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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 戦う青春は美しい! 「創価の炎」を永遠に

2005.2.23 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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9  ボーブナルグ「勇気は逆境における光」
 ここで、フランスの思想家ボーブナルグ(一七一五年四七年)の言葉を通し、何点かお話ししたい。ボーブナルグは、十八世紀末から十九世紀中ごろにかけてヨーロッパで展開された文化運動、ロマン主義の先駆的存在である。
 私どもは、「文化」を大切にしている。仏法を基調にした、平和・文化・教育の運動を世界に広げている。
 かつて、ソ連を初訪問し、コスイギン首相と会見したとき(一九七四年九月十七日)、首相は私に「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか?」と聞いてこられた。
 共産主義の国家の指導者である。″創価学会とは、いったいどんな団体なのか見極めたい″という思いもあったにちがいない。ソ連側のテーブルには、首相をはじめ、政府や党の首脳がずらりと並び、じっと私を見つめていた。
 私は即座に答えた。
 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と。
 (首相は「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と語った)
 いついかなるときも、私は真剣であった。誠実な対話によって、世界に平和の大道を聞とうと必死であった。移動中であれ、行事の合間であれ、平和のため、広布のために、今、何をなすべきか、次にどう手を打っか、頭脳をフル回転させて考えに考えぬいてきた。
 どうか、皆さま一人一人が、その責任感と真剣さを受け継いでいただきたい。懸命に戦い、苦労しぬいて、全員が、広布の責任者としての自覚と力を持っていただきたい。そうすれば、学会は、永遠に勝利していける。そして「今」こそ、そうした本物の人材を、後継の青年を、本格的に育てていくときなのである。今、それをしなければ、未来はない。
 ボーブナルグの簸言を紹介したい。
 「勇気は逆境における光である」(『省察と箴言』竹田篤司訳、『世界人生論全集』9所収、筑摩書房)
 大変な困難のときほど、「勇気」が光となる。希望を失いそうになったときこそ、「勇気」が行く手を照らす。人生で最も大切なものは、勇気である。
 御書の根幹も、勇気である。大聖人は「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と仰せである。戸田先生は、よく言っておられた。
 「私たち凡夫が慈悲を出そうとしても、なかなか出るものではない。その慈悲に代わるのは、勇気である」
 正義のための勇気こそ、大善に通ずる。その勇気を持つ人が、最も偉い人である。
 権力者が偉いのか。テレビに出ている有名人だから偉いのか。決してそうではない。文化のため、平和のため、人々を救うために、勇気をもって行動する人が偉い。
 ゆえに、広布に生きぬく学会員が、最も大切な存在なのである。皆さまの正義の戦いを、大聖人が讃嘆しておられる。世界の良識が、その正しさを証明している。
 さらにボーブナルグは言う。
 「呑気は精神の眠りである」(『情熱の倫理』大塚幸男訳、養徳社)
 広宣流布へ同志が真剣に戦っているときに、呑気に構えて、何もしようとしない。もしも、そういう幹部がいれば、叱りとばしていい。居眠りするな、目を覚ませ、と。
 幹部は、どこまでも一兵卒であるべきだ。自分は特別だなどと勘違いして、苦労をさけていては、懸命に戦ってくださっている同志に申しわけない。
 もう少し、ボーブナルグの言葉を紹介したい。学会の将来を担う若い人たちのために。
 「大きな徳は大きな嫉妬をあおり立てる」(同前)。これも有名な言葉である。
 偉大な人は、必ず嫉妬の非難を受ける。歴史の鉄則といってもいい。
