、人生のドラマを演じているようです。しかし、運命の織りなすドラマの主人公になることは、まさに至難の業でありましょう。
 ゆえに、私は、モスクワ大学での講演のテーマを「人間よ、自らの主たれ!」というメレショフスキーの『ピョートル伝』の中の言葉に託したのです。
 私は、仏法者として、三世永遠の生命観にもとづく運命の存在を信じております。その省察から、人間であることの大切な要件である謙虚さも生まれますし、また、その省察を欠くところに、近代文明、近代人の傲慢さがあります。
 私の恩師は、ある歴史小説に言及して、「物事の″七割″は宿命で決まっている」と語っておりました。私も、十九歳のときの恩師との邂逅かいごうを顧みるほどに、三世にわたる運命的な力、宿命的なるものが、感ぜられてなりません。そのうえに立って、残りの″三割″に勇気をもって取り組み、挑戦していくところにこそ、本当の意味での運命観があり、使命の開花も可能になるのではないでしょうか。
 私が、あなたに贈った長編詩「誇り高き魂の詩」(本全集第41巻収録)の冒頭を、「時代は人間を生み人間は時代を創る――」と始めたのも、そうした運命観から発する思いでありました。
 ゴルバチョフ あの詩は、友情の真心の作品であり、ライサとともに、何度も、読み返しました。会長の詩心は、まことに美しい。
 池田 恐縮です。
 ところで『戦争と平和』のナポレオン像は、「王は歴史の奴隷である」(中村白葉訳、『トルストイ全集』5、河出書房新社)というトルストイの運命観、歴史観によって、ややみすぼらしく、矮小化されてしまった感があります。もちろん、そこには、いわゆる″英雄″よりも、無名の″庶民″にスポットを当てようとするトルストイの人生観が反映されております。
 ただ、あまりにも宿命の力が際立ちすぎて、ナポレオンが、実像以上におとしめられてしまっているようです。
 私は、それよりも、プーシキンによつて、
 「荒涼たる河の岸辺
 壮大なる想いに充ちて
 彼は立ち
 遠方おちかたを見つめていた――」
  (木村彰一訳、『プーシキン全集』2所収、河出書房新社)
 と謳い上げられた『青銅の騎士』のピョートル像のほうに、より親近感をもちます。
 みずからの手で、みずからの運命を切り拓いていこうとする能動的な姿勢が、鮮明に描かれているからです。
 ゴルバチョフ 私も、プーシキンは正しく見ていたと思います。
 たしかに、ピョートルという人間像には、多くの謎めいた不可解なものがあります。
 彼は、ロシア史に、まるで宇宙から来たかのように、突然、現れるのです。ロシア史のすべての論理に反して現れ、すべてを破壊しています。
 おそらく、メレショフスキーが、彼を″ロシアの鍛冶屋″と名づけたのは、正しかったと思います。
 「彼は、鉄が熱いうちにロシアを鍛えた」(『ピョートル大帝』米川哲夫訳、河出書房新社)と。
 池田 そうでしたね。『ピョートル伝』の中でも強い印象を残す一節です。
 この運命と対峙する姿勢について、私は、九三年九月のハーバード大学での講演(本全集第2巻収録)で、論じたことがあります。「近代人の自我信仰の無残な結末が示すように、自力はそれのみで自らの能力を全うできない。他力すなわち有限な自己を超えた永遠なるものへの祈りと融合によって初めて、自力も十全に働く。しかし、その十全なる力は本来、(他から与えられたものでなく)自身の中にあったものである」と。
 先ほど、あなたは、言われました。
 「私にとっての天命・使命とは、責任感の異名にほかなりません」――。
 まことに至言であります。
 あなたが「責任感」と呼ばれたもの――天命・運命・宿命を、使命へと転じゆく力。
 仏法では、それを人間の「一念」に見いだします。壮絶にしてダイナミックな「一念」の回転が、自己を変革し、現実の世界を変革する。ここに仏法の真髄があり、偉大なる人間革命のドラマがある。
 少しむずかしい表現になりますが、「三世常住の法」への私どもの信仰は、その限りない源泉であり、大地なのです。
 ゴルバチョフ なるほど。言わんとされることは、よくわかります。
 池田 その「一念」の発露が、声であり、対話です。
 トインビー博士との対談の折、最後に博士は、「語りつづけることが、大事です。世界の指導者と、対話をつづけることです」との言葉を、私に贈ってくれました。
 私は、その約束どおりに、行動を重ねてきました。この対談も、二人で、大いに語りつづけましょう。
 ゴルバチョフ 同感です。
 今、世界は、新しい状況に直面しております。そのなかで、人類は、新しい選択を迫られています。
 その一つ一つの課題について、私は、あなたと、英知を結集していきたいのです。

1
10