Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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まえがき  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

前後
9  二十世紀の前半、人類は、世界大戦を二度も経験した。そして、その結果がどんなに悲惨きわまりないものであったか、身に刻んで知っているはずだ。価値ある解決は、平和の中にこそあれ、戦乱の中からは何ものも能ごされはしない。″生命の世紀″は、それゆえ、根本的な価値観の転換を前提としよう。
 人間が本来もつべき価値観とは、偏狭なものであってはならない。つまり自分の利欲さえ満足させればよいという極端な利己主義は当然のこと、一集団、一国家、一民族、一つのイデオロギーのためのものであってもならないのである。偏狭な価値観こそ、過去において、戦争を引き起こし、また社会の矛盾と不合理を形成してきた元凶であったことを忘れてはならない。
 すなわち、二十世紀後半の人類がもたなければならない価値観とは、たんに一つの社会、国家に基盤をおいた狭隘なものではなく、全人類的な視点、全地球的な視野に立ったものでなければならない。さらに大自然と関係しあった生命的存在にまで深い洞察がなされる必要がある。
 人間存在の淵源にある生命的存在という一点が、これまで意外なほど軽視されてきた。もちろん、戦争や災害が起こるつど、人間生命の尊厳性が強調されてきたが、存在論から生命を論じたものは稀であった。
 人間が生命的存在であるということは、いかなる社会、国家、民族をも越えて普遍的であり、かつ絶対的な事実である。それに対し社会的存在としての人間は、時代、民族、国家の違いによって異なってくるのである。
 その意味で、人間が真に人間らしく生きるためには、まずみずからの原点であるこの生命的存在という大前提に立たねばなるまい。
 しかもそれは、人類という普遍的な横の広がりでとらえられねばならない。換言すれば、現代の価値観とは、タテには人間存在の根源である生命的存在に立脚するものであり、現実行動の上では、ヨコに、その生命的存在を共通とする地球人類という普遍の連帯をもつことによるものでなければならない、と私は考える。
10  対談中、さらに詳しく掘り下さげてみたいと思った問題も数多くあったが、博士の多忙な講演スケジュールと、私自身の多忙な日程の間を縫っての企画でもあり、時間的な制約もあって、思うにまかせないものもあった。
 もしもこの対談集が、同じく人類共通の諸問題を思索しておられる大方にとって、なんらかの参考になれば、私の望外の喜びとするところである。
 ともあれ、この対談は、私の二十一世紀への模索・思考の一段階を成すものであり、さらに私の志向するところは、今後もあるいは書き、あるいは語っていきたいと念願している。
  一九七二年四月     池田大作

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