Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 文明の英知  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

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10  ナセル、ホー・チ・ミン
 池田 話題を変えて、アラブ世界の偉大な指導者であったナセルの人柄、業績などについて、あなたの評価をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ 私はナセルには会っておりません。しかし、彼の行った偉大な運動は、今後何世紀にもわたって、おそらくエジプトにとってはピラミッド以上に重要なものとして生きつづけることでしよう。
 ナセルは二十世紀の風雲児でした。彼はエジプトが国家としては、その歴史を終えたと見通しました。そのため大西洋からベルシャ湾にいたる、より大きなアラブ世界が彼にとっての国家となったのです。
 こうして、ナセルはアラブの指導的な愛国者、大アラビア建設の創始者となりました。いつの日か、大アラビアは、世界の超大国の一つとなるでしょう。
 彼の反イスラエル政策は、アラブ世界を統合するための手段でした。しかし、私の考えでは、彼はイスラエルを汎アラビア世界に統合するよう努力したほうが良かったのではないかと思います。そうしていたら、より強力に、文明、技術、生産、富、そして力を追求することができたでしょう。
 しかし、あたかもド・ゴールが仏独間の調停をしたと同じように、はたしてナセルがアラブ人とユダヤ人を和解させることが可能だったかどうかは疑問です。ナセルもイスラエル側も、共存や協力関係を打ち立てるために真剣に努力しなかったことは事実です。
 池田 アラブとイスラエルの対立は、たんに中近東の問題ではなく、ヨーロッパ諸国とも密接な関係があるし、米ソとも強いつながりをもっています。そこで、この問題の解決策は何だと考えますか。
 クーデンホーフ 私は、アラブ諸国とイスラエル間の和平交渉が不可能なら、アラブ、イスラエル双方が十年間の休戦を保証しあって、大アラビア世界における協力関係の必要性について、また、独立国イスラエルのアラブヘの密接な結合の必要性について考える時間を与えるべきだと思います。
 また、ソ連とアメリカが地中海で対立関係にあるのは、ヨーロッパにとって大きな脅威です。これについては、ヨーロッパとアラブは、地中海がヨーロッパ人とアラブ人の海であることを宣言し、米ソに対して、地中海での陰謀を撤回するように、全力を挙げて交渉すべきです。
 池田 話題を東洋に移して、かつてフランスと非常に関係の深かった人物にホー・チ・ミンがいます。彼はきわめて東洋的な精神をもった社会主義者であると、私はみています。
 クーデンホーフ フランスがインドシナ国家の建設について、ホー・チ・ミンと話しあいをせずに、手を切ってしまったことは重大な誤りだったと思います。
 もし、ホー・チ・ミンのめざしたインドシナ国家が実現していたら、それはチトーのつくったユーゴに匹敵するものになっていたと思います。
 池田 二十世紀の指導者として忘れることのできないのは、ド・ゴール、チャーチル、毛沢東ですが、彼らにはいずれも、確かに、強い信念とビジョンのもとに、国民を率いていく強烈な個性と魅力がありました。
 ところが、現代の世界では、このような国民的な人気を集めることのできるリーダーが、しだいに少なくなっている感があります。この傾向が、一概にいいか、悪いかを論ずることはできないと思いますが……。
 社会がそれだけ発展し、また安定した証拠であるとみる人もいますし、反面、現代文明というものが弱体化している証拠であると指摘する人もいます。
 私は決して英雄礼賛論者ではありませんが、現在、人類が直面している現実を見れば、社会が進歩し、安定したとは決して思えません。むしろ、今こそ、これら人類が当面する困難な課題と、勇敢に真っ正面から取り組んで、その解決への方向と方途を国民の前に提示するリーダーが必要ではないでしょうか。
 そういう意味から、二十世紀の巨頭とされている、先に挙げた指導者たちについて、あなたの評価をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ 毛沢東には会ったことがありません。チャーチルとド・ゴールは傑出した政治家であるとともに、優れた文筆家であり、歴史家でもありました。
 池田 歴史家ということで私は思うのですが、正しく歴史を見る目をもつということは指導者の要件としてきわめて大切ですね。
 私は、史観をもっているかどうかで、優れた指導者たりうるかどうかが決まると思います。その点でド・ゴールにしても、チャーチルにしても、また毛沢東にしても、それぞれの確固とした史観をもっております。それが、言動の上に大きな重みを加え、たんに自国のみならず、世界的影響を与える結果になったとも言えましょう。
11  チャーチルとド・ゴール
 池田 あなたは、チャーチルやド・ゴールとは親しい間柄にあったと聞いていますが、この二人の人柄や指導者としての特質について、さらに詳しく触れていただけますか。
