Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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四 仏教の宇宙論  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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3  太陽系の「成住壊空」
 博士 私は、仏教の宇宙進化論の「四劫」つまり「成住壊空」を、星のライフサイクルを表しているものと考えたいのです。
 太陽を例にとって説明しましょう。太陽のような恒星は、質量として七四パーセントの水素、二四パーセントのヘリウム、約一・五パーセントの炭素・窒素と酸素、そのほか残りの〇・五パーセントほどは、マグネシウム・シリコン・鉄のような重い元素を含む星間雲の断片として、その生涯のスタートを切ったのです。
 池田 これは、成住壊空の考え方でいえば、「空」から「成」への間にあたる時期と言ってよいでしょうか。
 博士 そう言えると思います。水素とヘリウムはガス状ですが、それ以外は大部分が固形の塵粒子――ホイル博士と私が過去十年間に展開した理論によれば、生命粒子つまりバクテリア――として存在しています。
 この星間雲の断片は重力のため収縮し、重力のエネルギーが熱のエネルギーに変わります。最初は熱エネルギーは光となって外へ出ていき、熱はたまりませんが、収縮が進むと密度が上がって不透明になり、光が逃げだせなくなり、熱くなります。収縮はつづき、中心部の温度は千万度で核反応が始まるところまで上昇します。これらの核反応は、主に水素をヘリウムに変換するので、太陽やほかの大部分の恒星は、その生涯の長きにわたって輝きつづけるのです。
 太陽の場合、ガス状の雲から生成する最初の段階は比較的短く、約二千万年ほどです。この段階で惑星や彗星が形成されますが、これらが後に生物の誕生と進化に結びついていくのです。
 池田 生成・建設期の「成」の時代を経て、次に安定期つまり「住」の時代へと移っていくのがこの段階ですね。
 博士 そうです。太陽の安定期は約百億年つづくと推定されています。現在は、この安定期のほぼ半ばです。
 池田 そうしますと、地球の寿命もあと五十億年あることになりますが。
 博士 そのとおりです。
 池田 世界中の人々が安心することでしょう。(笑い)
 博士 ところで、原始生物はほぼ四十億年、地球上に存在していますが、知的生物の誕生はごく最近のことで、百万年もたっていません。
 あと五十億年ほどたつと、太陽の歴史における安定期は終わるでしょう。そのころになると、ヘリウムのコア(核)が中心部に形成されます。すると太陽と、その外層の部分が急速に膨張し、赤色巨星になります。
 池田 これは「住」から「壊」に向かう段階ですが、太陽が赤色巨星になると、地球軌道の大きさぐらいまで大きくなるとされていますが。
 博士 このときまでには、地球上の生物は、ほぼ確実に絶滅してしまっていることでしょう。ただ外惑星の衛星では、生命がもう少し長く存続することも十分にありえます。
 赤色巨星となった太陽は核反応を連続的に起こし、炭素・窒素・酸素と、水素やヘリウムより重い元素を生みだしますが、爆発によって、各種の元素は最終的に、星間空間に放りだされることでしょう。太陽の場合、終局の状態は白色矮星ですが、それより若干大きい星の場合は、最終結果として超新星になります。
 池田 「壊」「空」という終局の状態まで話が進みましたが、知的生命の出現が考えられるのは「住」の時代ですね。
 博士 そのとおりです。
 〈太陽系〉の進化における最も重要な発展段階は、生命の誕生と意識および知性の発達にちがいありません。ホイル博士と私は、あらゆる生命情報は太陽系の外から宇宙塵によって運ばれてきた、と主張してきました。
 この見方によれば、全生物の情報は、一つひとつの太陽系が進化するにつれてその中に導入された宇宙の属性にちがいないのです。私たちの考えでは、そうした宇宙の〈遺伝子〉から発達した私たちのような生物は、知性を得たことにより、人類の誕生と進化に関する真実を覚知する生得の能力をもっているのです。
4  生命の根源への洞察
 池田 これまで星のライフサイクルについて、「成住壊空」の法理が成り立つことを見てきました。銀河系や銀河団の次元においても、この「成住壊空」の原理はあてはまると考えられますか。
 博士 もちろん、この概念をもっと大きなスケールで応用することもできるでしょう。銀河の寿命にも「四劫」と似かよった時間的区分があると思われます。同じことが銀河団や超銀河団についても言えるでしょう。
 池田 銀河系宇宙の流転は、小千世界の成住壊空に相当し、銀河団や超銀河団の次元は、三千大千世界での「四劫」としてイメージされると思われます。ところが、先ほど述べましたように、大乗仏教になりますと、部派仏教における三千大千世界説や四劫説を取り入れながらも、さらに広大無辺な宇宙観が展開されていきます。
 とくに『法華経』の「如来寿量品」においては、〈五百塵点劫の譬〉で釈尊が〈久遠の仏〉(永遠なる仏)であることを示しておりますが、その譬喩のなかに、無始無終の宇宙観が開示されるに至るのです。
 この〈譬喩〉は、五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を粉々にすりつぶして微塵とし、東方の五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて一塵を落とし、こうして同じようにすべての微塵を落とし終えたあと、今度は塵を落とした国土も、落とさなかった国土も合せて微塵として、その一塵を一劫とするというのです。ここに、五百千万億那由佗阿僧祇という数字が挙げられておりますが、その意味は、五×百×千×万×億×那由佗×阿僧祇ということです。
 ここでいう那由佗は千億を指し、阿僧祇は無数の意味ですが、これは、決して「無限の数」という意味ではありません。つまり、-10の数字をいいます。そうしますと、五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界の宇宙というだけでも、現代の天文学的数字をもはるかに超える規模であるといわなければなりません。
 仏教ではなにゆえ、このような壮大なる宇宙論を展開しえたかといえば、前述のように、仏教の洞察の眼がまず生命内奥に向けられ、そこに展開される〈内なるコスモス〉(小宇宙)の解明を通じて、宇宙生命の根源にまで至りえたからだと思われます。
 この宇宙根源の大生命は、〈外なるコスモス〉として展開する現象宇宙(大宇宙)への源泉でもあり、母体ですから、それを基盤にすることによって、仏教は〈外なるコスモス〉の様相をもイメージしえたのだと思われます。
 博士 生命の〈小宇宙〉と、外的世界としての〈大宇宙〉との関係が存在するのは、前者が後者から出たこと――一方が他方を含んでいるという単純な理由によるものです。ですから、深い内省や瞑想によって、外的宇宙に関する真理が開示されることがときどきあったとしても、私は驚くべきこととは思いません。
 仏教に説かれるさまざまな宇宙論は、まさに今述べられたような経緯により発見されたにちがいありません。私たちの心には、私たちの内なる生命の〈小宇宙〉と外なる〈大宇宙〉の橋渡しをする能力があるにちがいありません。

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