 法華経には、「猶多怨嫉。況滅度後」(法華経三六三㌻)――仏の在世でさえ怨嫉が多い。いわんや仏の滅後に、さらに怨嫉が多いのは当然である――とある。
 大聖人は、この経文を引かれ、とう仰せである。
 「末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり
 妙法を正しく実践する人は、必ず「怨嫉」される。「悪口罵詈」される。それが仏法の方程式である。ゆえに、わが学会が、「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の大難を受けてきたことは、法華経のとおり、御書のとおりの「広宣流布の正統の道」を、まっすぐに進んでいる証明であることを知っていただきたい。
 さらに、ボーブナルグは言う。
 「羨望は証拠もなしに告発し審判する」「羨望が語る言葉は、悪意と誇張と中傷にみちている」(前掲『省察と箴言』)
 そのとおりである。
 思えば、私が、事実無根の選挙違反の冤罪により、大阪の地で逮捕されたのは、昭和三十二年(一九五七年)の七月三日であった。「大阪事件」の勃発である。その本質は、正義のために立ち上がった民衆の連帯を妬み、破壊しようとする権力の陰険な謀略であった。
 弾圧の手口は、あまりにも卑劣であった。捕らわれの身の私に対し、「戸田会長を逮捕する」と恫喝し、容疑を認めさせようとした者もいたのである。
 「ただ戸田先生をお守りしたい」――それが私の祈りであった。
 大阪事件の裁判は四年半に及び、公判は八十四回を数えた。この間、関西の同志には、本当に支えていただいたことを私は忘れない。
 そして、昭和三十七年(一九六二年)一月二十五日、大阪地方裁判所で判決が下された。当然のことだが、「無罪」であった。すでに戸田先生は逝去されていたが、「大作、勝ったな」と喜んでくださっている恩師のお顔が目に浮かんだ。
10  偉大な人は嫉妬される
 ボーブナルグは言う。
 「嵐の日々のあとでふたたび現れる太陽も、永いねたましがる迫害に勝つ徳ほどには輝かしくない」(前掲『情熱の倫理』)
 これまで、学会に対しても、私に対しても、幾多の事実無根のデマや中傷があびせられてきた。
 すべては、恩知らずの反逆者たちの醜い嫉妬によるものであったことは、皆さんがど承知のとおおりである。ボーブナルグは「うそつきは下劣でうぬぼれがつよい」(前掲『省察と箴言』)とも言っているが、まったく同感である。
 彼らの嘘八百は、裁判でことごとく暴かれた。学会の正義は、完壁に立証された。私たちは、すべてに勝った。「創価の正義の太陽」は赫々と輝いている。(拍手)
 もうすぐ春三月。最後にもう一つ、ボーブナルグの言葉を若き皆さんに贈りたい。
 「春のはじめは、青年の徳の芽生えほど美しくない」(『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
 春は美しい。しかし、伸びゆく青春の生命は、さらに美しい。
 青年には、限りない未来がある。目標に向かって努力し、みずからを高めていくならば、不可能なことなど一つもない。何だってできる。万人がうらやむ存在。それが青年である。
 私の青春時代は、戦争一色だった。若者はいやおうなく、国家のために命を捧げたのである。
 今、若き皆さんは、広宣流布という人生最極の目的のために、思うぞんぶん、働くことができるのである。これ以上のすばらしい使命の青春はない。
 だからこそ、全員が「私は頑張った!」「私はやりきった!」と言える何かを残してほしい。青年時代は、あっという聞に過ぎていく。無為に過ごして、悔いを残しては、あまりにもったいない。
 戸田先生は、心の底から青年を大事にされ、厳しく訓練された。青年にすべてを託していくしかなかったからである。私も、今、戸田先生と同じ心で、青年を愛し、青年に期待し、青年を鍛え、青年に一切を捧げていく決心でいる。
 ともあれ、広宣流布に戦う青春ほど美しいものはない! 若き皆さんの未来に栄冠あれ!――こう申し上げて、きょうのスピーチを終わります。
 長時間、ありがとう! それぞれの立場で、がっちりと学会を守ってください。同志を守ってください。皆さん、ありがとう!
 お体を大事に。風邪などひかないように。また、お会いしましょう!
 (創価文化会館)

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