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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 現代の目標  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

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13  現代、未来の青年像
 池田 一九六八年以来、世界中の若者たちが、強固な既成体制に対して、過激な手段で反抗を試みてきました。一時、収まったかに見えても、問題の本質は少しも解決されたわけではありません。
 ところで、彼らの反抗は、いずれも暴力的な方法に訴える点で共通しています。こうした暴力的な反抗と比較して、かつてガンジーがとった非暴力主義を、あなたはどう評価されますか。
 クーデンホーフ 歴史的にみると、ガンジーの非暴力運動は、この種の抵抗に寛大な態度を示したイギリス政府に大きな名誉を与えるべきものであったと考えます。
 当時、もしもイギリスの支配者たちが、ヒトラーのようなファッショであったとしたら、ガンジーと、その仲間たちは、皆虐殺されてしまったことでしょう。したがって、ガンジーの非暴力運動を成功させたのは、一面では、イギリスの寛大な統治であったとも言えましょう。
 現代の若者の暴力は、一面では、彼らがエネルギーのはけ口を闘争に求めているということでしょう。大きな戦争がないために――それは大変良いことですが――反抗によってエネルギーを発散させようとしているのだ、と言えないでしょうか。
 池田 こうした若者たちの反抗がなぜ起こったか。その原因を、あなたはどうご覧になりますか。
 クーデンホーフ いろいろな理由が挙げられると思います。第一の理由は、彼らより古い世代が第二次世界大戦を阻止しえなかったということです。若い世代は、もし古い世代がもっと賢明であったならば、この戦争を引き起こすことはなかっただろう、と考えているわけです。
 第二の理由は、現在の社会が、若い世代のもつ理想主義を満足させることができないということです。とくに、衰退の一途にあるキリスト教に代わるべきものを見いだせないため、あるいは、革命的な思想に走ったり、また、麻薬を使ったりしています。
 第三の理由は、今日の大学機構の中に多くの問題があるということです。その結果、学生たちの闘争本能が、話しあいよりも、暴力的な行動に訴えさせるわけです。
 池田 今挙げられた理由は、私も一つ一つ納得できます。たとえば第一の「第二次大戦を引き起こした責任への反抗」という点は、私は、若者たちのレジスタンスの一つの大きなテーマである″反権力″″反国家主義″というものに、よく表れていると思います。
 あの大戦を引き起こした主役は、なんといっても″国家主義″であり″権力″です。
 しかも、インドシナでは、今日なお、若者たちを戦争に駆りたてています。そして、彼らから、平和と生命の安全、自由の権利を奪っているのが、″国家″であり″権力″です。若者たちが、それらに対して徹底的に反抗しようとするのは、私は当然なことだと思います。
 にもかかわらず、多くの若者たちが、ある種の絶望感、挫折感におちいっているように思えます。アメリカなどでは、多くの青年たちが、ヒッピー化し、麻薬におばれて現実から逃避しようとしています。本来なら前途に希望多かるべき青年たちが、みずから身を滅ぼしていくのを見るのは、大変痛ましいことですね。
 クーデンホーフ 私の意見ですが、人類の未来は、明敏な頭脳が主導権をにぎる世界となるだろうと思います。したがって、現在の学生たちが明日の世界を決定づける指導者となるのであって、彼ら自身は、その自覚に立って、未来に向かって自己形成し、準備をするべきだと思います。
 池田 世界の若者は、要するに″生きがい″を求めているのだと思います。言葉をかえて言えば、″生きるに値する価値″を求めているのです。生きるために精いっぱいであった段階から、この″生きていること″を、何のために生かすかということが重大事となった段階に入っています。
 技術的な要素が強かったこれまでの価値観に比べて、二十一世紀に向かおうとしている人類に求められている新しい価値観は、人間の内面に深くかかわる問題であり、したがって、きわめて宗教的なものであると思います。
 クーデンホーフ 私もそのとおりだと思います。
 若者たちのために、こういう提案はどうでしょうか。
 たとえば、青年男女を訓練して、二千人から一万人のグループに組織し、地震などの災害救助活動に乗り出すのです。そして、仮に、世界のどこででも地震が起きたら、その救済のために、これらの青年男女を飛行機で現地へ派遣します。
 これが実現すれば、全世界の青年たちにとって、素晴らしい目標となるでしょう。
 池田 なるほど、興味ぶかいお考えですね。
 青年たちは、あまりにも虚偽・虚構にいろどられた社会に反発を感じているように思えます。言葉そのものも抽象化されて実態のないものが多いですね。思想といっても色あせてしまって、それがどれだけ生きがいへの力となるか、疑わしくなってきています。
 青年が求めているものは、虚像ではなく実像です。確かな実感であって、むなしい言葉ではありません。
 目標を失い、充実感もなく、自分の生命を心から燃焼させることのできるような確かなものがない、そうした挫折感に覆われた青年の気持ちを、われわれは、もっとくんであげなければならないと思います。
 私は青年たちが好きであり、これまで多数の若い世代と対話をしつづけてきました。結局、青年とともに生きよう、青年とともに前進しようとする指導者のいないことが根本の問題だと思います。
 そして、もっと青年のもつ多面的な可能性を開いていけるように、社会体制の改革を図っていかなければならないと思います。
 現代の社会体制は、青年のためよりは、大人たちのため、既成体制の利益を守るためのものとなっています。そして大人たちは、かれらが定めた運命のコースを青年たちに強いているのだといっても過言ではありません。こんなことに青年たちは我慢がならないのです。