 クーデンホーフ 二人とも現代の英雄で、私は大きな尊敬の念をもっています。チャーチルの英雄たるゆえんは、ヒトラーの圧倒的な攻撃に対抗して、孤立化した小さなイギリスで、国民の知配に立って戦ったことです。
 ド・ゴールもペタン政権がナチスに屈服したあと、フランスの栄光のため、自由のために政府と軍に対抗してただ一人立ち上がりました。
 私とド・ゴールとの交流は、一九四三年に始まりました。チャーチルと初めて会ったのは一九三八年です。私は彼らとヨーロッパの将来について語りあいながら過ごしたときのことを、愉しく想い起こします。
 この二人の偉人には、互いに大変違った面がありました。チャーチルは、どちらかといえばより芸術家肌で、ド・ゴールのほうは学者肌のところがありました。チャーチルにとっては、人生はスポーツであり、ド・ゴールにとっては美でした。
 しかし、チャーチルは英国への、ド・ゴールはフランスヘの忠誠を第一としていましたから、二人ともヨーロッパ全体への忠誠者であったとは言えません。
 池田 とくに、どんな話題が出ましたか。
 クーデンホーフ 彼らとの会話では過去の歴史と現代との対比が主な話題でした。二人とも非常な行動派の歴史家でした。彼らの情熱は、歴史を書くことではなく、歴史をつくることに向けられていたようです。
 二人とも、その政治上の業績もさることながら、同時代の人々の模範となるような何かを示したことは特筆に値します。すなわち英雄崇拝という永遠の伝統をよみがえらせたことです。政策上の反対者たちも、二人の人格や勇気、忠誠心、寛容、威厳には尊敬の意を払いました。
 チャーチルとド・ゴールは、ともに偉大なジェントルマンでもありました。二人とも、素晴らしい女性――それぞれイギリス一、フランス一の美しい婦人を伴侶としました。チャ―チルはノーベル文学賞を受けましたが、ド・ゴールも受賞の資格があったと、私は思います。
 チャーチルは優れた文章家でしたが、同時に才能ある画家でもありました。また彼は、素晴らしい俳優になれたかもしれません。
 一九四〇年、チャーチルとド・ゴールはフランス陥落の直前に、英仏両国を統合して一つの政府、一つの議会をもち、同じ市民権をもつ連合国家をつくろうとしたことがあります。戦後の統合ヨーロッパヘのスタートともなるべきものでしたが、この計画は失敗に終わりました。
 戦後、大戦の犠牲国になったフランスと敗戦国ドイツとの間の深い憎しみが、ヨーロッパの和解と統合を不可能にしたかにみえましたが、一九四六年九月に、チャーチルがチューリヒで行った大演説によって、統一ヨーロッパヘの動きがふたたび台頭しました。
 第二次大戦中、私はニューヨークからド・ゴールに対し、書簡でパン・ヨーロツパ連合の名誉総裁ヘの就任を依頼し、また、フランスのみならずヨーロッパの自由と解放のためのレジスタンスの指導者になってほしい、と要請したことがあります。
 池田 ド・ゴールはどう反応しましたか。
 クーデンホーフ その内容に共感したそうですが、丁寧に断ってきました。フランスのナショナリストたちは、ド・ゴールがドイツまでも解放するのではないかと憶測したのでしょう。
 その後しばらくして、われわれは最初ニューヨークで、次にパリで会いました。ド・ゴールと私は、彼が政権につく以前もその後も、非常に興味ぶかい会話を数多く交わしました。
 日本からの帰路、私は妻とともにコロンベ・レ・ドゥ・ゼグリーズに立ち寄り、ド・ゴールの墓に詣でました。それから数時間後にチューリヒに帰ったとき、この懐かしい友の筆になる最後の書簡と、遺作となった『希望の回想録』が一冊、私の机上に届いておりました。(=この部分は、クーデンホーフ=カレルギー伯が希望して、帰国後に加筆)
 池田 あなたのパン・ヨーロッパ主義に対して、ド・ゴールとチャーチルは、どのような見解をもっていましたか。
 クーデンホーフ 二人ともパン・ヨーロッパ主義者ではありませんでした。
 先にも述べましたように、チャーチルは一九四六年、チューリヒでの大演説でヒトラーの抑圧で潰滅にひんしていたパン・ヨーロッパ運動をよみがえらせていますが、彼の発想はいつの場合も、ヨーロッパ全体よりは、自分の母親の祖国であったアメリカヘの親近感にこだわりすぎた感があります。
 一方、ド・ゴールは、アデナウアーとともに、一九六二年に、十一世紀にわたって敵対関係にあったフランスとドイツを和解させ、パン・ヨーロッパヘの気運を高めるうえで大きな役割を果たしました。
 しかし、結局、彼が生涯をかけて追求したものは″栄光のフランス″であり、フランスヘの熱烈な愛国心でした。したがって、ド・ゴールはフランスにとっての利益という範囲内でパン・ヨーロツパ構想に賛成しました。
 私は、彼らが真のパン・ヨーロツパ主義者ではなかったとはいえ、しかし、そのことによって彼らの歴史上の業績に対する評価が低下するとは決して考えておりません。
 彼らはとにかく、二十世紀の世界に偉大な貢献をした偉大な人物でした。私は彼らと会い、多くの時間をともに過ごすことができたことを喜ばしく思っております。

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