Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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七 生命の誕生と進化  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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4  進化に必要な地球外からの情報
 博士 困難が生ずるのは、新しい情報、たとえば一個の人間をつくりあげるのに必要な情報を、バクテリアに存在する情報から生みだそうとするときです。それがバクテリアよりもっと人間に近い祖先であっても同じことです。原始バクテリアを何十億、何百億複製しても、必要な情報を得ることはまったく不可能です。
 ここで一個のバクテリアをつくりだすのに必要な情報が書物の一ページ、たとえば、シェークスピアの作品の一ページに書かれた文字に含まれている情報と同じものだと想像してみてください。そして、筆写をする人がこのページを何十億回、何百億回と書き写していることを想像してみてください。標準的なダーウィンの生物学理論は、このわずか一ページを繰り返し書写する際に生じる誤りを全部集めれば、最終的にはシェークスピアの全戯曲だけでなく、世界中の図書館にあるあらゆる本をつくることができるというのに似ております。これはたしかに論理的にも、また常識からいってもひどいこじつけです。
 新しい種をつくりだすことができるというダーウィン理論の主張は、厳密な計算によって正当化されたことはありません。また化石の記録の中で、間違いなく種と種の橋渡しとなった生物の存在を示す地質学上の証拠も現れたことはありません。
 地質学上の証拠がないという点についてのダーウィンの弁明は、彼の時代においては化石の記録は不完全であるが、ゆくゆくは彼が必要とする証拠が発掘されるであろうということでした。しかし、百三十年後の今日においても状況はなんら変わっておりません。
 池田 おっしゃるとおり、数々の論争を生んできた所以です。そこで、化石などの観察から進化の中間型や移行型が発見されていないことから、進化は短期間の急激な変化によって起きるが、その後、長期間にわたって生物には変化の起きない状態がつづくという「断続平衡説」が唱えられています。つまり、進化は必ずしも連続して生じてきたとは限らないというのです。この点についてはどうですか。
 博士 「断続(または中断)平衡説」にも大きな問題が一つあります。それは、この説が厳密な意味の学説とはいえないということです。化石の記録から得られた実際の証拠を、ただ言葉を並べて描写しているだけで、現象そのものに関する説明はまったくないからです。
 十九世紀にダーウィンの支持者たちは、生物の進化を本質的に否定する聖書の創造説に対して断固反対しました。この動きの背景にある社会学的な理由は、教会の権力と影響力の増大、そしてそれが必然的に引き起こした人々の怒りにあったと思われます。また、十九世紀中葉に勢いを増していた産業革命の影響もありました。
 人間は全能になりました。自然から力をもぎとり、蒸気機関車をつくり、世界を征服することさえできるようになりました。したがって、この機械論的・還元主義的な態度をさらに広げ、それによって生命に関するあらゆる現象の説明を求めようとすることは当然のなりゆきでした。しかし、そのような試みはまったくの失敗に終わりました。
 進化の事実は間違いなく正しいし否定できませんが、ダーウィンとその門下が示した進化のメカニズムは、新しい種の誕生と意識および知性の起源を説明するには不十分なものでした。私の見解では、進化に必要であったのは、この地球の外から創造にかかわる情報が入ってくることです。
 池田 ダーウィンの進化論は、西欧文化に多くの影響を与えております。たとえば、社会ダーウィニズムが「適者生存」とか「生存競争」といった概念を導入して、ハーバート・スペンサーによって提唱されております。