 われわれは青年を尊重し、その隠された可能性を十二分に発揮できるような社会を、われわれの責任においてつくるべきです。もし、すぐにできないとしても、その姿勢は、次の世代に必ず受け継がれていくのではないでしょうか。
14  テレビ、人口問題、恋愛と結婚
 池田 現代は″テレビ文化の時代″と言われているとおり、とくに先進産業社会においては、夜の家族団欒の時間が、ほとんどテレビ視聴に費やされているようです。そして家族同士の対話を欠き、夫婦や親子の断絶を生む一因にもなっています。
 テレビ文化が人間の意識形成や価値観におよばしている影響は、大変大きいと言えます。これは、いろいろな角度から考えられると思いますが、とくにあなたがお感じになっているのはどういう点でしょうか。
 クーデンホーフ テレビは、たとえばアメリカでは、立法・行政・司法のバランスの上に立った大統領制中心の政治機構を変えつつあるように思えます。
 これまでは、議員のみが、自分の選挙区の有権者を戸別訪問するなど、直接有権者と接してきたわけです。今日では、テレビを通じて、大統領がどの家庭にも入り込み、直接話しかけられるようになりました。もっとも、国民のほうからは大統領に話しかけることはできませんが……。
 その結果、議会と大統領の間のバランスがくずれて、大統領のほうがずっと有利な立場になっています。こうして、アメリヵでは、テレビは、ある意味で代議政治制の脅威になっていると言えます。
 テレビは、視聴者の意識や判断をリードして世論を形成するうえで、新聞よりも影響力があります。そのため、有権者の自主的な判断力が、以前よりも低下しているのではないかと思われます。いわゆるタレント出身の政治家の出現などはテレビ文化の影響と言えますね。
 池田 次に、人口問題についてですが、地球が支えられる人口の絶対的限度は、どんなに多く見積っても、三百六十億人ぐらいだという説があります。今の人口の約十倍です。
 現在でも、人類の多くが飢餓状態にあり、このまま人口が増えていけば、将来、食糧問題はますます深刻になることは必至です。この問題の解決について、あなたのご意見をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ 人口問題の解決は避妊法を普及して出産率を低下させる以外にないと思います。生まれてくる子どもの九〇パーセントは母親の望んでいない子どもと言われているくらいです。現在、人口過剰に悩む国々への最高の援助は、避妊法と言えるかもしれません。
 もう一つ私が考えているのは、世界の食糧は、将来、陸よりはむしろ海洋から得られるであろうということです。
 これは、人類が海洋を汚染してはならない重要な理由の一つです。豊富な食糧供給源である海洋を汚染することは最大の悪である、と言わなければなりません。
 池田 食糧問題に関連して、日本では反対に、米の生産が多過ぎて、それが重要な政治問題になっております。この余剰米の対策について、いいお考えがあれば、おうかがいしたいと思います。
 クーデンホーフ 私は経済学者ではありませんから、この問題は私の専門外ですが、しかし、二つ私案を申し上げましょう。一つは余剰米を、低開発国や、飢餓国の児童への救済援助にあててはいかがでしょうか。
 もう一つは、日本酒を世界に宣伝してみてはどうでしょうか。ヨーロッパではブドウ酒やウイスキーやウオツカの味を知らない者はいませんが、日本酒の素晴らしい味を知っている人は、ごくわずかです。そこで、日本酒を大いに宣伝し、輸出すれば、余剰米問題解決の一助にならないでしょうか。
 池田 次に、うかがいたいのは、恋愛と結婚の問題です。
 現代社会では、恋愛は恋愛、結婚は結婚と別々のものとして割り切ることが若者らしい近代的な行き方であるかのように言われていますが、私はそれは間違いだと思います。やはり、真剣な恋愛は、結婚という実を結ぶためのものであるべきです。
 家庭生活というものは、一つの生命体と同じで、夫婦が互いにたゆまず努力し、成長していってこそ、幸福な家庭が舞かれるのであって、そこに夫婦の愛情の年輪、家庭の年輪が刻まれていくのではないでしょうか。
 恋愛と結婚についてのまじめな考え方こそ、こうした家庭生活の出発点となり、支えとなるものであると思います。
 ところが、そうしたモラルや考え方といったものが、世界的に変化してきていますが、北欧などにおけるフリーセックスなどの問題もこれと無関係ではないと思います。あなたは、これをどうお考えになりますか。
 クーデンホーフ はじめに、恋愛と結婚のモラルの問題ですが、動物のなかにも、たとえば白鳥や鷲やサイには一夫一婦制も、自由恋愛も両方あります。
 歴史上、一夫一婦制は、女性が自分や子どもを養うために、生活を支えてくれる異性を見つけなければならないという必要から形成されたものです。
 しかし、現在は事情がまるで違ってきました。女性が教育や技術を身につけて、生計をたてることができるようになったからです。私は、将来も、結婚とフリーセックスは別々の問題だと思います。
 同性愛の問題ですが、私は、人々が同性愛に否定的なのは、それが少数の例外的問題だからだと思います。
 しかし、ミケランジェロ、サッフォー、レオナルド・ダ・ヴインチ、シェークスピア、ソクラテスなど歴史上、最も偉大な人たちのなかに、同性愛の人がいます。生まれつきの人もいます。だから、一方的に同性愛を軽蔑することはできないと思いま
 す。
 池田 離婚が急増していることも危険な傾向ですね。こうした危機を、夫婦が、お互いの努力で乗り越えることによって、本当の愛情が生まれてくるのではないでしょうか。
 そうした試練を経ていない愛情は、それがいかに純粋で、美しいものであったにせよ、磨かれないダイヤモンドに等しいと思うのです。

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