Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

五 アショーカとスリランカ  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
4  政治に生かした仏教の平和思想
 池田 そうですか。スリランカの仏教にも大きな影響を及ぼしたアショーカですが、私がこれまでに対談したアーノルド・トインビー博士、「EC(ヨーロッパ共同体)の父」ともいうべきリヒアルト・クーデンホーフ=カレルギー伯、ヨハン・ガルトゥング博士、そのほか多くの学者が、世界第一の国王としてアショーカを挙げていました。それは、博士が前に述べられましたように、仏教の平和思想が現実的な強い力となって働いたのは、まさしくマウリヤ王朝のアショーカの治世においてであったからです。
 彼は、即位十年後のカリンガ国征服を機に戦争の悲惨さを反省し、仏教の精神にもとづいた「戦争廃絶宣言」をしています。また、病気や貧困で苦悩している人々のために、徹底した福祉政策を推進しました。こうしたアショーカの業績は、仏教の平和思想を具体的な政治の場に実現した例として、世界史に特筆されるべきでしょう。
 征服は成功した。しかし、戦争の犠牲はあまりにも大きかった。親と子が、夫と妻が、友と友が――痛ましい別離が数かぎりなく繰り返された。嘆きの声が家々をおおった。アショーカは、痛切な悔いと苦悩にさいなまれる。「幸せたるべき人生を、生命を破壊する戦争とは何か!」――私には、彼の〈魂の叫び〉が、二千数百年の時のへだたりを超えて胸奥に迫ってくる思いがします。アショーカは、武力による勝利は真実の勝利ではない、むしろ人間としての敗北であることを知ったのだと思います。
 博士 おっしゃるとおり、アショーカは、カリンガ王国の併合に成功すると戦争を放棄し、その後、生涯、法(ダルマ)の道にしたがって国を治め、世界で最も人道的な王となったのです。
 私はアショーカの賛美者の一人です。若いころに、王の生涯と事業の物語を読んで深い感銘を受けました。H・G・ウェルズ著『世界文化史大系』から引用して、文脈の中でアショーカを見たいと思います。
 「廿有八年の間、阿育王は人間の生命の真の糧の為に清らかに働いた。
 世界史の年表に幾千幾万と群がる国王達、陛下達、殿下達、猊下達の中に阿育王の名前のみが殆ど唯一つ、星の如く聖らかに輝いて居る。
 西はヴォルガ河畔から東は日本に到る迄、阿育王の名は今尚尊敬せられ、支那、西蔵、更に印度すら其教義をこそ捨てたに拘らず大王の偉名を伝えて居る」(訳文は、北川三郎訳、大鐙閣から)
 池田 アショーカは、〈法(ダルマ)による勝利〉こそ真の勝利であることを知った。それゆえに、徹底して仏教の精神にもとづいた政治を行っています。武力を放棄して、〈法〉による統治に徹したのですが、これは難事中の難事です。というのは、当時のインドには百十八の民族が割拠しており、とくに西北インドでは紛争が絶えなかったといわれています。カリンガ国を征服して全インドを統一したといっても、アショーカの地位は決して安泰であったわけではありません。
 彼は平和への決意を民衆に宣言し、協力を訴えました。その背景には、釈尊によってインドの民衆の生命の大地に植えつけられた仏教の〈平和の種子〉が多くの仏教者の手で育成され、普遍的な精神文化となって大きく開花していたことが指摘されましょう。
 当時のインドには、民衆の心に脈動する信仰に支えられた平和と文化の光が、生き生きと輝いていたにちがいありません。
 人種的な優位性でもなく権威主義でもない。ただ〈法〉の実践者としての誇りと自覚が、アショーカを支えていた。マウリヤ王朝はアーリア人の王朝ですが、彼はその優越性を相対化しています。
 また、東部インドの一小国・マガダの国王の名においてのみ全インドを支配していました。決して「インド王」とか「大王」と名乗らなかった。彼の内的世界にあっては、国家とか民族、人種の差別などまったくなかったのでしょう。仏教の精神にもとづく崇高な平等主義に立っていたと考えられます。
 アショーカは、それぞれの民族固有の文化を尊重し、民衆の側に立った政治を行っています。彼の勅命が石柱や岩壁に刻みこまれていたことは有名ですが、シルヴァン・レヴィは、その内容について、「いずれも簡潔にして親しみのあることばで語られており、そこには善事、親和、慈悲、および人類がかつて聞いたことのなかった相互の尊敬など」(前掲『仏教人文主義』)が示されていたと述べています。また、たとえば磨崖法勅十四章の中で西北インドにあるものは、その地方の方言を表記する〈カローシュティー文字〉が使われているように、その地域の文化を尊重していたことがわかります。
 さらに彼は、インドのみならず世界の指導者たることを自認しており、〈平和の使節〉を諸国に送りました。スリランカへの使節についてはすでに話し合いましたが、そのほかに南インドのチョーラ人、パンダイア人など、またシリア、エジプト、マケドニア、さらにギリシャ世界の王などにも使節を送っています。全世界の精神界の指導者として、徹底した平和外交を展開したわけです。
 そのほか、アショーカの偉大な業績は、病気や貧困で苦しんでいる民衆のための福祉政策を推進するなど、さまざまな角度から評価できると思います。このように、仏教の〈法〉が内包している〈寛容性〉〈普遍性〉〈世界性〉という豊潤なる無形の財産を、有形の政策として具現化し、一つの文明にまで展開していった功績は、〈世界に現れた最も偉大な王の一人〉と絶賛されてしかるべきものでしょう。
5  平和と人間愛が実現
 博士 今話されたことについては、私もまったく同じ意見です。アショーカとその統治に関する情報のほとんどは、四冊の本――(一)『阿育王伝』(アショーカ・アヴァダーナ)、(二)『島史』(ディーパヴァンサ)、(三)仏音の律蔵の註、(四)『大王統史』(マハーヴァンサ)――に収まっています。
 後の三つはスリランカの経典で、パーリ語の学者たちによって広く研究されています。アショーカの治世のことや統治の様子については、多くの詳細な知識が得られています。アショーカの王としての権力は絶大でしたが、その支配は仏教の〈法〉の慈悲の力を反映していたと思われます。アショーカの統治は、かつて広大なインド亜大陸で、種々の人種的・社会的集団が仏教の世界観によって統合された、一つの明確な実証なのです。この点は、先生がいみじくも指摘されたとおりです。
 また、著しい繁栄と卓越した彫刻作品、優れた文官行政に王の統治の特徴があったことも注目に値します。ここに仏教による平和と人間愛が実現しました。しかも、物質的繁栄を犠牲にすることなく達成されたのです。これがアショーカの治世に実現していたことであるとすれば、将来、同じような現象によって全世界が一つになりうるという希望があります。
 池田 アショーカが国王の立場で仏教の平和思想を具現化していった方向性とは、時代も環境も違い、また次元も異にしますが、いま私どもも仏法を基調とした平和・文化・教育の運動を、民衆の側から起こしています。これも、全人類にとっての確固たる平和勢力を民衆の大地に築いていきたいとの念願からです。

1
4