 博士 おっしゃるとおりです。社会ダーウィニズムは、科学ダーウィニズムのすぐ後を追って現れました。ヒトラーのドイツ民族がほかの民族より優れているとの弁明は、ある点ではダーウィン説的イデオロギーから派生したものとみることができます。同様に、強国による弱国の植民地支配は、時にはダーウィン説の思想によって弁護されました。一つの科学上の理論が想像もできない方向に拡大されたのです。
 「生物進化」の思想はさらに、最初のバクテリアが発生する前に起きた「化学進化」を示唆し、単純な化学物質から生命が発生したという説にまで発展しました。アミノ酸などの生命の構成材料はこのようにしてできるでしょうが、生命が発生することなどほとんど不可能であると私は思います。
 池田 進化論の考え方の影響は、宇宙を対象とする天文学の分野にもさまざまな形で表れています。たとえば、宇宙は進化するという思想にのっとったビッグバン説が提起されたり、今、博士が言われたように、〈物質進化〉〈化学進化〉〈生物進化〉などということばが使われていることにも表れていると思います。
 つまり、ビッグバン理論をもとに〈宇宙進化〉について考えますと、宇宙誕生後の〈物質進化〉は、第一段階には素粒子、水素・ヘリウム原子の生成から恒星内の核融合反応、超新星爆発による重元素合成に至る元素の進化が位置します。次いで、こうしてできた元素が結合して高分子化合物をつくりだす〈化学進化〉の第二段階があります。そして、この結果誕生した原始生命の発展という第三段階の〈生物進化〉が位置づけられることになります。
 博士 〈進化の思想〉が天文学や宇宙論にまで広がるとおっしゃったことは興味深いことです。生命の起源が地球上の単純な始まり、つまり一個のバクテリアにまでさかのぼれたように、全宇宙が一個の〈超原子〉に始まったとする思想もそれと同様であるように見えるかもしれません。
 〈創造〉が、生命については生物学者に否定されたとはいえ、その後まもなく宇宙論においてビッグバン宇宙創造説として復活しているのは皮肉なことです。
5  〈生命的存在〉の大宇宙
 池田 博士のように、ビッグバン宇宙進化論のシナリオを信じない立場の学者もいます。その場合、星間塵の上に乗っている〈生命の種子〉は、いつ、どこで、どのような環境のもとで形成されていったとお考えですか。
 博士 ビッグバン宇宙論では、有機的構造をもった生命が純粋に機械的なプロセスから生まれるには時間が十分でない、と私は考えます。〈生命の種子〉は炭素や窒素・酸素・燐などの元素を必要としますが、これらが生ずるのは、銀河が形成されて恒星が進化し、超新星が爆発した後です。
 生命に適した状態が現れるのは、標準的なビッグバン宇宙論では、百二十億年以前よりさらにずっと前だったということはありえません。私が賛成したい定常宇宙論では、〈生命の種子〉と諸属性は宇宙の不変の構造の一部となっています。
 池田 テキサス大学のスティーブン・ワインバーグは、『宇宙創成はじめの三分間』(小尾信彌訳、ダイヤモンド社)の中で、現在の宇宙の進化論を説得力をもって論じ、その結果として「宇宙は無意味である」と言っております。
 仏教では「宇宙即我」と説いておりますが、この法理は、人間の生命と大宇宙とは本来的に密接不可分なつながりがあることを教えています。大宇宙そのものが〈生命的存在〉であり、それゆえに、宇宙には生命へと向かう傾向性が根源的に内在していると考えます。このような視座から、大宇宙の生々流転と人間生命の存在との間に深い意味を見いだすのです。
 もとより、ワインバーグの表明は冷静な科学の眼をとおしてのものであり、哲学のそれとは異なるでしょう。しかし、現実に生きている人間生命にとって、宇宙の存在はまったくなんの意味もないものでしょうか。
 博士 先生が説明された生命的宇宙にあたるものは、定常宇宙論の観点と驚くほど合致するのです。
 生命こそ宇宙本来の目的であると考えられましょう。つまり、宇宙全体が生命と意識の維持に向けられているということです。朝永振一郎博士の業績を世界に紹介したプリンストン大学のF・ダイソン博士も、その自伝でこの点について同様の深い考察を加えていますが、いかなる世界の分析においても、もし宇宙的生命に関する考察という側面が省略されるならば、ワインバーグと同じジレンマにおちいることになるでしょう。すなわち宇宙はまったく意味がないように見えることでしょう。

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