Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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代表幹部研修会(3) 民衆の時代へ君よ「正義」の旗を振れ

2005.8.15 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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3  弟子の道を貴かれた日興上人
 日蓮大聖人が御入滅される五日前のことである。弘安五年(一二八二年)十月八日、大聖人は、門下のなかから、日興上人をはじめ六人を選び、本弟子と定められた。「六老僧」である。信徒は散在していた。大聖人は、御自身の亡きあとを展望され、各地の責任者を定められた。
 当時三十七歳の日興上人は静岡・富士方面と山梨の門下を指導し、広宣流布を進めていかれた。
 大聖人は「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と仰せである。
 リーダーが使命の天地で立ち上がり、全責住をもって、広宣流布を進めていく。大聖人の時代も、そうであった。創価学会も、これと同じ方程式にのっとってきたのである。
 しかし、日興上人を除く「五老僧」は、大聖人の期待を裏切り、退転した。大聖人から法門の一切を受け継がれた日興上人から離れていったのである。五老僧は、大聖人の墓所の守護にあたる輪番制も守らず、大聖人の一周忌法要にも参加しなかった。末法の御本仏である日蓮大聖人の弟子でありながら、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」「天台の弟子」と名乗った。
 五老僧は、いわば当時の「最高幹部」である。それが、大聖人の御精神に、ことごとく背いていったのである。人間の心とは、一面、恐ろしいものだ。五老僧は師匠をないがしろにした。慢心であり、我見であり、虚栄であった。日興上人への嫉妬もあった。学会を裏切り、退転・反逆した人間も、本質は五老僧と同じであった。″自分が偉くなりたい″″名声を得たい″という卑しい心であった。
 日興上人は仰せである。
 「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733㌻、通解)
 「日蓮聖人に背いた師たちを捨てないことが、かえって罪になるという法門である」(編年体御書1734㌻、通解)
 日興上人は、決然と立ち上がられる。正義と邪義を、徹底的に、明確にしていかれた。
4  大聖人は、庶民にもわかるように仮名交じりで御手紙を書かれた。それを、日興上人は「御書」として最大に尊重し、学んでいかれた。これに対し、五老僧は「先師の恥辱」といって焼いたりしたのである。五老僧は、数々の謗法を犯した。
 日興上人は、立正安国のために謗法を断てと厳命された大聖人の御精神を貫き通された。日興上人は、「弟子分本尊目録(弟子分帳ごに、師匠を裏切った人間の名を挙げて、「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(日蓮大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と記し、後世に残されている。
 現代における五老僧の末流が、日顕宗である。日興上人が五老僧と徹して戦われたごとく、学会も、大聖人に師敵対した日顕宗を、厳しく破折し、打ち破ってきた。
 仏法は峻厳である。今や日顕宗は、信徒が激減し、大敗北。極悪の所行が断罪されている。一方、創価学会は、世界百九十カ国・地域へと大発展している。私の五十八周年の入信の日である今年の八月二十四日を記念して、ブラジルで特別顕彰が行われるとの連絡もいただいた。(=南マットグロッソ州のポンタ・ポラン市から八月二十四日、名誉会長夫妻に特別顕彰が贈られた)
 世界中で、創価の人間主義に対する顕彰が相次いでいる。すべて同志の皆さまへの信頼と賞讃の証にほかならない。広宣流布の魂は、師弟である。立つべき時に立つことだ。悔いを残してはならない。今こそ「正義の旗」を振る時である。ともどもに民衆の時代を開いてまいりたい。
 (長野研修道場)

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